第二章 出会い ⑨ 友人・北村徳夫Ⅴ 勝がまたビールを2本運んできて、早速栓を抜いて、北村のグラスを満たした。 「誰かが言ってたな」 北村が遠くを見るような目をして言った。 その目がうるんでいた。 「歴史的に言うと日本の父親フーチンは中国、母親ムーチンは韓国 日本はその子供だって」 「そういうことになるだろうな」 勝はそう言いながら、自分は幼い時から父親知らずで育ったことを思い起こしていた。 同時に、故郷の福島で孤独だった自分をいつも気にかけてくれた、青年のことを突如、天啓のように脳裏に甦らせた。 そうだ! すっかり忘れ去っていたけれど、あの隆生寺にいた 林正順も中国人だった。 さっき、北村があれこれ語っている間に、よく分からない何かが自分の胸の底にふわっと生まれ出たのを感じた。 今それが、もう何十年も以前の、故郷福島で幼い日に出会った人のことらしいということが、それとなく分かってきた。 「北さん、もし知っていたら教えてくれないか」 「何だい?」 「中国語でさ、兄貴のこと、どう言うの?」 「うん、それくらいのことは、一応、調べて覚えたんだ」 「エライね」 「褒められるほどのことはないがね。エーとね、兄さんのことは ゴゴって言うんだ。字はこうだ――」 北村はグラスのビールの液体の中に人差し指を突っ込むと。 書いて見せた。 「弟は日本字と同じ弟という字を二つ書いテイテイ」 「ほう!やっぱり、日本語と近いんだな」 北村も、ようやく切ない思いから解き放たれたように、屈託のない表情を見せた。 「コンバンハ、五十嵐さん、陳です」 階段の下からよく透る声が上がってきた。 ドアを開けて勝が顔を出す。 「オジャマシテイイデスカ」 「おお。君か」 陳は階段を二段跳びに軽々と上がって、もう踊り場まで来ていた。 「イキナリ、オジャマシマス。ギョーザ焼きたて持ってキマシタ。 オ酒モ持ってキマシタ」 「そりゃまた、嬉しいね」 勝は。陳と北村を引き合わせた。陳は紙袋から新聞紙の包みと、 紹興酒のびんを取り出して、テーブルに置くと、臆することなく 北村に手をさしのべて握手し、「ヨロシク、オネガイシマス、陳です」と、明快にあいさつした。 北村は思いがけない客に戸惑ったらしく、ちょっとオロオロし、 「ワタシ、北村徳夫デス、ヨロシク」と、中国人の日本語のように ポキポキ言った。すぐに「あれ、つられちまった!」と声を上げて笑った。勝は、やっと胸がスッとして軽くなったと思った。 陳が、去年の暮れの船橋駅前のバス停の一件を手際よく北村に話した。そして、寮の友人たちが、いつも八百春で野菜を安く売ってもらって大助かりしているということも語った。 その間に勝は、新聞紙で包んだギョーザを取り出して大皿に並べ、 紹興酒用の小ぶりのグラスを出し、割箸もそろえた。 ギョーザのうまそうな匂いが、ふんわりと広がった。大ぶりのが 30個ほどもある。 「じゃ、早速カンペエといくかね」 勝は手回しがいい。 「五十嵐さん、奥さん、呼んでクダサイ」家族の住居は3階だ。 「ギョーザ、奥さんの分、アリマス」 「気がきいているなあ」 ドアを開けた勝は「フミ、フミ!」とさっそく蛮声を張りあげている。 「ギョーザ、アタタカイウチ、食べナケレバウマクナイ」 陳が紹興酒のビンの栓を抜く。 北村は黙りこくってうつむいている。勝が言う。 「北さん、どうしたい。さ、グラスを持って、あらためて カンペエだ」 北村は鼻をすすり、勝を見上げて呟いた。 「こんなときに、中国人が作った暖かいギョーザが食べられるなんて、ふしぎなめぐり合わせだな、イガちゃん」 勝は、いきなりまじめな顔になって、大きく頷いた。 その勝もまた、はなをすすった。 この年――昭和56年(1981年)、その容貌のイメージから “わらじ虫”などと言われた鈴木善幸内閣は、8月15日の 終戦記念日に全閣僚とともに靖国神社参拝をし、物議をかもした。 10月には東京地方裁判所ロッキード裁判丸紅ルート公判で、 榎本敏夫被告の前夫人・三恵子が「榎本が5億円受領を認める発言をしている」と証言、そのことを彼女は「ハチの一刺し」と表現し 闇の宰相と言われた田中角栄を脅かして巷の話題になった。 街には寺尾聡の「ルビーの指輪」や五輪真弓の「恋人よ」の歌声が 繰り返し流れていた―――。 次回より第3章 別離の記憶 です