「古武士(もののふ) 第75話
MICHIGAMI ワインとは」
________________________________________
毎年春に、次女志摩子、その夫猛、愚息雄峰の三人で空港に一時帰国の道上を迎えに行く事が慣例となった。
愚息は1980年代頃から封筒に100万円とか200万円とか入れて、使って下さいと空港で出迎えた際に道上に差し出していた。
志摩子は道上名義の口座を作りそれ以上の金額を預金していた。
愚息の「上納金」を道上は黙って受け取っていたが、その金額に上乗せするかの如く、秋には1万本ほどの美味しいボルドーワインを送って来た。
愚息はその一万本のワインを飲み切れず、友人達に配った。
道上愛飲のシャトーラ・ジョンカードであった。
友人達は「これは美味しい、もっと欲しい、お金を出して買いたい。」 となり、
慌てて果実酒輸入卸の免許を取りに行った。
しかし当時は酒販免許を取ることが難しく、最初は友人たちの免許を使わせてもらっていた。
お酒というものは個人輸入の場合、売る事は勿論、贈答する事も出来なかった。
1万本という量は個人消費ではありえないと税関では随分揉め、業務用としか輸入する事が出来なかった。
日本にはすでに十数万種類のワインが輸入されていた。
ボルドーの人達の勧めもあり、道上が好んで飲んでいた証として道上の顔をモチーフにしたラベルを貼ることに決めた。
そのラベルを見た次女志摩子は「やめて頂戴!気持ち悪いから!清水園では絶対に扱わないからね!」
(清水園とはさいたま市にある150年続いている料亭で現在は宴会結婚式場) しかし夫である清水園社長、清水猛の「いいじゃないか!」の一言で扱ってもらえるようになった。
道上、時には家族にとって煩わしく、面倒くさく、存在感の強過ぎる父親であった。
電話で「志摩子ちょっと来なさい」
「お父さん今仕事中で」
「君にはお父さんは一人しかいないんだぞ」
二人もいたら困ってしまうと愚息は思った。
愚息も道上が滞在中は毎晩東京港区と埼玉県大宮をタクシーで往復していた。
会いたくなくとも、親を敬う当然の義務として。
シャトー・ラ・ジョンカードの現ラベルになったのは1990年代に入ってからの事であった。 「ボルドーの武道酒」という商標登録をし、柔道の帯にちなんで、
若い樹齢15年~25年
メルロ葡萄80%、カベルネ・ソービニオン葡萄20%の
樽香無し、ワインを白ラベル(白帯)、
若い樹齢25年~35年
メルロ葡萄80%、カベルネ・ソービニオン葡萄20%の
古樽1年、ワインを黒ラベル(黒帯)、
中年樹齢35年~45年
メルロ葡萄50%、カベルネ・ソービニオン葡萄50%の
ワインを紅白ラベル(紅白帯)、
高齢樹齢45年~55年
メルロ葡萄25%、カベルネ・ソービニオン葡萄75%の
渋みが強く長期熟成が必要なワインを赤ラベル(赤帯)とした。
ワインを古くから飲み慣れている人には大変評価が高い。
それはいろいろな物を飲んだうえで自身の基準の様な物を持っているからだろう。
また初心者にも大変好まれる。
「ワインは詳しくないがこれだと自分でも飲める」と。
ただ多くの自称ワイン好きの日本人の方は数多くの種類を飲んでみたいそうだ。
この辺が西洋のワイン文化に親しんだ人との違いだ。
フランス人にとってワインは御飯の様なもので毎晩同じワインを飲む。
日本人が毎日同じお米を食べているようなものだ。
日本人にとってワインは未だおかずの様な物かも分からない。
道上は亡くなるまでの三十数年間はシャトー・ラ・ジョンカードしか飲まなかった。
愚息は美味しくてリーズナブルな、しかも昔ながらの作り方のシャトーに絞った。
安く提供するために一番重要な事は大きなロットと、コンスタントな購入である。
種類を多くすると これが出来なくなる。
そうこうしているうちに道上のラベルを付けて販売している事が道上にばれてしまった。
「Selectionne par Haku Michigami (道上伯選酒)」である。
愚息はこっぴどく叱られた。
「君はお父さんの名前を使って商売するのか。」
勿論愚息は叱られるのを承知で内緒でやった事である。
もし「お父さん、お父さんの名前を使っても良いですか。」などと聞こうものなら絶対に許してくれなかっただろう。
しかし作ってしまえば叱られるだけで済む。
愚息は偽物が蔓延るこの世に本物を貫いた男の名を残したいと思いあがっていた。
名伯楽の道上は装いから全て超上質が好みだと思われた。
しかも安価に上手に購入していた。
ブランド品とかでは無く本当に品質の良い物を選んでいた。
買い物で値切っている姿は見たことがないが、買い物上手ではあった。
そもそも本を読まない、手紙も書かない愚息が、もののふというタイトルでメルマガを書き始めたのは 愚息の道上商事(株)顧問の大沢一郎氏に2012年、 「このワインのラベルを何故つけているのかを皆さんに説明するべきだ」と言われたことからである。
最初はプレッシャーと面倒くささで非常にいやであったが、このメルマガを書いていくうちに、以前見えなかった道上像が見えてきた気がする。
道上が父親の死に水が取れなかったあたりを書いて行くにあたり、書いてる愚息の涙は止まらなかった。
嫌なおっさんというイメージが変わってしまった瞬間である。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。