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「古武士(もののふ) 第45話 フランス語」 
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道上小枝(女房)は渡仏2年前からNHKのラジオ講座でフランス語を勉強していた。 
かなりの勉強家だった小枝は、子供達にとってフランス語が堪能に見えた。 
だが実際渡仏してフランス人と話してもあまり通じなかった。 
次女志摩子、愚息雄峰はもともとフランスに行きたがってはいなかった。 
しかし10年も道上と離れて暮らしていた小枝にとっては何があってもフランスへ行きたかった。 
子供たちの反対を押し切って、又説得しての渡仏だった。 

やっかみもあって日本では道上に女がいるとか、
小枝には日本に男がいるとか 子供達には考えられない噂をたてるものもいた。 
当時の日本は貧しく、フランスでの道上は左扇の暮らしをしていると想像された。 
だが現実は違っていた。 
道上も苦労の中で支えの無い一人暮らし、我慢に我慢の毎日。
夫婦仲は完全に冷え切っていた。 

小枝は活発な女性ゆえなんとか独り立ちの夢を持っていた。
ヨーロッパに日本の生け花を広めようとしていた。  
だが外国は甘くはなかった。 
50歳過ぎの女性には特に厳しかった。 



当時フランスで名をあげて成功している日本人は皆無だった。 
フランス語もソルボンヌ大学の外国人用のクラスに通っていた志摩子に間もなく抜かれ、 半年もたたずに愚息雄峰に抜かれた。 
やはり50歳過ぎて外国語を覚えるのは難しかった。 

近所に買い物に行くと 「オゴヴアー・ムスュ・ダーム(Aurevoir Monsieur Dame )」 ムッシュ・マダムさようなら、と帰りに店の主人に言われる。 
耳が慣れるまでは 「オゴヴアー・ミシガミ」道上さようならと聞こえていた。 
何故彼らは名前を知っているのだろうとその時は疑問に思った。 

志摩子は1965年だったかClub Med (株式会社地中海クラブ)の設立にコンパニオンとして着物姿でのアルバイトを頼まれた。
フランスでも有数の高級ホテルで行われギャラは今の金額で言うと約5万円。
珍しさ余っての高級ギャラだった。 

そのギャラをハンドバックに入れ持っていたところ、檀上に上がってくれとの指示があった。
そのまま上がろうとしたところ、そのホテルのマネージャーから
ハンドバックはおいて行ってくれと強く言われた。 
志摩子は持ってあがると何度も言ったがマネージャーにしつこく食い下がられたため、 結局諦め、マネージャーに手渡した。 

5分後に檀上から降りてきた時ハンドバックにお金はなかった。
志摩子はお金がとられたと訴えた。
マネージャは証拠がないとの一点張り。 
ここはフランスだ、取られる方が悪い。
しかも外国人だ、外国人には厳しい国だった。 

また、志摩子はよくストーカーにあった。
しつこく後を付けられるのは日常茶飯事だった。 
夕方走って逃げて帰ってきたために辞書を落としてきたことがあった。
当時日本人用のフランス語辞書などフランスにはなかった。 
真夜中に雄峰が何時間も探しに行った。
郊外には街灯等なく真っ暗の中、懐中電灯を照らしながら、道路の両脇を照らし歩いた。が見つからなく残念な気持ちで帰ってくる事もしばしばであった。 

小学校1年生に入学した愚息は幼いせいか1年も経つとある程度のことはフランス人に伝える事が出来た。 
3年経つと愚息のフランス語が家族の中で一番上手だった。
5年経つ頃には同年代のフランス人と何の遜色も無く喋れた。 

道上はフランス語を学校で習ったことがなく、真っ当なフランス語では無かった。
単語力はさすがだったが、長い文章は下手だった。 
当初コムサ・コムサ(このように このように)と弟子たちに技を説明するものだから
「コムサ先生」と呼ばれていた。 
晩年十分なフランス語力を持っても相変わらず以前と変わらない話し方だった。 
言葉に頼る事を嫌った道上であった。 

弟子たちも自然と道上語(道上独特の言い回し)を使うようになっていた。
しかも道上語が流行った、まるで専門用語かの様に。 
弟子たちは道上語が使える事を誇りにしていた。 
しまいには柔道をやっていないものまで道上語を使っていた。 

20年経った時愚息が「お父さん今度僕が通訳します」道上「それは有難い」。 
愚息はわざわざ道上の夏期講習の為に渡仏した。
いざ愚息が畳の上に上がった時、道上も含め誰ひとり愚息と言葉を交わす者はいなかった。 
まんまと引っかかった愚息は馬鹿だった。
それを知るためにわざわざフランスまで行ったのか。
いや道上に気持ちは通じたはずだ。 


次回は「シトロエン」





    
 【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。 
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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