第三章 別離の記憶 ②チャンバラごっこ 就業中の敷地内にはそれこそ遊び場に最適で、よく仲のいいサカエやミノルを連れて来ては、チャンバラごっこで走り回った。 そのうち、ケンジというのが、一緒に遊ぶようになった。 ケンジは、工場敷地内の東側に生垣をめぐらせた、小ぎれいな 社宅に住む工場長・佐伯藤三郎の息子で、ぺちゃんこな顔をした、 なんとなく底意地の悪い奴だった。 あの日も四人がチャンバラごっこに夢中になっていたのだが、 ケンジがチビのサカエの顔を思いっきり棒切れで殴った。 勝は、チャンバラごっこなんだから、そんなに力まかせに殴ったら いけない、と兄貴分らしく抗議したら、アベコベに勝に打ちかかってきた。 勝はケンジの棒切れを奪い組みついた。 二人は泥んこの地べたを転げ回ったあげく、勝がケンジに強烈な 頭突きを食らわせ、火のついたようなケンジの大泣きでやっと ケリがついた。 だが、この一件は勝をひどくユーウツにさせることになった。 母親きよのが「工場長の坊ちゃんをそんなひどい目に合わせて申し訳ない。これからお詫びに行くから一緒においで!」 と、狂ったようにおこったのだ。 悪いのはケンジだと勝は言い張ったが、きよのは事の善い悪いを 聞かず、工場長の坊ちゃんをいじめたんだから謝るのだと、さらに 声を荒げて勝を小突いたのだ。 その、きよのの表情に、ただ怒っているのとは違った哀しげな戸惑いのようなものが漂っていた。 勝がなおもムキになって自分の正当性を主張すればするほど、 きよのもまた甲高い声を上げて居丈高になるのだが、そのうちに きよのはいきなりポロポロと涙を流したりした。 幼い勝だったが、人の心の内を読み取る事に敏感だった。 チヤホヤと周りが自分をおもんばかって、くれるようなことは かって、一度もなかった。 むしろ、たいていは自分が無視され、ないがしろにされることが 多かったから、いつのまにか相手や周囲の情況をいちはやく判断し、次にどう対処したらいいかを探り当てる勘が働くようになっていた。 勝はきよのがなぜ、事の善し悪しを質さずに、ひたすらあやまれ、 詫びろと言いつのるかを、もう悟っていた。 ケンジは、やはり“工場長の坊ちゃん”なのだ。 しかも、工場の同じ敷地内の東側に住んでいる。 ひょっとすると工場長でもある父親の佐伯藤三郎の一存で、 五十嵐家一家三人はこの小屋にもいられなくなることすらあるのだ。 おぼろげではあったが、勝はきよのの困惑や痛みが分かった。 だが、現実、ケンジの家に行って頭を下げることには抵抗があった。 口をめいっぱいギュッとへの字に結んだまま、きよのに引っぱられて、ケンジの家の玄関に立った。 ケンジは度の強いメガネをかけた母親にともなわれて出て来た。 きよのは、くどくどと詫びを入れた。 ケンジの母親はかたい表情のまま、しぶしぶ「子供のことだから・・・」 と語尾をにごして言った。 ふだんのケンジの言動から、どうやら非はケンジにあることを認めているふうだった。でも結局は知らん顔をした。 きよのが勝の頭をグイと押し、前に倒した。 勝は思いっきり大きな声で「ごめんなさい」といった。 胸の内は「あやまるもんか!」であった。 あやうく口惜しい涙があふれそうになったが、唇をぎりぎり噛んでこらえた。 その様子を見て、ケンジが母親の背に隠れるようにあとずさった。 でも、二人の母親は、勝がいさぎよく詫びたものと理解して、 そこはそれらしくおさまった。 続く