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「古武士(もののふ) 第62話 ボルドーの近代史」 
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ボルドーワインの発展を説明するものとして、ボルドーだけの
500年に渡る特権があった。 この特権はイギリス国王によって
与えられ、フランス国王によって承認された。 

1241年から1773年までの毎年1月1日から12月25日までの間、
ボルドー以外の地域が起源のワインは一切ボルドーの港からの輸出
を許可されなかった。 
他のワインの輸出には6日だけが与えられたが、言いかえればそれ
は不可能だった。ボルドー独占の時代であった。 
と言うのも仮にワインが満足いくものでなければ、ボルドーワイン生産者は他の地域のワインを購入し、自分たちの生産物に混ぜることが認められていたのだ。 
5世紀もの間、ボルドーのワインだけがボルドー港から輸出できて
いたのだ。 
17世紀まではワインは若いまま飲まれるもので半年以上保管
されるものではなかった。 

17世紀には、オランダ人のeaux de vie(フルーツ・ブランデーの一種)への関心が高まり、ボルドーが辛口の白ワインを供給する後押しをした。 17世紀末から18世紀初頭には、ボルドーワインの商人が川の右岸の堤防に沿って陣取り、Chartronsと言う特別区画
が生まれた。 そのため、ワインは品質とともに、高貴さという
言葉を手にした。 
極上のボルドーワインは、18世紀に入って瓶ボトルの出現ととも
に、特にイングランドへ輸出され始めた。 
その頃からハイソサエテイーと言われる層で多く飲まれるようにな
っていったのだった。 

ボルドーワインの成功とその比類なき味とを等しく説明するのは、
次の3つの要素の結合による。
土壌、気候、そしてブドウの木自体である。 
ボルドーの重い土は雨水を素早く吸収する密な砂利の地層である。 
自身の生育に必要な栄養素を見つけるため、ブドウの木は深い根を張る必要がある。ブドウの木はつまりストレスを与えられているわけだが。 原理の上ではストレスを受けるということはポジティブではないが、ストレスを受けていないブドウの木は良いブドウの実をつけず、つまり良いワインを作れない。 気候については、快適
な温度と湿度が味と香りを高めるためのブドウのゆっくりとした
熟成を容易にする。 

ブドウの木の種類についても、完全にこの地域に合うものであった。
そして 美味しいワインがドンドンとイギリスへ運ばれていった。 
其処から後にはアメリカそしてイギリス植民地へと運ばれていった
のだった。 
当時から商業港としてヨーロッパの中でボルドーが最も栄えた。
マルセイユが地中海の玄関口として北アフリカを統括し、ボルドーがブラック・アフリカを統括した。 その為多くの奴隷がボルドー港に入って来た。
その繁栄によって今でもボルドーはブルジョワの町と言われている。 
  
日本はイギリス系アメリカの影響下にあるが イギリスだけが世界に影響力を持っているのではなく、フランスはイギリス以上に世界に影響力を持ち続けた。 
それを日本人は知らない。 
面白い事にボルドーはガローヌ川に面した建物よりも、(公共的建物以外は)一歩裏に入った建物の方が立派な造りが多い。 
それはガローヌ川に面していると固定資産税が高いので金持ちはあえてすぐ裏に豪邸を建てて行った。
まるで京都のようだ。
 
京都は祇園あたりに行くと道幅が狭く、道路に面した広さにより税が課されていたという事を聞いたことがある。 道路から見た1階建ての家が中に入ると実は5階建てで、裏の通りまでうなぎの寝床の様に長い造りになっている建物もあった。 

ボルドーの地方を大まかに言うとジロンド県アキテーヌ地方とも言う。
ジロンド地方の人をジロンダンと言うが、フランス革命では薩長同盟の様な役割を果たした。 ジロンダンは相当暴れまくった。誇り高い騎士が多かった。
ダントン、ロベスピエールの時代。いつも団長の左に座っていたのがジロンダンだ。 
その時から左派右派という言葉が誕生した。 
その誇りを持った地域性はいまだに存在する。
前市長のシャバンデルマスは衆議院議長2回、総理大臣を2回歴任し、しかも大変なスポーツマンであった。 自身でもラグビーをやっていて、ボルドーはサッカーも強く、多少なりとも乱暴なイメージすらあった。 
共和党ドゴール大統領、ポンピドゥー大統領に続きシャバンデルマス大統領というのが最有力候補だったが、 その後に続くはずのパリ市長シラクの裏切りによって民主党のジスカール・デスタンが大統領になった。 
それからと言うものボルドー市は急に冷え込んで行った。
これは1960年代の出来事であった。 

ちなみにアラン・ジュペ現ボルドー市長(総理大臣2回)もシラク元大統領の裏切りにあったが、現在巻き返しを図り次期大統領候補である。 

このようにしてフランスは各市長が大きな権限を持っている。
大統領と言えども、おいそれと勝手に国内を行き来できない。
必ず行く先の市長へのあいさつが欠かせない。 
道上はナポレオン、ドゴールをこよなく愛し、シャバンデルマス市長とは親しさの中にも互いに敬意を表しあう仲であった。 

ブルゴーニュでは大きな葡萄畑の事をドメイヌと評する。
南仏に行くとコート(丘と言う意味だが)。これら全てブドウ畑所有の屋号だ。 
では何故ボルドーではシャトーと言われるのだろうか?
それは殆どのブドウ畑に城があったからだ。 

日本では金持ちを表現するのに蔵が立つと言うが、それは米。
フランスでは城を持つと言う。 
それは多くの葡萄酒を寝かせる酒蔵を持つという事に他ならない。 
すなわちそれが富の象徴だ。
それだけボルドーには多くのシャトー(城)が存在したのだった。 

アキテーヌ皇女アリエノールが残した富はフランスの食の文化でもあった。
ボルドーから南南東へ約150kmにぺリゴールが在る。
フォアグラ・トリュフ・セップ・パテ・リエット、珍味ぞろいだ。 
西へ54kmにアルカッション。サルコジ元大統領も別荘を持っているフランス有数の避暑地。 
以前にも書いたが、其処の湾での生牡蠣養殖はフランスの83%を供給している。 
西南西へ250km行くとバイヨーヌ。生ハムの美味しい所だ。
これら全てがアキテーヌ地方。
食生活の貧しいイギリスに食とは何たるかを伝えたのだった。 

イギリスでは豚をピッグと言うが食べる場合はフランス語のポークと言う。
イギリスではもともと豚を食べていなかったからだ。 
ぶどうは英語でグレープと言うが、これはフランス語のグラップを英語読みしただけだ。 そのグラップがドーバー海峡を渡ると乾燥してしまい、乾燥したぶどうを英語ではレーズンと呼ぶ。フランス語のレザンの英語読みだ。 

サンジャン・ボルドー駅の裏には食肉解体場があり、最近までフランスの消費牛肉の半分を供給していた。 アントロコットはアントロコット・ボードレーズといって世界的に有名だ。 
愚息が小学校の課外授業で解体場に行くと作業場の人たちが色々と教えてくれた。 
牛肉にはメルロが合うよ!羊にはカベルネ・ソービニオンが合うんだ、とか、 肉は解体して3週間ぐらい寝かせてから出荷するのが美味しいんだが今じゃ2週間もすると出荷してしまって嘆かわしいと!とか。 
これも随分と昔の話だから、今では一週間くらいで出荷しているはずだ。 




道上にはボルドーの水が合っていたのだろう。 
居を定めてから50年という長い歳月、ボルドーに住み続けたのだから。
それは食だけではない。人間だ。


 
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。 
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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