道上の独り言
「幼年時代の旅行 第5話 香港は変わった」
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翌日家族3人で街を歩いているとやたらとチェンジ・チェンジと声をかけられる。若い、といっても30代前半くらいの男がしつこく話しかけてくる。為替の闇取引だ。
ドルをフランス・フランに替え、それをまたドイツ・マルクに替えると元の金額の3倍位のお金になった。意味が分からない。
戦後、ドルを買う時は70数円、ドルを売る時は50数円という変な為替レートだった。ある日アメリカの財務省の人間から日本の財務省に「円とはどういう意味だ?」と聞かれ、「円とは丸のことだ」と答えると、丸は360度だから1ドル360円の固定相場でいこう、ということになったんだそうだ。いい加減なもんだ!
その後今のような変動相場制になったのは、たしか1971年だった。今では1ドル100円以下。当時1フランが75円だったのが今では19.5円。このまま行くと円はデノミをせざるを得ない。そうすると中国、アメリカ経済は崩壊すると思う。そして日本の時代が来る。そう日本が輸出で稼いだ金の殆どがアメリカの国債に変わっている。
そんな事はさておき、香港の街を歩いていると必ず「マネー・チェンジ!マネー・チェンジ!」といかがわしそうな人達が寄って来る。紺のズボンに明るい柄の半そでのシャツ。連れて行かれる所は決まって袋小路。そのどん詰まりにある家から更に人相の悪いのが階段を降りて来る。僕は心臓がドキドキする。
男はこっちの札を見せろと言う。お札を渡すとその札をくしゃくしゃにしてまた伸ばす。決してすかしたりしてみなかった。
こんなやりとりをする母を見ながら「よくこんな怖い事をするものだな?」と感心した。そういえば日本にいたとき走っている泥棒を追いかけて捕まえた事のある母親だった。若い頃陸上600メートルで日本チャンピオンだったそうだ。
よほど自信が有るのだろう。小学生の時よく、ほうきを持って追っかけられたが怖かった!
実は薙刀(なぎなた)二段だ!
その後は観光用ケーブルカーに乗って丘の上へ行った。きっとあの有名な映画”慕情”の舞台だったのではないかと今では思う場所である。
その丘を下って行くとタイガー・バーム公園がある。気持ちの悪い、悪趣味な動物や昔の人物をかたどった陶器人形のオン・パレードだ。文化大革命の時通貨の代わりに、中国人はタイガーバームを本土から持ち出して香港で換金したそうだ。
そのタイガーバームの「ホー」一族は今ではシンガポールに移り住んでいる。
タイガー・バーム公園はシンガポールにも有る。そのホーの長男と結婚したのがあき子さんという日本人女性だ。ついこの前亡くなったが姪の結婚式にも来てくれた。
彼女はホーの長男と船旅で知り合い結婚したそうだ。船上では色んなドラマが生まれていた。
33日間の船旅だが実際船に乗っているのは20日間だ。あとの13日は各港で停泊し、その間乗客は観光をする。そのなかでも香港は1日半と停泊期間が長い。そのいかがわしくも不思議な魅力の香港ともそろそろおさらばだ。出航のドラが鳴り響く。
何処で何を食べても美味しかった。
シンガポールのようになった今の香港には何の魅力も感じない。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。