店に姿を見せないのが心配で寮に除を訪ねた五十嵐が見たのは、中国人留学生たちが直面する現実だった。
誰もが貧しく、食事もままならない状態で青白い顔をしながら、それでも必死に生きていたのだ。当然除もその中の一人で、栄養失調で倒れてしまっていた。医者に診て貰う金もない。
五十嵐にはそんな彼らが他人事には思えなかった。
自分の若かった頃の姿と被るのである。
その日を境に、五十嵐は中国人留学生の面倒を見るようになる。
損得勘定一切抜き、やれることは何でもやった。
野菜を買いに来る中国人留学生とのじゃんけんは恒例になった。
誰もが五十嵐はパーしか出さないことを知っていた。
誰かが病気になったと聞けば、すぐに駆けつけ、金がなくて困てると聞けば
気前良く金を渡した。
金だけではない、自転車や服など、持っている物は全て渡した。
周囲の人間はそんな五十嵐を訝しがり、五十嵐を中国病と呼び、嘲笑った。
その一方で五十嵐の元には多くの中国人留学生が五十嵐を慕って集まるようになり、狭い部屋に何十人も入り、餃子パーティーをするようになるなど、交流を深めていった。
誰もが貧しく、苦しかったが、誰もが笑顔だったのである。