私の履歴書 ビジネスインテリジェンス事始め
2023年8月11日 中川十郎
(6)大学への転身
NY駐在中、当時の米国は日本との貿易不均衡を解消しようと日本への輸出拡大に熱心で、JETROを通じ、米国各地で対日輸出拡大策セミナーを開催していた。ブラジル・リオデジャネイロ駐在時、仕事で関係があった宇部興産の谷本NY社長、JETROを代表する、通産省出身の佐藤所長などと米国各地での輸出拡大策セミナーに講師として参加した。
大学での講演も会社の得意先から依頼が殺到した。ニュ―ヨーク大学、シラキュース大学、
ロチェスター大学、ペンシルバニア市立大学、フロリダ大学などで講演した。
ロチェスター大学、ペンシルバニア市立大学での講演後、担当教授の自宅に夕食に招待された。書斎で天井までうず高く積み上げられた本棚の本に圧倒された。世の中にはこのようなアカデミズムの世界があることに、30年近く商社で金もうけに奔走していた商社マンとしてうらやましく感じた。ペンシルバニア市立大学の教授宅に招待されたとき、同じく奥様も教授として学究の道を究めておられることを知った。夕食後、庭園で談笑していた時、ご夫妻から大学で国際経済、貿易論を講じることを考えたらどうかと勧められた。
その後、日本に帰国し、スエーデンのルンド大学での講演の後、 デジエル博士から夕食にレストランに招待された。その席で、大学に移り、ビジネスインテリジェンスを本格的に研究することを強く勧められた。ニチメン(現双日)で2年先輩の守誠氏は会社でも英語力が抜群で、羨望の的であった。経営学で著名なドラッカー教授が来日した時、対談をし、その記事が中央公論に出て、驚いた。守誠氏は商社時代から著作を多く出版しており、なかでも『窓際族』の本は評判になった。モスコー駐在後、筆者と同じ業務本部で活躍。ロシアのダイアモンドを日本に初めて輸入するなど活躍された。鹿児島出身のニチメン女子社員を奥様に推薦したことから、個人的にも親しくご指導を頂いた。 筆者が海外20年間の駐在から帰国したときは、大学教授に転出しておられ、会社には20年も海外駐在で貢献したのだから、定年前に大学教授に転向し、これまでの海外ビジネスの経験を大学生に伝えることを真剣に考えよと強くアドバイスされた。たまたま一年後輩が人事部に勤務していたので、大学から商社マンを教師に招くところはないか極秘で調査を依頼した。
唯一、名古屋の愛知学院大学が国際物的流通論と貿易英語の教授を公募していると教えてくれた。応募締め切りが7月で、面接が10月だとのことで徹夜で応募書類を作成。ぎりぎりの締め切り日に投かんした。結果、面接を経て最終採用が1992年1月に決定。2月に
日本ビジネス競合情報専門家協会発会式を挙行。3月末にニチメンを中途退職、4月から愛知学院大学に転職することになった。筆者は商社33年、大学32年、ビジネスインテリジェンス研究32年の3足の草鞋を人生で経験できたことを無上の幸せと感謝している。