「古武士(もののふ) 第61話 ボルドーの歴史」
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25年前愚息雄峰の事を友人に「彼はボルドーの田舎者」と言って紹介された。
15年前TV大阪社長からTV東京の番組アナウンサーの方に、「ボルドーで幼年時代を過ごした男」と紹介され、その時彼女に「わ~素敵~」と言われた。
確かに20年前からのワイン・ブームでボルドーも有名になった。日本の赤ワインの90%はボルドー産だった。
だがボルドーが1914年、1940年の二度にわたってフランスの首都だった事を多くの日本人は知らない。
ボルドーのワインの歴史は、フランスの歴史と非常に強く結びついている。
ある文献によると、ローマ人がゴールを征服した時(※)に、ブルディガラ(ボルドーの旧名)の地で ブドウ園を見つけたとされている。 (※フランスの旧国名、ゴロワ(ガリア)人はゴールの住人) ブドウ園の存在は、ワインを輸出する港の存在へと大きくつながっていく。
紀元1世紀ごろ、ボルドーのワインはイングランドを含むローマ帝国全土に輸出されていた。
ゴロワ人は大酒飲みだと見られていたので、ローマ人はそのワインを薄めるために水を加えていた。
当時まだ瓶が無い時代、ワインは陶器に詰められ馬車で運ばれていたが、舗装されていない道でよく割れた。
その為に陸路よりも水路が利用されたため川辺にワイナリーが発展を遂げた。
ボルドーはジロンド川という大河が大きく航海船の運航に寄与した。
上流へ75キロ遡るとドルドーニュゥ川と、ガローヌ川に分かれるが、その川沿いにボルドーという町が繁栄していく。
その分かれ目にブール( Bourg)という地がある 現在のコート・ド・ブール地区である。
セルト(ケルト)人兵士によって運ばれて来た葡萄が改良され、寒さにも強いビテイス・ビテュリカ(Vitis Biturica) というカベルネの元祖のような葡萄によって作られた。
道上が愛飲し続けたChâteau La Joncarde は このコート・ド・ブールを代表するものである。
特筆すべきは 12世紀に、アリエノール・ダキテーヌ(今のボルドー地方)皇女がパリのフランス・ルイ国王と結婚する。
さて、敬虔王ルイに対しアリエノールは奔放な性格。
二人の性格はやはり合わず、離婚。
どうやらフランス国王は今で言う草食人間だったようだ。
ところがなんと3ヵ月後にアリエノールは11歳も年下のアンジュー伯アンリと恋に落ち、わずかの間に電撃婚してしまう。
そして2年後、アンジュー伯アンリはイングランド王をも継承し、プランタジネット朝の始祖となるヘンリー2世に即位した 。
アリエノールはフランス王妃の後、イングランド王妃となり、2つの王朝の王妃を経験した稀有な存在となった。
この結婚によって、アリエノールは実家の領有地であるピレネーから北はスコットランドに接するまでの広大な領土を王と共に治めることになり、 ボルドーのワインは瞬く間にイギリスに広がっていった。
それまで不味いワインを飲んでいたイングランド人は、ボルドーのワインに大喜びしたということであった。
この歴史的出来事がボルドーのワインの名声を高めるのに一役買ってくれたというわけである。
この時期の輸出は、後に国際的な容量の単位となる、900リットルの樽でなされていた。重さはなんと999キログラム。 1トンという単位はここで生まれた。
トン(Ton ) とはフランス語で樽を意味する.小さな樽 トノ ( Tonneau )。
この時期のボルドーワインの一番の顧客はイングランド人だった。
12世紀の時点ですでにフランスよりも外国に多くワインを売っていたのだ。
全数量の85%がイングランドと北欧の国々へ輸出されていた。
ボルドーの葡萄園にクラレットと名付けた(※)のはイングランド人だ。
※Bordeaux clairetの名称は、クラレットへの敬意の形だ。
クラレットは薄い透明感のあるワインでロゼワインなども含む。
ヘンリー2世とアリエノールは多くの子供をもうけたが、イギリスとフランスの広大な領地を管理するヘンリー2世とエレオノールは別居が多く、後に離婚。
父母両陣営に分裂した子供を巻き込んでの王位継承の確執を引き起こした。
最終的には二人の愛が冷めた頃に生まれ、父であるヘンリー2世に溺愛されたジョンがプランタジネット朝を継いだが、 彼は失政王・失地王として有名になった。
なぜならイングランドにおける大陸の領土をことごとく失ったから。 しかしその反面、ボルドーを手厚く優遇したため、ボルドーにとっては大恩人と言えるであろう。
実のところアリエノールはロワールのアンジューにほとんど滞在し、吟遊詩人など宮廷文化の華を開かせた。 ヘンリー2世も元はアンジューのル・マン出身。
おそらくブルゴーニュやシャンパーニュ地方のワインを愛するフランス王に対して、アリエノールやヘンリー2世はロワールワインを愛飲していたのではないだろうか。
カペー朝のシャンパーニュ、アキテーヌ公のボルドーと南西地域、アンジュー伯のロワール。 どれもワインの産地ばかり。
フランスの歴史とワインの深いつながりを感じざるをえません。
次週は近代のボルドーをお伝えします。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。