「古武士(もののふ)第32話 嘉納履正との面会」
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本当の柔道の未来を危惧する道上は三回の面会申し込みのすえ
ようやく嘉納履正講道館館長と面会出来ることになった。
しかし、嘉納は表敬訪問と勘違いしたかのごとく、20分でそそくさと席を立った。
道上には、ヨーロッパ柔道界の趨勢、段位の問題、そして何よりも柔道そのもののあり方など、語るべきことは山ほどあった、が
嘉納は、「6月初めにアテネのIOC(国際オリンピック委員会)総会出席後、フランスへ回るから、その時十分話し合おう。
自分の方から連絡する」 と言って、会見を打ち切った。
道上から見れば、嘉納履正は柔道の経験が浅い事はともかく、
全柔連会長として国際柔道界に対して何の発言力、指導力も発揮できないことが歯がゆかったのである。
履正の父・嘉納治五郎は少なくとも、国際社会に対して積極的に
発言して政治力を発揮し、それ故に指導者としての敬意を受ける
事が出来た。
道上自身も終生、深い敬意を失わなかった。
それに引き換え履正(さらに履正の後を継いだ行光)は、柔道そのものにみるべきものがない上に、国際的な政治力すらない。
彼らの人柄は別として、また百歩譲って、本人というより側近の
怠慢であることを認めるにせよ、 それに安住して置かれた立場の責任を果たし得ないことへの道上の失望は大きかった。
激動のヨーロッパ柔道界で戦っている道上と、御家元制度などと称して胡坐をかいている履正との隔たりは大きかった。
六月初旬、失意のうちにすでにフランスへ帰っていた道上の耳に、嘉納たち一行がフランス、ベルギーを旅行中である、という情報が入った。
ところがいつまで待っても何の連絡もなかった。
それどころか、嘉納たちが帰国してしばらく経って、オランダ柔道連盟から道上に一通の質問書が届いた。
あるオランダ人が嘉納の側近および講道館のヨーロッパ派遣員とベルギーで会ったが、その時に話された内容が事実かどうか、問い合わせたものだった。
「道上は講道館の正式な免許を持っているものではない。
今春講道館館長を訪問してきたが、門前払いを食った者である」という話の真意を訪ねた上、 「オランダ柔道連盟が今後も引き続き道上を最高技術顧問にし続けるのであれば、講道館はオランダ柔道連盟に対して一切の援助を与えない。
道上を最高技術顧問から外せば、神永のような優秀な指導者を派遣する」ということだった。
明らかに成長著しいオランダ柔道連盟、特にヘーシンクと道上との分断を狙ったゆさぶりである。
道上は怒りに震えながらも、誠実に質問状に答えた。
そして、「講道館がそのような方針なら、自分はいつでも当連盟と縁を切ることにやぶさかでない。オランダ柔道連盟が正しく発展することのみを祈っている」と記し、サインした。
連盟の幹部やヘーシンクをはじめとした選手たちは、
「オランダ連盟は、過去において一度も講道館から援助を受けたことはない。
それをなんだ、オランダ連盟に対して今後一切の援助を与えないとは、 言いたいやつには言わしておきましょう。
私たちは講道館から学ぶものは、何一つない。
日本の柔道で学ぶものがあるとすれば、警視庁武道館に残る武士道そのもののような鍛錬、言葉で言い表せないあの緊張した雰囲気のほかにはないのです。
私たちはここにあの雰囲気を作り、あのような気持ちになって修行し、必ず選手権を獲得し、いたずらに政治をもてあそぶ連中に反省を求めることにしましょう。」 と逆に道上を励ました。
そしてオランダで、また道上の住むボルドーの道上道場で、世界選手権を目指して鍛錬に鍛錬を重ねたのである。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。