「古武士(もののふ) 第64話 ボルドーの葡萄酒」
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以前にも書いたが、
道上はヨーロッパと日本の貿易許可書を長年にわたって独占的に持っていた。
猫に小判だったがボルドー中のワイナリーから、先生日本へ輸出して下さいとワインを持ってくる。
ボルドー中のワインは全て飲んだと言っていた。本当だろう。
当時の生産者数は今の10分の1にも満たない数であった。
1990年代のある日、愚息が「お父さん、今ボルドーで高い葡萄酒は3万円以上するのもあるのですよ。」と言ったところ 怒ったような口調で 「そんな事はない!馬鹿な事を言うもんでは無い。」愚息はまた叱られた。
実際にはもっと高いワインもあるがそれ以上の事は言えなかった。
フランスでワインの格付けがどうのこうのなどと言い出したのは
1980年代に入ってからのことである。
それまでは安いワインと高いワインの差があまりなかった。
道上に言わせれば、何万円もする葡萄酒があってたまるか、だった。
いったいいつから投機の対象になったのだろう。
1857年オイディユム(うどん粉病)の発生と共に1855年から格付けの一部が始まった。
それに伴って産業革命と共にネゴスィアン(仲間取引業者)が誕生。
彼らによる先物取引が始まったが全くもって一部の業者間のみであって、一般の人間が、プリムール(先物の樽買い)がどうこうなどと言うことはなかった。
ちなみに世界で一番最初に、先物取引が行われたのは日本で、しかもお米であった。
1980年代から大手格付けワインの値段が吊り上がっていった。
オークションで破格の値段がつき、それらの事柄が宣伝になったのだろう。
世界中が皆ワインを飲んでいたわけではなかった。
ドイツ人はビール、アメリカ人はビールとバーボンそれにジン、ロシア人はウオッカ。
世界で一人頭一番ビールを飲む国がオーストラリアだと言う。
愚息も世界中廻ったがフランス人の様にワインを飲む人種は、
昔は、いなかった。
貧しいイタリア、スぺインなどではワインを毎食飲む習慣は当時無かった。
全世界の生産量の大部分がフランスで生産され、その半分以上がフランス人の胃袋に入っていたのではないだろうか。
近年ではボルドーよりもブルゴーニュ、と言う声を日本では聞くがブルゴーニュの生産量は赤ワインの場合ボルドーの約30分の1である。
1990年代に突如アメリカの好景気と共に今まで飲んでいなかったアメリカ人たちが飲み始めた。
それまではカリフォルニア・ワインなど聞いたことがない。
フランスでは赤ワインと言えばボルドーであった。
変化が起こったのはこねくり回したヌーベル・キュイゼイーヌなるものが誕生してからのことである。
それと酒飲みが少なくなったのであろう。
やはり食べ物の変化と飲酒運転の禁止によるところが多い。
最近ではワインをあまり飲んだことがない人達がワインの批評をする。ソムリエでは無くヨムリエである。
道上は日本人に会うたびにボルドーの葡萄酒を宣伝した。
誰に対しても「葡萄酒は本当に体に良いのですよ。」 まんざら嘘では無い。
戦前からボルドーワインに多いカベルネ・ソービニオン(ブドウの品種)を粉末にして心臓の特効薬として 多くの大手製薬会社が原料として使っている。
40数年前にはスイスの新聞にボルドーの赤ワインを飲んでいる人の83%は癌で死なないという統計も記事として 扱われた。
1939年には北海道大学の高岡道夫博士(教授)がレスベラトロールと言う成分を発見。
アンチエージングに非常に効果があるそうだがカベルネ・ソービニオンの葡萄の皮に近い部分に最も多くのポリフエノールが含まれ、 その中に最も多くのレスベラトロールが含まれていることが公になった。
これらの事は理屈では無くヨーロッパでは常識である。
日本ではなぜかフレンチ・パラドックスと称して一笑に付す。
愚息の取引先イタリアのChiampesan ( キヤンぺザン) 創業者のLino Chiampesan が心臓発作で倒れた時、 フランス嫌いの医者がボルドーの赤ワインを飲むようにと言った。
愚息は慌てて彼に120本贈った。
福島の原発事故が起きた時、ウラジオストックでいち早く売り切れたのがキャベツとボルドーの赤ワインだ。
チェルノブイリ原発事故の経験を持つロシアは公式サイトに「放射線治療・予防に良い物は」と題して「ボルドーの赤ワイン、キャベツ」とある。 その後は殆ど日本の物であった。昆布、のり、納豆・・・・・。
道上はそんな細かい事は知ろうとはしないが、皆にボルドー赤ワインがいかに身体に良いかを説いて回った。
まだ日本の初代ソムリエ協会の会長がフランスを知らない時期にだ。
ある日愚息は77本のワインを道上にブラインド・テイステイングさせた。
中華料理屋だったが、 全て見事に当ててしまった。
能書きを全く言わない飲兵衛が実はわかっていたのである。
アントニオ猪木曰く 「出された食事は断らない。」
彼から飲みものや食べ物の批評は聞いたことがない。
しかし彼は食通である。
一般には飲まない人が能書きを言うのではないかと危惧してしまう。
そう言えば道上は
「お話も良いですが、飲もうじゃありませんか。」と言うのが彼の口癖であった。
ワインは文化であり、飲食は神からの授かりものである。
朋(とも)あり遠方より来る。亦(また)楽しからずや。酒を交わし、言葉は交わさず。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。