道上の独り言
「幼年時代の旅行 第11話 大国インド」
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先週はやたらと大きい話になってびっくりされた方も多いかと思いますが、
この時代の人たちはよく国家論を戦わせました。
そんなグローバルな視野を持った学生が多かった時代ですが、
実際大学生でヨーロッパに渡ることは並大抵の事ではありませんでした。
そしてそれでもヨーロッパに渡ったのは並大抵の人たちではありませんでした。
すれ違ったベトナム号に乗ってフランスに渡った先輩の安本さんは後年、世界最大の化粧品会社ロレアルの日本支社を起ち上げました。
また、一緒に渡られた大国さんは日本最大の靴の輸入会社を起ち上げ、1990年代には10万円以上の靴を年間10万足以上、100万円以上の靴を1万足以上輸入販売していました。
よく昼間から赤坂の中華料理屋で紹興酒を御馳走になりました。
肝臓を痛められましたが・・・。
お二人とも武道家でした。
我々の船に乗っていた学生で、ホンダのバイクで、パリからエジプトまで行った強者もいたようです。みんな何かにチャレンジしていました。
今の人は何でも知っていると思っていますが、実は書かれている事や言われていることしか知らない場合が多く、それに比べ当時の人は何も知らない事をよく認識していました。そして知りたいと思っていました。そして知るためにリスクを背負いました。
ヨーロッパに武道を広めに行った人も多かった。
最近ある国が剣道の指導員を探しているので見つけてほしいと頼まれましたが結局見つかりませんでした。
三菱重工を途中退社され、ヨーロッパに剣道を広めに行った中島さん
(船中でフランス語をおしえてくれた中島さんとは別人)。
彼は数年後に帰国し、何とまた三菱重工に戻り、しかも役員になっていました。
その彼と「最近は海外に行こうなどと言う人は減ったね~!」と目を見合わせたことがありました。彼は「僕だったら直行くけどね!」
当時の若者は凄かったのでしょうか?
そんな志を持った多くの若者に連れられ、ガキの僕はボンベイに到着。
ボンベイはスリランカとあまり変わりの無い印象でした。
きっとそれはインド人とスリランカ人の肌の色が同じだったからかもしれません。
ただ目つきは全く違っていました。やはり島国と大陸の違いでしょうか?
スリランカの人は人が良さそうで貧しさに同情したくなる感じでしたが、
インドでは怖い目つきをしていた人が多い印象でした。
ヨーロッパではよく冗談で盗むのか騙し取るのか?と言うことがあります。
例えば自転車を騙し取るのがユダヤ人、盗むのがアラブ人。
同様の意味でユダヤ人がインド人、アラブ人が中国人というイメージが強いようです。
それだけインド人は巧妙です。 いずれにせよインドも中国も大国です。
スリランカと違ってボンベイには建物などは多くの歴史的建造物が有ったような気がします。街では宝石よりも香辛料や布などの店が目立ちました。
そして道の両脇に寝転がっている人たちの多い事!人口は圧倒的でした。
数十年後にラジャスタン(インド北西部)へ観光に行った時も感じたことですが文化と言う意味では、さすがインダス文明の名残、といった多くの建造物に目を回したことがあります。
当時日本の国家予算が7兆円と言われていた時代に資産24兆円の旧マハラジャがいたそうです。「世界の金持ち5人」と言ったときその内2人はインド人、2人は華僑と言われていますがその額たるや想像もつきません。
20年前にあるインドのお金持ちと会った時のこと、女性の拳ぐらいの大きさのエメラルドを数十個見せてもらいました。世界一の宝石商(当時のハリーウィンストン)も足元にも及ばない!
しかも彼は一度も売った事が無く、ただ買い続けているそうです。
世界十数箇所で展開しているマンダリン・オリエンタルはトップ・ホテルグループです。そしてマンダリン・オリエンタルはジャディン・マディソン(旧東インド会社、アヘン戦争で儲けた会社)という世界最大級のグループ会社の100%子会社です。
勿論親会社の100分の一以下の規模ですが。
おそらく世界で一番貧富の差が激しいのがインドだと思います。
町で見えてくるのは貧しさばかり。
そんな印象をあとに船はジブチへ。
ボンベイへ着く前日見た映画は「ポンペイ最後の日(ローマ帝国が舞台の映画)」。
ボンベイ出航の際にポンペイ最後の日と絵葉書に書いて送られた人の何と多い事。
途中皆さんどちらがインドでどちらがローマ帝国か分からなくなっていたようです。
続く
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。