2022年11月13日
今週の所感
村田光平(元駐スイス大使)
11月9日 日本の再出発の手引き(黒川清著)その1
皆様
前国会事故調委員長黒川清著「考えよ、問いかけよ <出る杭人材が日本を変える>」(毎日新聞出版)が出版されました。
素晴らしい名著です。
厳しい忠告に満ちておりますが日本の再出発のための最高の手引きです。
同書の構成は下記4章です。
1.時代に取り残された日本の教育現場停滞から凋落へ向かう日本
の科学技術
2.停滞から凋落へ向かう日本の科学技術
3.「失われた30年」を取り戻せるか
4.日本再生への道標を打ち立てる
各章で特に注目される指摘を紹介させて頂きます。
第1章「知識を用いて議論する、家が得る、これこそが人間の
真の賢さであり、それを施すのが高等教育です」
大学の第一の責務は商売のやり方を教えるのではなく叡智を授けることである。専門的な知識を仕込むのではなく人格をはぐくむことだ」(ウィンストン・チャーチル)
歴史から学ぶ「叡智」と「哲学」こそが大事なのです。
自らの頭で考える経験を積んでいる海外の真のエリートたちと、
コンセプト(発想・概念)では勝負になりません。
第2章 日本の論文数の伸び率は約4%。主要国の中で唯一横ばいです。
(続く)
11月10日 日本の再出発の手引き(黒川清著)その2
皆様
第2章から続きをお届けいたします。
第2章 停滞から凋落へ向かう日本の科学技術
日本の論文数の伸び率は約4%。主要国の中で唯一横ばいです。
日本の研究現場は家元制度に近い。もっと他流試合をさせなくてはならない。
学生諸君、大学院は海外に行きましょう。
日本の科学研究力を復活させるためには、若い研究者に海外に出るチャンスを
出来るだけ多く与えることです。いったん外に出てみれば、若者は巨樹の研究をサポートするのが仕事だとされている日本の家元
研究室のおかしさに気づき、これをぶち壊してやろうという
気にもなるでしょう。
国の科学研究力を図るには質的観点として「トップ補正論文数」が重要となりますが、
主要先進国で唯一この30年間にこのシェアを減らし続けているのが日本です。
日本の成功と失敗の体験は科学技術を国家観の中に取り込み、
政策理念としての基盤を築くことには寄与しませんでした。
「日本の近代医学の父」と言われたドイツ人医師エルウィン・ベルツ先生の苦言「日本では科学の成果を引き継ぐことだけで満足し、この成果をもたらした精神を学ぼうとはしないのです」は放置され、この病巣は存在し続けております。
第3章「失われた30年」を取り戻せるか
(続く)
11月10日 日本の再出発の手引き(黒川清著)その3
皆様
第3章の続きをお届けいたします。
第3章「失われた30年」を取り戻せるか
2022年8月末時点で時価総額の世界一はアップルで2.5兆ドル日本のトップ企業であるトヨタ自動車は時価総額0.24兆ドルで
40位、ほんの数十年で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が見る影もなくなってしまったのです。すでに時代が変わっているのに
古い「モノづくり」からかたくなに脱却しようとしない日本が時代に取り残されていくのは必然です。物質的な資源に乏しい日本は
知的財産を資源として世界経済に打って出なければならない筈です。そのために動かない・動けない日本の企業と大学には中長期的なビジョンとイノベーションが欠乏していると言わざるを得ません。
イノベーションの本質は新しい社会的価値の創造です。
イノベーションを支えるのは出る杭とされる人材です。組織や肩書にとらわれず、失敗を活かし、経験を積み「異能」を押し通し世界を大きく変えることに成功した人達です。
日本で「出る杭人材」が十分活躍できない根本的原因は世界でも
類を見ない人材流動性の低さにあります。日本の企業人には「会社を移動することは、日本の社会制度からの脱藩である」という認識があります。タテに拘束されヨコに動けない組織・社会では上司に忖度するようになります。
時代は「形のないものに形を作って行く」というパラダイムに
シフトしております。
必要とされるのは一球ごとに考える時間のある野球型ではなく、
状況に応じて動き続けるサッカー型の人材です。
日本はサミット(主要国首脳会議)で常に「ヘルス」という視点を打ち出し「健康問題は世界が一丸となって立ち向かうものである」と提案してきました。課題へのモデルを構築し世界に示すことが
