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「古武士(もののふ) 第44話 清水 猛」 
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道上が1953年に渡仏したころ早稲田大学出身の尾崎さんという方と時期が重なり、 彼は1年で日本へ帰ったがその後も非常に親しく手紙のやり取りをしていた。 
尾崎さんは後、堤康次郎の第一秘書となり、その後朝日へリコブター社を立ち上げる。 
その尾崎さんのアドバイスで道上のアシスタントとして清水猛が
1966年に来仏する。 早稲田柔道部出身の彼は当初皆の注目を浴びた。 
当時ヨーロッパで道上の弟子達は中山正善真柱の天理大学柔道部に留学し、その際に日本の多くを体験してきたが、日本柔道の実力そのものを侮っていた節がある。 
道上もさほど清水に期待をかけていなかった。 
     
 
清水がボルドーの道上道場に姿を現し、乱取りの最中二段三段を相手に 小内小外と小技で一本を取って行くのを見て皆は唖然とした。
過去において大外刈り、内股、背負い投げなどの大技で1本とるのが常識になっていたフランス人柔道家達にとって、
それは大変な驚きであった。 
後、関根忍がこの小技で完膚無きまでに皆をねじ伏せ、
全日本選手権者となった事をご存じの方も多いだろう。 
また清水の人間的謙虚さにおいても皆が驚き、技においても清水先生メソッド(方式)などと言われ、のちのちまで語り継がれた。 道上は彼を丁重に扱った。
彼を道上のアシスタントとしてヨーロッパのみならずアフリカの
各国に同伴させた。 
清水は不言実行の男だった。
物静かだが見えないところでコツコツと努力する大和魂をもった
好青年だった。 

そのころ道上家族はパリ郊外のVITRYと言うところにアパートを借りていた。 
フランスで言うところの14階建ての最上階だが 日本式に言うと16階にあたる。 
清水はパリ滞在の時には毎朝その階段を何往復も駆け上がる駆け下りる毎日だった。 
後の彼の弁では、練習できついと思った事はないが
毎晩道上先生との酒のお付き合いが苦しかったと。 

54歳の道上は食前酒に まだウイスキーも飲んでいた。 
お客様が来ると400mlはあるコップに なみなみとジョニウォーカーをストレートで注ぐ。それが当時の食前酒である。 
普通の人間ならそれだけで酔っ払ってしまう。
それから食事とともにボルドーの葡萄酒が注がれる。 
しかも毎晩である。
さすがに昼からのウイスキーは無いが昼間もボルドーの赤葡萄酒だ。 

「清水さん、ボルドーの赤葡萄酒は身体に良いんですよ」  
清水にとっては「過ぎたるは及ばざるが如し」であった。

1年後、次女道上志摩子と結婚。 
志摩子は当時稀にみる美人だった。
町を歩いていてもフランス人が振り返ってみるほど目立った。
しかも歌もうまかった。
フランスの音楽会からは彼女の美声を求めレコーデイングの準備が行われていた。 
日本人初のフランスでのレコードデビューである。 
多くの雑誌から注目を浴び、志摩子も通っていたソルボンヌ大学の休学の準備をしていたところだったが 古風な清水の願いによって芸能デビューを諦めざるを得なくなった。 
結婚1年後に娘が生まれた。
VITRY(ヴィトゥリ)の地名にちなみ美津里と名付けられた。パリの病院で出産した志摩子の病室に院長が突然現れ、大変申し訳なさそうな顔をした。
「お生まれになったお嬢さんには、おしりに青い痣が有ります。」 
志摩子は笑った。日本では当たり前の蒙古斑であった。 

道上最初の孫の誕生が美津里。
道上家もようやく春が来たかのように見えた。 

次回は「フランス語」



   
 【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。 
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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