◆◇◆ 本郷孔洋のビジネスの眼 vol.629 ◆◇◆
ある青年が海辺で知り合いの老人に出会った。
老人は挨拶ついでに青年にこう尋ねた。
「おまえさん、漁師になりたいそうだが、
よくそんな気持ちになれるもんだね。
おまえさんのじいさんは漁に出て死んだ。
そしておまえさんの父親もまた、漁の最中に海で死んだ。
それでもおまえさんは海が恐ろしくはならないのかい?」
これを聞いて青年は言った。
「じいさん、あんただって変な人だよ。
あんたのじいさんは家のベッドで死んだ。
そして、あんたの父さんもまた
家のベッドで死んだそうじゃないですか。
それなのによくもまあ、恐ろしがらずに毎日家に帰って
ベッドに平気で寝ていられるもんですね」
(ジョーク集より)
来週もどうぞお見捨てなく!
なんか今の時代で通用しませんか?
→歴史は繰り返さないが、韻を踏む?
(2022年05月26日)
1.日本切り抜き新聞
「日本切りぬき新聞」ともいわれる日経は
「切り抜きされるような記事を」「データに基づいた正確さを」
という社風に貫かれているというが、日経の特徴を示すある
象徴的なエピソードがある。
のちの代議士、石田博英が日経の前身、
『中外商業新報』の記者だった太平洋戦争開始間際のころ、
日米開戦に関する特ダネをつかんだ。
石田は時の編集局長、小汀利得のところへ駆け込んで、
何としてもこれを紙面に載せてくれ、と言った。
それに対して小汀は、
「なるほど、これは確かに特ダネだから、載せるようにしよう。
しかし、今後のために言っておくが、
ウチの新聞は確かに特ダネも多いが、
同時に、たとえ地味でもいいから、読者が毎日、
丹念に切りぬいてくれるような記事を重視している。
それを忘れないようにしてほしい」
と言ったという。
こうした小汀精神を生かしながら、
日経が「経済に関する総合情報機関」をめざして
明確なスタートを切ったのが1969年秋。
当時の社長、円城寺次郎が、社長室長だった森田康につくった
経営三ヵ年計画によってだった。
今週は盛り沢山でまだまだ続きますので、
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『佐高信の筆刀両断』佐高 信 著(教養文庫 1992/02発売)より抜粋