「古武士(もののふ) 第71話 武士の目」
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1980年代一時帰国中のある日、 タクシーに東京赤坂見附から乗り、 発進して間もなく学生たちのデモに出くわした。
我々の乗っていたタクシーのフロント・ガラスを大きな旗で覆って、行く手の邪魔をしている。
すると道上「雄峰降りてこい」(どかしてこい?)
「お父さん3千人はいますよ」
「何を言っているか。正しければたとえ3千人の敵がいようとも。」
(やはり父は僕を殺そうと思っているんだ)愚息雄峰は思った。
雄峰は全学連や機動隊との喧嘩には慣れていた。
双方ぶつかっている中に飛び込んでどさくさに紛れて両方殴る事が多かった。
そして形勢不利になると逃げた。
私服警官に捕まらないように注意しながら。
しかし道上の前では逃げることはできない。 (戦うしかないか・・。)と腹をくくって助手席のドアを開けるなり突然学連の連中が引いて行った。
この奇跡に雄峰はほっとした。
道上の怖さは正しいと思ったら例え1万人の敵が相手でも向かっていく事だった。
それはあくまでも気持ちの上だが、実際雄峰は道上がストリート・ファイトをしている姿を見たことがない。
いつも気合負けして逃げていく輩ばかりであった。
鋭い眼光に皆震え上がった。
しかも正しいと思った事は一歩も譲らない。
道上はチンピラを相手にするようなストリート・ファイターではないが、外国の大会ではプロレスラー、プロボクサーなどとも戦った。
ある日ボルドーのPlace Gambeta(ガンベタ広場)で道上と待ち合わせをしていた時、愚息は見た。 ある店から道上が出て来て大通りを渡った瞬間、2メートルもあろうかという大男が店から出て来て何やら大声で道上に向かってわめきちらしていた。
道上は何だと言わんばかりに大通りを再び渡り店に引き返した。
するとその大男は慌てて店の中に入り、店のドアを閉め、シャッターまで下ろしてしまった。 道上80歳の時であった。
また、同じころ道上が道場の傍の歩道を歩いているとやはり190cmは有ろうかと思われるガラの悪い男性二人が道幅いっぱいに並んで向こうから歩いて来た。
愚息はどうなることかと見守っていたが、道上は一切道を譲らなかった。
相手の男性二人は道上の前で道をあけた。
道上は軟骨が擦り減り、すでに10数センチ身長が縮んで、160cmほどの小兵となっていたが、 目と身体から湧き出る威圧感にどんな男もたじろいてしまう。
穏やかな目、その奥にはストリートファイターも たじろいでしまう迫力が潜んでいた。
一方で女性、老人にはすかさず道を譲った。
強きをくじき弱きを助けるは道上の生き様であったが、長い物には巻かれろに慣れている愚息には理解できなかった。 道上は自分の信念の為にはいつ死んでも良いとの覚悟だったのだろう。
雄峰は杖を突いて歩くのがやっとの80歳の男がどう戦うか見てみたかった。
結婚しなければ上海には行かせない、と外国生活を知る父安太郎に言われた道上。 しかしそれはまだ20歳代の事であり、もちろんその時と今は歳が違う。
道上は昔からこうだったのだろうか?
それともフランスという社会の中で変わったのだろうか?
フランスという国、いやヨーロッパではおとなしく黙っている者は、いいようにどんどん付け込まれてしまう。
しっかり主張しなければとことんやられてしまう。
愚息はフランスで暮らしているうちに道上が変わったと思えてならなかった。
何もそこまで気合入れて生きなくとも・・・。
街を歩いていると突然声をかけられた。
「先生!私は昔先生に習った事があります。先生はこれからどちらに行かれるのでしょうか、是非送らせて下さい。」
遠慮する道上にしつこく哀願する元生徒。
その熱心さに道上は老人となった元生徒の車の助手席に乗り、家の前まで送ってもらった。 到着すると「先生、再会出来た事を大変光栄に思います。有難うございました。」
元生徒がうれしそうに言う。
道上は車を降り、深々とお辞儀した後、彼の車が見えなくなるまで手を振って見送った。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。