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        道上の独り言
        「幼年時代の旅行 第2話 日本よさようなら」
        ________________________________________
        さあ出航!

        船内で母と姉は同じ部屋、僕は一人で二人部屋を独占だ。
        船室の窓は卵形の丸い窓。
        さすがフランス船、外観も内装も真っ白でなんとも品が良い。
        しかし真夏の船内はかなり蒸し暑い。
        ベットで寝たことのない僕は当然二段ベットの上段を選んで寝る。
        船が少し揺れた。

        翌朝目が覚めるとさっそく母と姉のいる隣部屋をノックして
        「母ちゃん!」 ドアを開けてくれた姉が僕を見るなりもの凄い悲鳴をあげた。
        言われるまますぐに鏡を見るとなんと顔中血だらけ!
        二段ベットの上段を顔から落っこち鼻血まみれになっていたようだ。
        結構な高さだったはずだが落っこちてもまるで気が付かなかった。
        よほど緊張していて疲れたのだろう。
        ぐっすり眠っていて痛さすら覚えていない。

        洋式生活での大きな問題がもう一つあった。 トイレだ。
        チャポン!という旧和式便所しか知らない僕は洋式トイレは初めて。
        便器の上に乗っかって中腰で用を足す。
        慣れない最初は滑って足を突っ込んでしまうこともあった。
        親にはとても言えない。
        フランスに着くまでずっとこの中腰スタイルが正しいと思っていた。
        外人って難しい恰好をするんだな~と思っていた。

        数十年経って日本の友人達とその話をした。
        当時フランスのちょっとした家、あるいはホテルにはシャワーとトイレとビデがあった。
        ビデの使用法がわからない僕は足を洗う物だと思っていた。
        すると友人の一人がそこで顔を洗ったと言い、
        もう一人はスーパーで買ったレタスをビデで洗って食べていたと言いだした。
        中にはインスタント・ラーメンをそこの湯で茹でたと・・。
        上には上がいるもんだ。

        それにフランス船にはシャワーしかない。湯船につかるということができない。
        毎日お風呂に入っていた僕には夏の海でシャワーだけというのは物足りない。

        客室利用のルールで2等室の客は1等室には遊びに行けない。
        しかし3等室には行ける。日本人の子供は僕と4歳のノンちゃんという目茶苦茶可愛い女の子!僕とノンちゃんは3等室で人気者でした。

        今、客船で旅行するのは時間のあるお年を召した方、あるいはハネムーン・カップルが多いようだが当時は大学生が多く、そのほとんどが3等室だった。
        夢を持って海外に渡る青年たちです。少年よ大志を抱け!
        (当時3等は飛行機の半値だった。中には4等と言うのが有って食事は出なく皆さん缶詰をたくさん買い込んで乗船していた)。

        ちょうど高知の沖合いに近づいた時軍艦マーチが聞こえてきた。 甲板に出てみると、わがラオス号のそばで小さなトロール船が旗を靡(なび)かせその場でぐるぐる旋回している。

        高速で急カーブした時の自動車のように船体が大きく傾き、今にも浸水しそうだ!中には大漁旗を振っている漁師もいた。あの1メートル以上もある旗を!

        今の人達がその様子を見たら彼らをお調子者と言うかもしれない。
        でも僕は目頭が熱くなった。
        外国船に向かって戦争は負けても精神では負けていないぞ!と言っている?
        いや、僕には海外で頑張って来い、俺達も頑張る!外人なんかに負けるな!
        と聞こえて来た・・・。
        幼くても耳ではなく心で感じていた!
        数十年経った今でもそのシーンも音もはっきりと覚えている。

        その後合計4隻のトロール船に出会ったが皆必ず軍艦マーチで見送ってくれた。
        何度も何度も旋回しながら。

        しばらくすると自衛隊の潜水艦と交差した。
        隊員が甲板に出て旗を振ってくれた。

        1964年 、外国へ行くということは大変な時代であった。

         

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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