4.破産、皆さんに助けられて 日本における中国語学習の先駆けであられた日中学院の創設者倉石武四郎先生を記念する倉石賞というのが1989年に出来ました。 日中友好に寄与した人に差し上げるということで、その年の11月5日に光栄にもその第一回の倉石賞を家内と共に頂きました。 お金は80万円でした。 その時の日中学院の先生が挨拶で述べられたことは、「五十嵐さんにはこの賞金はさしあげませんよ。 「 奥様に差し上げます。」でした。そのお金は次の日市場に行って支払ったら何もなくなってしまいました。そんな苦しい生活のなか、映画でちょっと有名になりました。また人民日報がかなり大々的に書いてくれまして中国ではかなり有名になりました。 当時の中国人留学生で一番人気のある日本人は中曽根首相ではなくて五十嵐勝だというのから始まって、色々私の中国留学生との関わりを書いて、最後に五十嵐さんの考えと日本政府の考えが一体となったとき真の日中友好が出来ると書いてありましたね。 映画が終わりまして2000年にかけて本当に食べるものにも事欠くような生活をしました。 でも留学生は毎日毎日来ます。 ですから家は差し押さえです。 借金の利息を返すのがやっとという状況でした。 そのうち右翼がやって来まして、「お前は右も左もなく本当に中国のことを考えている。感心だから手を貸そうか」なんていうことになりまして、私は藁をもつかむ気持ちですから一緒について行って、共同住宅ローンというのがあったのですが、右翼の人がそこの偉い人に掛け合ってくれて、差し押さえを解いてもらったことがありました。 そんなことをしているうちに、2000年朝日新聞の夕刊に「中国留学生の宿消える」という記事が出ました。そしたら今度は「五十嵐勝を助けよう」とか色々な話が巻き起こりまして、新潟のあるおばちゃんは「五十嵐勝っていうのは新潟の朱鷺みたいなもんだ。あまりいないし大切に育ててあげたい」なんて書いてきて、3000円送ってくださった人もいます。それから「五十嵐勝を助ける会」というのが出来ましてそこがどんどんカンパを集めました。 そのうちにジャッキーチェンさんなんかも来まして、家内と私にホテル大谷に来いということになって、行ったんですよ。 花なんて一杯飾ってあって、うちの家内と並べされて、むこうから格好いいジャッキーチェンが来まして、私に100万円くれたのです。そして同時にユネスコから100万円頂きました。 その日の夕刊ではジャッキーチェンが200万円くれたという話で出まして、それからテレビは来るはラジオは来るは凄いんです。 マスコミの人たちには何を書かれるか分かりませんからね。 もう来るたびに最敬礼でいい記事を書いてもらおうと大変でしたね。お金がないのに無理して果物を送ったりしました。 そんなことも効いたのかあまり悪い記事は書かれずにすみました。 そんなことで、お金が2000万円ほど集まりました。 日本の方々はいい人が一杯いますね。中にはやくざもいましてね。やくざはやくざの看板は出していませんが慈善団体を沢山持っているのです。 自分たちが悪いことをしている自覚があるので毒消しをするのでしょうね。 それで500万のお金をくれた方がいましたが、助ける会の事務局の人がそれを使ってしまったという事件が起きました。 このほかにもその人はやっていて、トータルで2000万のうちからなんだかんだ1200万くらい抜いたんです。 私はお金のことはあまり分からなかったのです。 その人は杉並の区会議員でしたが選挙にお金が必要だったようです。最後には国際文化交流協会の方々が埋めてくれました。 私は全国からの浄財を自分の為だけに使う気にはどうしてもなれず、そのとき中国の湖南省の方で大雨が降ってどうしょうもないという記事が出たので、2000万円のうちの1000万円を、使ってくださいと新華社に持っていったんです。 そしたら新華社の人は私たちはそれは出来ませんって言って受け取らないのです。 感心しましたね。それで私はそのお金を旧満州地区の長春、瀋陽,大連、新京の吉林大学に100万円ずつ持って行きました。 何かに使ってくださいと差し上げました。瀋陽には瀋陽加工学園に50万持って行きました。大連には星野浦に時計を寄付しました。 そのとき大連のトップと会いました。「五十嵐さん50万の時計はこんなに大きいですよ」と言われました。 そして大連理工大学に100万円寄付しました。その金利で日本帰りの留学生の懇親会が続いているらしいです。 あとは北京に行きまして、帰国した留学生の大きい会があるというので私は150万持って行きましたね。 残った1000万円は八百屋の再建に使わせて頂きました。 まず住宅のローンが大変でした。民間のローンの催促は右翼の人が止めてくれるのですが、住宅金融公庫は何ともなりません。 金額はもともと550万なんですが、ここはお金を払わないとどこか天下り先か何かにその債権を売ってしまうのですね。 それで金利が高くなって、550万の金が1100万円になってしまっているのです。それで「おまえ金が入ったんだから返せ」と催促がすごいんです。そこの人は言うんですよ。 「あなたの考え方は間違っている。普通の人は月30万円収入があったら、そのうちの10万円はローンの返済に充て、残ったお金をやり繰りして生活する。ところがおまえは30万円をすべて中国留学生のために使ってしまって、ローンも返さない。催促すると支援者がいて、ひどいひどいと会社まで抗議の電話が来たりする。困った人だ。お願いだから早く払いなさい。」 でもね、国に借りているのに550万円が1100万円になるというのはどうにも納得がいかない、「まけてくれまけてくれ」としつこく言いましてね。結局650万円で折り合い、支払いました。そして残りの350万で市場の鑑札を買い戻し、ようやく八百屋を再開するようになれました。