「古武士(もののふ) 第68話 10年間の溝」
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道上は当時の日本人としては極めて柔軟な思考を持ち、かつ近代人であった。
しかし日本人特有の照れというものがあった。
愚息は親子の馴れ合いを求めフランスまではるばる時間の穴埋めに渡仏した。
自分が求めるままに。
道上の母リキは父安太郎がアメリカに出稼ぎで不在だった15年間耐えに耐え、しっかりと5人の子供を育てあげた。
文化の違うヨーロッパやアフリカの中で常に戦い生きてきた中、
道上はとうとう父安太郎、母リキの死に目にも会えなかった。
その間女房小枝は道上の期待したようには母の面倒を見てはくれなかった。
それどころか愚痴の手紙も送ってきた。
せめて自分のなしえない親孝行を女房に少しでもしてもらいたかった。
その怒り、寂しさを一人で抱えてきた道上。
会いに来た雄峰に自分のその強い思いを抑えきれなかった。
敵だらけの戦いの中で見せた初めての甘えであった。
本音を言う事で雄峰に甘えたのだ。
日本には長幼の序という言葉がある。
生徒は先生に従わなければならない。後輩は先輩に。
ましてや息子は父親に絶対的服従が求められる。
道上はそういった生き方をしてきた。だから打たれ強かった。
それに比べ愚息はどうだったか。
父親が初めて見せる、本来なら喜ぶべき甘えに応える事が出来なか
った。
積み重なる思いを抑えてきた道上。
世の中正しい事ばかりがまかり通るわけでは無い。
しかしいかなる試練においても人間は正しく生きる事が求められる。
愚息はこれから日本の社会で生きて行けるのだろうか。
愚息が去って行く姿を不安の眼差しで見送った。
10年と言う歳月。
道上が渡仏して10年もの間 家族とは会えなかった。
この10年の溝を埋める事は出来なかった。
愚息は帰国してすぐ、姉である二女志摩子に事情を報告した。
それを傍らで聞いていた志摩子の夫猛は2階の自分の部屋に戻って泣いた。
やれるだけの事をやって来た道上先生に何故雄峰君は答えてあげてくれないのだろうか。ただ黙って聞いてあげるだけで良い。
道上は決して愚痴ったり個人批判をしたりしない人間だ。
唯一雄峰に見せた甘えに猛は羨ましさ、いや、ジェラシーさえ感じていた。
猛は早稲田大学柔道部出身。身を躱すことには慣れていた。
雄峰には受け身の訓練が足りなかった。
勘当状態で帰国した雄峰を受け入れてくれた猛。
雄峰も義兄猛には強い敬愛の念があった。
20年後、あの時ボルドーの道場に投げ込んだ置手紙を道上から手渡された愚息はかなり居心地の悪さを感じた。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。