1.最初のふれあい 私は1942年、昭和17年に福島県会津生まれで、その後いわきで育ち、いろいろありまして現在の千葉県船橋に来まして八百屋をはじめました。早いものでもうこんなに毛がなくなるまでになりました。 私の八百屋の近くに日中文教協会寮というのがありました。 そこには中国からの国費留学生が150人くらいいまして、寮費は15000円だったと思います。皆さん朝から晩まで勉強をしていますが、船橋までいくとお金がかかるというので西船橋まで自転車で通って、それから東大に行ったり水産大学に行ったり慶大に行ったりした人たちが沢山いました。その当時彼等が国から貰うお金はたしか8万円だったと思います。その中でやりくりして一生懸命勉強するのです。 私が最初にその留学生たちにあった時は、一見普通の人たちという感じでほうれん草を買いに来たりしていましたが、驚いたのは来るたびに決まって「まけろまけろ」なんですよ。50円のものだったら30円、100円のものだったら50円というかたちで値切るのです。私も仕入れ値もありますし、そのころはがちがちの金儲け主義でしたから、「なに言っているんだ、ひとが買って来たものを散々値切って」と思い、どうしたら彼等から儲けられるようになるかを色々考えました。 それで考えたのが時間帯で値段を書き変えることです。留学生がうちの店に来るのは3時から5時の間なんですね。それでこの時間帯には80円のほうれん草は100円にしておくのです。それを値切られて「うーん」なんて言いながら80円にして売ったのですが、何日かたった後、一生懸命勉強している彼等がなにも疑いもなく「八百屋さんまけてくれてありがとう」という姿を見たとき、やっぱりこんなごまかしをしていてはいけないなと思ったのです。 まあ 私も父を早く亡くして母一人で育てられ、「勉強しろ勉強しろ」と言われながらお金がなくて、夜間の学校を出たこともあって、お金がなくて勉強している人をみると身につまされるのですね。そして80円のものは80円で売るようになおし、また値引きも出来るかぎりする様になりました。そうするとあの国特有の口コミで「やー変な面白い親父さんがいてまけてくれる」という話になってどんどん買いに来る学生が増えました。 八百屋という商売は売れ残ると困るのです。ところが留学生が残り物は全部安く買っていってくれるようになり、うちの店はきれいになって、翌日ならぶ商品の鮮度もよくなるわけです。それにあの人たちのよいところは一旦買ったら返品しないのです。西瓜を割ってみて赤くなくてピンクだったとしても絶対に返品しません。 なんとかして食べてくれます。日本人はちょっとピンクだとうまくないとか言って取替えに来ますがね。それと中国留学生は金払いはよいですね。値切るけれどきちんとお金は払ってくれる。よくちまたで中国人による色々な事件やよくない評判をききますが、私は今までお金の問題でだまされたと思うことは一度もありません。日本人には騙されますがね。