「古武士(もののふ)第41話 他の追従を許さない存在」
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道上の毎日は規則正しいものだった。
そして厳しすぎるほど自分に厳しい人間だった。
早朝目が覚めると自宅を隅々まで掃除し、洗濯を済ませ、いついかなる事が起きようと すぐに対処できるように準備されていた。
身体にも気を使っていた。
ボルドーの住まいは何度か変わったが、わざわざエレベーターの
ついていない4~5階を選んでいた。
古傷の膝が動かなくならないようにと考えてのことだった。
父安太郎の教えは「32の歯で32回噛め」。食事には時間が掛かった。
なるべく消化の良い物を選んで食べた。
しかも身体が資本の為かよく食べた。
オードブルからデザートまでの食事だが、メインのステーキなどは2kg以上、 鶏肉など一羽丸ごと食していた。
一羽と言っても日本のブロイラーなどに比べると 約3~4倍はある大きさの、放し飼いにされている鶏だった。
大食いの愚息も同じ量にチャレンジしたが消化不良を起こしてしまった。
鶏肉料理のあとに大皿で好物のおじやを二皿。
道上の手料理は実に美味かった。
身体が資本の者たちは食通でもある。
愚息がいるときは 作るところから、後片付けまで観察させた。
まさに無駄な動きの無いものだった、一人生活の長い道上は
掃除夫、コック、お手伝いさんの役をすべて自分でこなしていた。
外で食べるとどんな危険が潜んでいるか分からない。
下剤を混ぜられることも、いや、毒を飲まされることすらある。 よく噛んで食べるのは消化の為だけではなく、人よりも一歩遅く飲み込む用心が身についていたのかもわからない。
愚息は後にボクシングの元ジュニア・ウエルター級世界チャンピオンの平仲さんから聞いたことがある。
「海外遠征には電気釜とお米を持っていき、招待を断り自分で米を研いで食べた。 招待の誘いにのったセコンド、マネージャ達が極度の下痢に見舞われる事は日常茶飯事であった」と。
戦う者は普段から細心の注意が必要だ。
ましてや師である道上は、立って物を食べたり歩きながら食べたりするようなことは生涯なかった。
親の教育でもあるが、品位に欠ける事が出来ない人間の性分だ。
愚息は気の優しい道上の弟、武幸が大好きだった。
一度愛媛県八幡浜市の生家でその叔父と寝酒をした。
翌朝道上に見つかった二人は、人の子とは思えないような罵倒を浴びた。
道上には許せなかった。
社会的地位や国籍にこだわりなどない道上だが、
家族がだらしない生き方をすることは絶対に許せなかった。
関西学生柔道連盟の会長は、「道上先生は自宅に帰った時、誰も見ていない所で、そうとう気を抜いているはずだ。
そうでなければ神経がもたない」と言っていたが、それは彼の価値観であり道上にとってあり得ない話だ。
時代劇で忍者が天井から城主に吹矢を浴びせる際、 自ら布団でよける様があるが、まさにそれは道上を想起させるシーンだ。
いついかなる時にでも気を抜く事はなかった。
寝ている時でさえ。
愚息は何度か木刀で道上を背後から襲おうとしたが出来なかった。スキが無いのである。
ダメな自分はいつか道上に殺されるのではないか、殺される前に殺してやろう、と思ったがついにできなかった。
格が違った、すさまじく恐ろしい男だった。
所詮そのへんの喧嘩の強い小僧と超一流のプロとの違い。
道上が醸し出す迫力に愚息は一睨みされただけで下痢をしていた。
世界チャンピオン級の柔道家が道上の一睨みで涙を流しているさまを愚息はたびたび見た。
道上が道場に上がってくるまで物音ひとつ立てずに皆正座で待っていた。
ヨーロッパ、アフリカでは道上の事をLe Maitre と呼んでいた。
Maitreとは先生。Leが付くと唯一と言う意味になる。
訳すると教祖であり、他の追従を許さない存在だった。
次回は「類稀なる声」
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。