「古武士(もののふ) 第48話 朝市」
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ボルドーでの道上は毎日自炊であった。
週に3回広場に朝市が立つ。何十年も通い詰めた「なじみ」の店でいつも買っていた。
“Place Des Martyrs De La Resistance”の出来事だった。
なじみのおばさんからは
「先生お元気ですか、いつもありがとうございます。この前新聞で先生を拝見しましたよ」 「先週は家族と一緒に先生をテレビで拝見しましたよ」。
ボルドーだと“Place Des Martyrs De La Resistance ”に市場が立つ。
当時は週3回。
買いそびれると八百屋、魚屋は別としてBoucherie で牛肉類、 Charcuterie は豚肉をはじめ牛肉、馬肉以外のパテ、リエットとなんでも売っていた。
Chevaline は馬肉。
フランスで強い人気を保持していた。
馬肉は熱が出ると肉で頭を冷やしその肉を食べると身体が温まる。
しかもコレステロールの少ない赤身肉だ。
そしてBoulangerieの 熱々で美味しいパンは
朝の5時過ぎからお店が開いていた。
しかし道上はパン以外殆ど朝市で買っていた。
肉はいつもの肉屋で2~3キロを週2~3回。
しかし50歳代後半になると一回買ったもので1週間持たせたそうだ。
と言うよりも2~3キロを週3回も食べなくなっていた。
そのことをアシスタントの清水猛に漏らす。
皆は道上を怪物だと思い続けていた。
野菜はじゃがいもにニンジンを圧力鍋で蒸す。身体が肉を必要とするが、
肉は毒素が多い。 その毒素を和らげてくれるのがじゃがいもだ。
じゃがいもが南米から伝わってくるまでヨーロッパでは14世紀
15世紀と戦争をするたびに数十万人の民が餓死した。
南米から伝わって来たじゃがいも、とうもろこし、トマトはいずれも肥沃ではない土地でも作れた。 特に西南の地アキテーヌ(ボルドー地方)は湿地帯でピレネ山脈に向かって約400キロにわたりとうもろこしを植え、松林を作った。
しかもじゃがいもは肉には欠かせない。
日本ではよく胃が痛い時にキャベツと言うがじゃがいもの皮をむき、生でかじってみて下さい。 十二指腸、胃潰瘍 驚くほど痛みが止まります。是非一度試してみて下さい。 ヨーロッパではじゃがいもは欠かせない存在となっています。
消化を助ける必需品であるじゃがいもを道上は殆ど蒸した状態で食べていた。
自宅でじゃがいものフライを食べている姿は見たことがない。
牛肉は赤身肉を(saignant血の滴る)ミデイアム・レアで見事なほど綺麗に脂を取り除き肉の部分だけを食べていた。
身体が欲求していたのだろうが、不必要なものは食べなかった。
そしてラディッシュを塩で、レタスをレモンとオリーブオイルで
その後だしを取って作ったオジヤを食べる。
その後チーズからフルーツにコーヒー。デザートはあまり食べなかった。
その食卓に欠かせなかったのがシャトー・ラ・ジョンカード(ボルドー・赤ワイン)。
白、シャンパーニュを飲んでる姿は見たことがない。
しかも流し込むのではなく、味わってゆっくりと飲んでいた。
まるで食する事は仕事の一環のようでもあった。
時にはマナーについても語った。
フランス人は料理を流し込む。日本人の様に喰らい込むのではなく、音を立てないで食するのだと。
そのせいかフランス人はあまり歯が減らない。
よく噛まないのだ。フランス人の消化能力は驚きに値する。
道上の歯は長さが三分の二に成っていた。顎は異常なほど発達していた。
よく噛むからだ。
愚息は噛み過ぎると味が無くなるのではと懸念していた。
ナプキンで洋服をカバーするのは子供のやることだ。
フランス人は左ひざに乗せるだけ。 飲んだ後拭くのではなく 飲む前に拭くのだ。
グラスに食べたものの匂いが残らないように。
本当は下品だが口に未だ食べ物が残っているうちにワインを飲んだ方が美味しい。 口に残っている食べ物の余韻が残っているうちにワインを飲むとその味わいが料理一つ一つと混ざりそれが美味しい、 と言いつつ、決して愚息にはワインを飲ませてくれなかった。 その反動で愚息は隠れてよく飲んでいた。
ささっと食事をかっ込んでごろ寝をするのが常である愚息にとって、道上との食事は一番の苦痛だった。
道上との食は儀式だった。
もし道上に好き嫌いを言おうものなら食事は抜きになってしまう。
食べ物をこぼすと拾って食べる、でなければ食事は抜き。
ご飯粒をこぼせば目がつぶれると言われた時代の人間だった。
肘は身体から離れず、腰掛にもたれず、まっすぐの姿勢での食べ方はフランス人もエレガントだと言って絶賛していた。
様式美は食事にも表われていた。
料理作り、食事その一挙手一投足は無駄がなく、皿に盛られた料理は何回口に運んで食べるのかが分かるほどだった。
洗い物も素早く洗えるような計算された使い方であり、当然のことながら流しに皿、鍋が積み上げ置かれている事は一度も見たことがない。
特別なお客様がお見えにならない限り、あまりこねくり回した料理ではなく、非常にシンプルで消化のしやすい物を作って食べていた。
そのかわり食材にはこだわっていた。
肉は解体して3週間たったもの、野菜は朝採ったものか夜とったものかまで気にしていた。 偶には直接口に入れ味見していた。
朝物と夜物では味が違った。
だから味付けはシンプルだった。美味しい塩に美味しいコショウで十分だった。
当時は全てがオーガニックだった。
「どうだお父さんの料理は美味しいだろう」
世辞の言えない愚息もこの時ばかりは、
「はい、本当に美味しいです」
毎回毎回、料理を作っているところと後片づけを立って横で見ていないといけないのが無ければ、と心の中で呟いた。
料理は美味しかった。だがいつも緊張の連続だった。
あまりにも無駄のない動きをするものだから・・・。
いつの世も偉大な親を持つと子供は苦労する。
次回は「お正月」です。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。