第一章 亀裂 ①初めての暴力 156センチ、小型だがグラマラスなフミの体が吹っ飛んだ。 かたわらに積み重ねてあった野菜の段ボール箱にフミが頭から ぶち当たって悲鳴を上げ、いきなり骨を引き抜かれたように、ヘナヘナとへたり込んだ。 五十嵐勝の腕力は波のものではない。 毎朝船橋中央卸売市場へ出かけて行って、トラックに小山のような 野菜や果物を仕入れてくる。力仕事で体は鍛えている。 腕も胸も筋肉がグリグリと盛り上がっていた。 子づくりのフミの顔が叩きつぶされなかったのが不思議なくらいだ。 フミは仁王立ちの勝の顔をゆっくりと見上げた。 起こっている目ではなかった。悲しげなまなざしだった。 額にかかった髪をかきあげながらフミは視線をはずさない。 結婚して20年、勝が初めてフミに暴力をふるったのだ。 だが、フミの氷のようなクールな反応に、勢い込んでいた勝は 大きく戸惑っていた。 「わたしを殴りとばして、あれこれのことが解決つくのなら、 いくら殴ってもいいわよ」 フミの声は冷えていた。勝は答えない。フミはうつむいた。 顔のわりには大きい目に涙をあふれさせた。 「おとうさんのやっていることを、ムダだとか意味がないと言っているわけではないの。もうすこし、やり方を考えてくれないと 家族がバラバラになっちゃうて、そう言っているの」 勝は腕組みをしてプイと幅広い背をむけた。 「以前のおとうさんは、もうすこしわたしの言うことを聞いてくれたし、たとえトンチンカンな話でもちゃんと耳を傾けてくれた」 フミはすすり泣くような深い息を一つ吸った。 もともとよく働く女だった。気っぷのいいカラッとした性格だった。 喋り方も歯切れがいいし、動作もキビキビとよどみがない。 そのフミが、重石を呑んだようにノロノロと立ち上がった。