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「古武士(もののふ) 第18話 焼け野原」
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福岡に到着した道上に軍が車を用意してくれていた。 
その車に乗って博多のホテルに落ち着き、ホテルから駅に電話して富山まで行きたいと言うと、 「広島に特殊な爆弾が落ちて、広島から先が通信不能で列車もどうなるか判らない」と言う。 
電話では埒があかないので、博多駅まで出向いて、駅長に直接掛け合った。 

「東亜同文書院大学の学生が困っている。すぐに行かねばならない。 行先は富山の伊藤忠兵衛の呉羽工場だ」 といって陸軍が用意してくれた第一公用証を見せて頼み込む。 
「まことに申し訳ないのですが、今は列車は出せません。 明朝5時には何とか列車を動かしますので、それにお乗りください」 と駅長はすまなさそうにいう。

駅長の言葉通り、列車は八月九日早朝博多駅を出た。 
国鉄職員が不眠不休で復活させたのだろう。 
列車の周りにいる駅員はどの顔も寝不足と煤にまみれて、どす黒い。 目ばかりがぎょろっぎょろと光っていた。 

列車が動き出して気が付くと、乗客は道上一人だけだった。 
列車が広島に近づくと、駅舎やホームに憲兵の行き交う姿が目立ちだした  途中駅から乗り込んだのだろう。

列車内にも憲兵の姿が多くなった 窓のカーテンはしまったままで憲兵が外を覗いてはいけないとの指示、 憲兵隊が監視しているかのごとく座席通路を往来する  憲兵隊が行き来する合間を狙ってはカーテンの外をのぞき込む。 

広島駅に近づくと風景が一変した。
一面焼け野原で、ところどころにビルがかろうじて建っているが、 そのビルもよく見ると半ば崩れかけている。 

木造の家屋は殆どが焼け落ちている。
あちこちから煙が上がっている。
三日前に新型爆弾が落ちたと博多で聞いたが、それによって火災が起きまだ燻っているいるのか、 生き残った人達が煮炊きしているのか、道上には分らなかった。 

列車が進む鉄路に沿って、爆弾の犠牲者だろうか、死体が放置されているのが目に入りだした。 
町の方に目を転ずると、道沿いには多くの死体があり、ところどころにそれがまとめられてうず高く積まれていた。 
女性の胸は飛び出し、男根も飛び出し、まるで地獄絵巻のようだった。 

その中をゆっくりと歩いている人もいた。
まるでスローモーションでも見ているようだった。 
動いている人は確かにいたのだが、動きが極端に遅い。
のろのろと人は動いていた。 
累々とおびただしい死体が放置されているのもさることながら
魂を抜かれてしまったようにのろのろと歩く人々が、 かえって強く道上に「死の町」を実感させた。
道上は列車の中で呆然と立ち尽くした。 
かつて見たことがない光景が窓の外に展開していた。
これが戦争の「もう一つの真実だ」と道上は思った。 

列車はわずかな停車時間で広島を離れた。
倉敷では駅舎が炎上していた。 
列車は岡山に着いたところで動かなくなった。
岡山から先は運転不能で、いつ運転が再開されるかわからないと言われる。 
博多から岡山まで見た戦禍のあまりの惨状から、これ以上は無理だと判断せざるを得なかった。 

そこで道上は、八幡浜の自宅にとりあえず引き上げることにする。 八幡浜には父母兄弟とともに前の年に上海から帰国した妻子が待っている。 
道上は不意に母と妻子の顔を思い浮かべた。 
連絡船で高松へ渡り、高松から松山行の列車に乗る。
幸い列車は動いていた。 松山にたどり着いたのは十一日。福岡を出発して以来三日間、何も口にしていなかった。 

松山から先の列車は動いていなかった。 
松山から八幡浜までは88km。過去に何度か歩いたことがある。 歩き始めると、松山市内も空襲でほとんど焼け野原になっていた。 

駅の裏山の梨畑が目に入った。
畑の老婆は少し分けてくれないかと言う道上に、 「配給用に供給するものだから、分けてあげたくてもできないと」と言う。 それでも「もう三日食べていない」というと、気の毒がって梨を五個道上の手に渡してくれた。 道上は固辞する老婆にいくばくかのドル紙幣を握らせた。
「おおれこわやのう!多すぎますかい」と老婆が追っかけて来る。 道上にはもう聞こえない  早足で山を下りながら梨をかじると、乾ききった口の中にほのかな甘味と芳香が一度に広がった。 
「これで命がつながった」、道上は掛け値なしにそう思った。 

八幡浜に帰り着いてみると、上空ではアメリカ軍機と日本軍機が空中戦をやっていた。 
山の斜面で畑仕事をしている人達が、悲鳴を上げて駆け下りてくる。 空からぱらぱらと薬莢が落ちてくる。 

家へ入って家族と再会を喜びあったのも束の間、大きな爆発音がするので外へ出てみると、 八幡浜沖の佐島(小島)に大きな煙が上がっている。 
佐島にはその当時世界最大の戦艦、大和と武蔵の砲弾が六千発以上保管されていた。 
その一部に、空中戦で撃ち落とされた戦闘機がぶつかって大爆発を起こしたのである。 

戦争はもう終わる、道上はそう思った。 
終戦の玉音放送を聞いたのは、それから三日後だった。






 


    
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。 
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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