第一章 亀裂 ⑥八百春の危機 だが、有り余るような勝のエネルギーが、このところずっと、なぜか中国留学生と呼ぶ若者たちに傾いてしまい、家業の青果店“八百春”は経営すらおぼつかなくなっている。 二人が結婚した翌年、勝はとある友人の誘いで船橋市夏見台に共同経営の青果店を出した。とはいっても、屋台に毛の生えたようなバラック建てで、友人の話ではやがて道路をへだてた店の前に大団地ができるから、というもくろみがあってのことだった。だがその共同経営もまずその友人が去り、“将来有望”にさえなかなかたどり着けずに苦労を強いられた。 フミと自分のなけなしの貯金を注ぎこんだ勝は逃げるに逃げられない。勝はふんばった。勝自身の述懐によれば、「毎日が立ち泳ぎしつづけているように苦しかった」となる。でもやがて待望の団地も建ちあがり、売上は一挙に増えた。やがて勝とフミの努力でまがりなりにも粗末な小店は小さなビルに建て替えられ、鮮魚だの乾物だの総菜だのに、新たにクリーニングコーナーまで設けてミニ・スーパー化する勢いだったのだが、このところ急速にさびれてしまったのだ。駅周辺に大型スーパーが次つぎと回転し、この夏見台団地近辺にも中堅スーパーが進出してきた。当然、顧客は拡散し、“八百春”と名づけて発展一途だった店の客もめっきり減った。 “八百春”は、春ならぬ、なんとなくさみしい秋を思わせていた。しかし、競合店が増えたということもさることながら、それよりもなによりもやはり、勝が商売に注ぎ込む情熱の大部分を、中国留学生たちに振り向けてしまったことに原因があるとフミは思っている。 中国留学生とひとくちに行っても、希望者二万人に一人という狭き門である。 「客員研究員」などのように中国政府から学費を支給されて大学で学んでいる者もいれば、いわゆる「就学生」と呼ばれるすべて自費でまかなう者たちもいる。 いわば留学生予備軍で、かつかつの費用で日本語学校や各種学校に通っている。 彼らは一様に不慣れな日本での生活に戸惑い、なおかつ異常な物価高にふり回されてたちまち経済的に困窮することになる。 しかも、入国にあたっておおかたは縁故者や知人もなく、その手続きに必要な「保証人」すらいない場合が多い。寝泊りする場所さえも確保できないでオロオロするのだ。 フミが勝に鉄拳をふるわれた今回のことも、じつはその中国留学生に端を発している。 青果店“八百春”の目とハナの先に、中国留学生のための寮がある。正式名は「日中文教協会船橋寮」。 留学生たちはとにかくつましい暮らしを強いられている。 中国で三年、五年とコツコツ貯めたカネは、日本に来るとたちまちのうちに消えてなくなる。 日本と中国の経済環境はまったく異なる。個人の努力ではそのギャップを埋めることは不可能なのだ。 ちなみに、中国での一人あたりの下集は、地域によって開きがあるが、一般の労働者は現在おおよそ日本円に換算して五、六千円から一万円。 外資系企業の社員になると二万円前後と言われている。 彼らは月収の何十倍ものカネを必死に貯めてはるばる日本にやってくるのだが、その貴重な留学資金は、それこそあっというまに霧散してしまうのだ。 勝はそれらの青息吐息の学生たちに、のべつ心くばりをしていて、あらゆる機会を捉えて援助の手をさしのべてきた。 時間やエネルギーは惜しげもなく注ぎこんできたし、金銭的にも物理的にもできるかぎりのことをしてきた。それは親身に助言し、指導し、彼らがぶち当たっている壁を取りのぞいてやる。 それだけではない、勝は、肉親のように彼らの内情に立ち入り、個人的な悩みに対してもみをおしまず相談にのってやっているのだ。 事実彼らは、五十嵐勝を「日本ノオトウサン」と呼んで信頼し、敬い、頼り、また甘えてもいた。彼らは、あとからやってくる留学生たちにも「日本ノオトウサン」のことを伝えた。 すでに中国共産党の中央機関紙「人民日報」海外版などをはじめ、中国の新聞や雑誌が五十嵐勝のことを”美談“としてことこまかく報じていたから、日本をめざしてやってくる留学生の気持ちのなかには「困ッタトキノ、五十嵐サン」がしっかりきざみこまれているのだ。 周囲の者は、五十嵐勝の中国留学生らへの支援や助力を「いまどき珍しい徹底したボランティアだ」と讃えながらも、裏では「なにも商売や家族をほったらかしてまでしなくても」とか「あれは五十嵐の中国病よ」とか、さらには「有名人になるための手段だろうよ」など、さまざまに噂した。なかには「あいつには中国人の血が混じっているんだよ」とか「アタマすこしヘンなのとちがうか」、かと思えば「あいつはアカだ」「昔、悪どい商売したから、いま罪ほろぼしをしているのさ」など、無責任な憶測をふりまく者もいた。 勝が中国留学生にかかわるようになってすでに五年あまりの歳月が過ぎていたが、彼が手をさしのべた留学生の数もざっと二千人を超えていた。しかも、勝はさらにこの活動に本腰を入れようとしているのだ。 いままでも五十嵐家のロクに使わない家具や道具など、当たり前のようにして留学生たちの寮に運びこんでいた。 パンクしていた自転車を修理し、自分で整備して留学生にあげたりもしている。