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        第39話 「フランス・アルカッションでの生活5」

        ________________________________________

         

        僕は父のような我慢強さがなく、相変わらずしょっちゅう喧嘩をしていた。

        日本人が全くいない南仏高級避暑地Arcachon(アルカッション)の高校で毎日のように喧嘩をしていた。

        僕の高校では給食にオードブル2種類。ソーセージなどの肉類に野菜、魚等。

        メインは牛肉主にステーキの後に魚か鶏肉の2種類、偶にうさぎ。

        その後エンダイブのサラダ、生野菜とラタテゥイユなどの温野菜、それにポテトかご飯。 デザートは果物と甘い物(ケーキなど)。

        その後がキャフエ(エスプレッソ・コーヒー)と豪華だった。

        料理だけで6品、さらにデザート、コーヒーが3品。

         

        どう考えても他の学校の給食よりも2品多かった。

        昔、特にフランスの田舎は食生活が贅沢だった。 それに、何と日本では考えられないが8人掛けの各テーブルに白ワインと赤ワインが1本ずつ付いていた。 まるで高級レストランLysee Grand Air D’Arcachon ( 空気の澄んだアルカッション中高校)。

         

        いわゆる喘(ぜん)息もちの体の弱い生徒の為の学校だったが、実際にはコネで入った生徒ばかりで、体の不自由なものは皆無。そうだ、フランスはコネ社会だった。

        僕は父が不当な税金を徴収されていると聞き、たくさん食べて取り返そうと。 相変わらず馬鹿だった。

        必ず端に座り料理は2~3人前を取ってしまうので、いつも喧嘩になっていた。 口癖は「僕のお父さんは沢山税金を払わされているから」だった。

         

        注意する舎監(寄宿舎監督人)や先生と暴力沙汰になる事もしばしば。

         

        しかし僕に「おじさんはインドシナ戦争に行った事があるが、アジア人は御飯が好きだ」と言って 30センチの皿に山盛りバターライスのお代わりを持って来てくれる良い給仕のおじさんもいた。 僕は敵地で厚い看護を受けた気持ちだった。

        いくら食べてもお腹がいっぱいにならない年頃だったので嬉しかった。

         

        そんな中フランス人からお前は人種差別をしていると言われた。その時 はっと思った。自身でもその通りではないかと思ってしまった。 フランス人は人種差別をしていると感じ思いこんでいる内に自分自身が、いつの間にか日本と言う旗を背負って戦っていた。 1対1の喧嘩がいつの間にか僕対複数、僕対フランスの喧嘩になっていた。

         

        フランスと言う国は多くの外国人をヨーロッパのどの国よりも受け入れているが、その受け入れ態勢に問題が有るのだと思う。 現在でもアラブ人が黒人以上に差別されている。それはアラブ人達にロクな仕事が回ってこなく、悪事は貧困の中から生まれてくる場合が多い。

         

        フランスは多くの植民地を抱えていたが、それらの国が次々と独立して行き、ドゴール大統領からポンピドー、ポンピドーからジスカール・デスタン、ジスカールデスタンから 社会党のミテラン大統領に変わってからは多くの外国人の移民を受け入れてしまった。

        ドゴール時代からは中国移民、ベトナム難民は相当数入ってきていた。

        ドゴール大統領は最もフランスを愛した男ではないかと言われる一方、 多くの国を独立させ多くの移民を受け入れたが、その頃のベトナム人中国人はフランスに特化し馴染んでいた。

        一方でアメリカの覇権主義に真っ向から反対した。1960年代から着々とフランス中のドルを集めポンピドーの代(1971年)にドル紙幣を貨物機に乗せ何便も飛ばし アメリカに返還させ金との交換を要求した。ここで起きたのがニクソン・ショック。金本位制の崩壊である。フランスはアンチ―アメリカの様相が強かった。

         

        フランスの冗談:

        ブレジネフ(ソビエトの書記長)が

        「神よどうかあのまやかし資本主義のアメリカをこの世から抹殺したまえ!」

        ニクソンが

        「おお神よ共産帝国主義の悪人どもをこの世から抹殺したまえ!」

        神がドゴールに

        「貴方は何がお望みですか?」

        ドゴール曰く

        「-何もありませんブレジネフ書記長とニクソン大統領の願いを聞き入れてもらう以外には・・。」

         

        ドゴールは立派な大統領であったが、歳には勝てず、1968年にパリ5月運動(5月革命)が起こった。 交通遮断、食料は途絶える。 町では石畳を掘り返しバリケードが築かれ火炎瓶が登場。

        何とこの暴動は世界的なもので、まずはアメリカのカリフォルニアバークレイ校で起こり、日本では全学連の運動が活発化した。 ただフランスは革命を起こした国、多くの労働者も賛同した。 ガソリンは買えない。勿論たばこ、水、も。

         

        パリでは至る所でCRS(機動隊)との衝突。しかも何日も続いた。

        フランスではMouvement de Mai 5月運動と言っていたが、日本では5月革命と訳されるほど過激だった。

         

         

        当時全世界での個人金保有高の半分以上はフランス人が持っていると言われていた。 地方で家を取り壊すと壁から金貨がザクザクと出て来ることが多いとまで言われた。

         

        ドゴールが大統領の職務を辞してからフランスには優雅さと言うものが失われて行ったような気がする。

        そんな中ヒッピーなどと言う種族も登場、大きく世の中が変わりつつあった。

         

         

         

         

         

         

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

         

         

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