出来れば世界に売れる商品となる筈です。
日本人が日本土記事の医療制度を世界に示す。そして、医療費高騰という課題を解決して見せれば、これは「健康大国日本モデル」と呼ばれ、世界がお手本とするものとなるでしょう。
第4章 日本再生への道標を打ち立てる
(続く)次回最終回は黒川清先生が委員長を務められた福島原発事故に関する国会の独立調査委員会報告に関するものです。
11月12日 日本の再出発の手引き(黒川清著)その4
皆様
第4章の続きをお届けいたします。
第4章 日本再生への道標を打ち立てる
国内外で事故の分析と調査が急ピッチで進む中、海外の友人や知人らのコメントから「日本政府と産業界は『真実』を隠しているのではないか」という疑念が世界中に広まりつつあるのを肌で感じました。
震災から半年がたった2011年の9月末、ようやく国会事故調査会の発足が決まりました。そして12月8日、「約6ヵ月後までに
結論を出す」ことを求められました。このような民間人による独立した調査委員会が設置されるのは、日本の憲政史上初めてのことでした。
同国会事故調は20回の委員会のほか関係者延べ1167人を対象としたインタビューや聞き取り調査、1万人を超える被災住民アンケート、計3回の海外調査などを実施しました。
そして2012年7月5、「地震と津波による自然災害ではなく、明らかな『人災』である」と結論づけた報告書を国会に提出しました。そしてこの冒頭で、事故の背景に「規制の虜」という概念があることを明示しました。
調査で判明したのは、規制する側である経済産業省や原子力安全・保安院、そして立法府までも規制される側である東京電力に取り込まれ、原子力利用の推進を前提として東京電力の利益のために機能するようになっていたということでした。
日本のメディアにも大きな責任がありました。規制当局と電力会社の説明を垂れ流しにすることで済ませ、自ら調べて監視していくという姿勢は見られませんでした。このような原子力発電の利権によってなれ合った産官学とメディアは、総ぐるみで「原子力ムラ」と揶揄されています。そして「規制の虜」という状況が原子力ムラという異常な社会構造を支え、原子力政策において「日本の原発では過酷事故は起こらない」という楽観主義がまかり通ることになったのです。
(続く)
11月12日 日本の再出発の手引き(黒川清著)その5
皆様
第4章の続き(その2)をお届けいたします。
電力会社は原発の状態をその時々の適正な国際レベルに整合させる必要があります。2006年原子力安全保安院は指針を改定し全国の事業者に耐震バック・チェック(安全性評価)の実施を求めていました。東京電力は耐震バック・チェックをほとんど行わず、最終報告の起源を2009年から2016年まで実に6年半も先送りしていたのです。
さらに、数少ない「チェック」箇所が「フィット」しているかも
明確にしませんでした。
「安全神話」のシナリオはフィクションでしかなく、根拠のない
願望にすがって安全対策を放置し、その放置した箇所が大事故を
起こしてしまったのです。きっかけは地震と津波だったかもしれませんが、事故が「規制の虜」によって起こった「人災」であることは異論の余地がないでしょう。
586頁の国会事故調報告書は以下の提言を行いました。
1.規制当局に対する国会の監視
2.政府の危機管理体制の見直し
3.被災住民に対する青婦の対応
4.電気事業者に対する征夫の対応
5.新しい帰省組織の要件
6.原子力法規制の見直し
7.独立調査委員会の活用
日本の原発体制はあれだけの大事故から10年以上が経っても何も変わっていないのです。
国会事故調として取りまとめた分厚く、かつ中身の濃い報告書は
この10余年ほとんど顧みられないまま棚ざらしにされ続けています。
原発を再稼働させるためにはIAEAが基準として定める5層の
「深層防護」が絶対に必要です。
IAEAの日本担当官が経産省の官僚に「どうして日本は深層防護をやらないのか」と問い合わせたところ、「日本では原発事故は起こらないことになっている」と返答されたといいます。
日本の脆弱さは世界にはとっくにバレていたのです。
このままだれも責任を取らず、失敗から学ばず、改革のための具体的な行動を起こさなければ、また同じような事故が繰り返されるに違いありません。
(続く)