第三章 別離の記憶 ⑪ 林正順 7 林の胸のうちには、スパイ容疑でたぶん酷い拷問を受けて憤死したであろう兄の正光のことと、心痛のあまり息子を追うように病死した父親正春のことが、ずっと重くわだかまっていたはずだと、きよのは、重石のついた綱を引きずるような口調で話したのだった。 日本は2千年近い昔から、ずっと中国の影響を受けてきたこと、 政治的なこと、思想的なこと、さらに芸術や文化の面などで親しく 接してきていながら、明治以降、とくに昭和という時代になって 日本は領土拡大のために武力で中国を侵していった――それは 日本の軍国主義の植民地政策だった。 とりわけ、昭和6年(1931年)から昭和20年(1945年)にかけての15年戦争と呼ばれた長い戦争では、日本はどんどん軍隊を中国に 送りこんだ。 この間に、日本兵130万余、そして中国兵も同じような人数の 死傷者を出した。 しかも、戦場になった中国では関係のない民間人の人たちが 2千万人以上も死傷した。――― 勝は、母親が珍しくじっくりと話し聞かせてくれることを、おとなしく聞いた。 これはたぶん、林がどこかでいつか母親に語ったことだろうと 思って聞いていた。 ―――やっぱりおふくろと林さんは気が合うもんで、おれの知らない所で・・・・2人だけで話したりしてたんだろうな。 勝はそんなマセた類推もしたのだった。 「勝くん、僕はね、こんど故郷の中国に戻ることになった。 故国のほうからあれこれ手を尽くしてくれるひとがあって、しかも死んだ父親の兄弟からたっての希望もあって、 此処を去る事になったんだ」 何となく、いつものお説教なのかと気がるに聞いていた勝は、 林が日本を去って中国に帰ると聞いてびっくりした。 いままで林(ハヤシ)正順と呼ばれてきたけれど、これからは 林正順(リンズエンスエン)に戻るのだとも言った。 「それでね、もしかしたらもう二度と勝くんとも会えないわけだから、こんなお説教もできなくなるわけだ・・・」 林の言うことの一語一語は、今まで誰にも言ってもらったことの ない言葉だった。 ひょっとしたらこれからも、林のようにいちずに、心を込めて 言ってくれる人はもういないかもしれない。 勝は肚の底にポツンと穴があいてしまったような寂寥感を味わっていた。スースーと風が通り抜ける。気持ちの根っこが頼りない。 おぼつかない。いつものように隆生寺の庫裏を回りこんで行くと 必ず機嫌よく迎えてくれた親しげな顔とはもう会えなくなる。 かりん糖や、ふかしまんじゅうはどうでもいいが、どんなことでも ちゃんと分かってくれて、がんばれよ、負けるなと励ましてくれる 兄ちゃんがいなくなる・・・勝は、どう答えていいのか分からない。 いや、中国なんかに帰らないでよ、と言いたかった。が、それは あまりにも事情を無視した、わがままな言い分だと、さすがに 口には出しそこねた。 林は紙の袋を勝に押しやった。 見覚えのある袋だ。 やはりヤマニ堂書店という文字が印刷してある。 「国語辞典が入っている。これで、勉強しておくれ」 林がつとめて明るく言った。 前後の説明は何もなかった。 「それからもう一つ ―― 」 分厚い本を炬燵台の上に乗せた。 「今年、ぼくが買った新しい朝日年鑑だ。これも記念に置いていく。 勝くんにはまだ少し難しいかもしれないけど、頁をめくっているだけでもいい。字に親しんでほしいんだ。」 林にうながされて、ヤマニ堂書店の袋を開けた。 勝はドギマギしていた。いつかお金を貯めてヤマニ堂書店に 正々堂々と買いに行くはずだった国語辞典だった。 薄茶色の表紙に金色の文字は、あの日のことをまざまざと思い起こさせた。 メガネの女性の顔も、そして「天知る、地知る、人ぞ知る」の言葉も 「・・・結局は、自分をごまかすことはできないでしょ」という 言葉もだ。 あれ以来、ヤマニ堂書店に立ち寄ったことはないが、あのメガネの 女性はいるのだろうか。 土下座してあやまる勝のかたわらに、紺色のスカートをふわりと させて かがみこんだ女性の、温かいような甘いようなふしぎな匂いも 勝は思い出していた。 「それともう一つ、大事なことがある」 勝は神妙だった。 続く