その頃八百春では戸塚も交えて話し合いが行われていた。
このままでは店を続けることはおろか、土地も建物も差し押さえられてしまうのである。
とりあえずは何とか最悪の事態だけは避ける算段をし、中国人留学生に対する支援は一端止めにするべきだというのが、フミと戸塚の意見だった。
誰だってそう考える、が、そんな常識が通用しないのが五十嵐という男だった。
五十嵐は戸塚に言うのである。
なぜ自分たちは働くのか?
もっと言えば、なぜ自分たちは朝起きて、歯を磨いて、服を着て外に出るのか? なぜこんなにも辛い想いをしてまで必死に生きるのか?
つながる為だ、と。
人とのつながりこそが人生の全てであると。
結局のところ、人間なんてのは、お互い様なのである。
自分も困っているからという理由で人が困っているのを無視するなんてことはあってはならないのだ。
戸塚にも思い当たる節はあった。
敗戦後36年目にして中国残留孤児が日本を訪れた時、その中に戸塚の親戚もいたのである。
戦後の混乱の中国。
何らかの理由から中国に取り残されてしまった孤児たちを育てた中国人だって裕福であった筈がない。
その日を生き延びるのに精一杯だった筈だ。
それでも彼らは助けてくれた。
育ててくれた。
その親戚は今でも中国にいる。
自分を育ててくれた中国の両親を見捨てることが出来なかったのだ。
中国に帰る時に、空港で産みの親と固く交わした涙ながらの抱擁を戸塚は今でも忘れることができない。
戸塚にとっても、中国は特別な国だった。
いや、全ての日本人にとって、中国は特別な国なのである。
しかしフミは納得できない。
言っていることは分かる、もっともである。
しかし何でも正しければそれで良いというものでもない。
小さな物置のような八百屋から始めて、必死になって働いて今がある。
誰もが五十嵐には一目を置く。
かつての物置のような小汚い八百屋は今では立派な3階建てのビルになっている、それを全て失うことなど到底認められなかった。
半分はフミの物でもあるのだ。
話は平行線を辿り、一向に解決策は見つからない。
そんな状況でも五十嵐はどこか楽観的というか、呑気なのだった。