第一章 亀裂 ⑩如何したらいいの? そこへガタガタと日中文教協会船橋寮の崔(ツウ)くんが硬い表情で飛び込んできた。 「五十嵐サン、大変デス」 「どうした、崔くん」 「トラックガ、馮クントブツカッテ、入院シマシタ」 「え?トラックが馮くんとぶつかって入院した?何言ってんだ。ハハハ」 勝は息を抜くように大口をあけ、わざとらしく笑った。 「おとうさん、バカ笑いしているときじゃないでしょうが」 フミがきつい声でいましめた。 「そうだ!で、馮くんは?」 「フナバシ・・・エート、エート・・・」 「どこの病院?」 とフミが追いあげる。 「エート、サイセイカイ・・・病院」 「まーたチューゴクか。あーあ!」 実博が肚の底のものを全部吐き出すような大ため息をついた。 勝は居心地悪げに、その実博のうんざりした顔をチラと見た。 「で、その、馮くんの具合は?」 崔は細っこい顔を左右に振る。 「容態が分かんないのか?」 「療ノオバサンニ、トラックカラ電話ガアッテ・・・」 「トラックじゃない、病院だろ」 「ハイ、病院カラ電話ガアッテ・・・ソレダケデス」 「それだけって、容態を聞かなけりゃあダメだろうが。たとえば、意識があるのかないのか。もう死にそうなのかどうか・・・気を利かせろよ、まったく!」 「対不起」 「何て言ったの?」 「スミマセンッテ、言イマシタ」 「緊急の場合は日本語で言え、アホ!」 「アノ・・・」楊くんが立ち上がった。 「ソノ病院へイッテモイイデスカ?」 勝がイライラした足どりで電話機の前を行ったり来たりしている。 「おとうさん!」 フミがたまりかねて勝を呼んだ。 「動物園のヒマな熊みたいに、そこで何をウロウロしてんですか!」 「何をしてるかって、見りゃ分かるだろうが」 「心配でオロオロしてんだよ。」 「オロオロしてるなら、さっさと行けばいいじゃないですか」 「どこへ?」 「なに呆けたこと言ってんですか」 「船橋済生会病院に決まってるでしょう」 「しかし、その・・・・・・」 家族三人の抗議を受けて、さすがの勝にもためらいが生じていたのだ。 フミは昂然と言った。 「あの、その、でも、しかなんて口にするな! と ふだん私に 口すっぱく言っているのは誰ですかね」 勝は口をとがらせてそっぽを向いた。実博がクスッと笑う。 「だっておまえたち、さっきから、また中国か、また中国かって、 おれを咎めだてするような、つめた~い刺すような目で見つめていたじゃないか!」 「それは、それ」 フミは一歩前に出た。 「目の前でおぼれて救けを求めている人間がいるのに、 知らん顔できるかて、ついさっきタンカを切ったのは誰なの?」 勝がむしろキョトンとした目をしてフミを見返った。 「生まれ故郷から遠く離れた外国で、トラックにはねられて 病院に担ぎ込まれた者が、どんな気持ちでいるか・・・・」 「それは、分かっている!」 「だったら、ボヤボヤしてないで、早く病院へ行ってあげれば いいのよ」 「そ、そういうことだが・・・・・あの・・・・・・」 「とにかく、行きなさい!行くッ!」 フミは勝の右足の甲をガシッと一発踏んずけた。 「イテテ・・・何しやがる!」 顔をしかめ、やたらぼやきながらも、勝ははじかれたように表に飛び出した。崔が続いた。そして楊くんも。 フミが実博に言った。 「とうさん、興奮すると車の運転危なっかしいから、実博、運転してやって!」 実博がしぶった。幸子が「さ。兄ちゃん、早く行ってやって」と 背をどやした。実博も出て行った。 「とうさんの足を思いっきり踏んづけて、気持ちスーッとしたわ」 フミは、楊が床に投げ出したスーツケースとバックを拾い上げて壁の際におき直した。 「幸子、二階のソファーに、毛布出しておいてやって」 幸子が肩を上下させて、ため息をついた。 「お父さんのやっていることって、結局は悪いことじゃないから、 それで困っちゃうんだよねぇ」 フミも大きく息を吐いた。幸子がその背に、ためらいのない 口調で言いきった。 「でもね母さん、何とかしなけりゃしょうがないでしょ、このままじゃ、ほんとうに我が家も店もガタガタになっちゃうもん」 第二章へ続く