第三章 別離の記憶 ⑧ 林正順 4 母のきよのからも林のことを聞いた。 父親は林正春(リンズエンツエン)という中国人だということ だった。 中国はずっと奥地の四川省というところから、家族4人、 昭和10年ころ日本に来たらしい。 でも、すぐ母親は病で死に、昭和20年のはじめに父親の 林正春と、正順がこの隆生寺の小屋に移ってきたというのだ。 正順とは3つちがいの兄の正光は、ここへ来る前の年、19年の5月に東京で死んだらしいと、きよのは言いそえた。 そして父親の林正春も1年後に死んでしまったという。 そうか。あの兄ちゃんも、父さんがいないんだ。 おれとおんなじなんだ。 それに、生まれ故郷は遠い中国の四川省・・・・ ほんとにひとりぽっちなんだ。 勝は、母のきよのが母親きよのが林正順に好意を持っているらしいことは、おとなびた持ち前の勘から感じていた。 きよのはもう29歳になっていたはずだ。 「林さんより五つ歳上だけどナ」と勝は余計なことも考えたりした。 でも、きよのは若く見えた。つねに気持ちをゆるめることができないせいか、決してだらけたり怠けたりすることなく、たえず キピキピ動いているせいもある。 それと、すっきり櫛を入れた黒い髪をいつもひっつめにして、白い もめんのブラウスと黒いスカートをつけていて、ひょっとすると 十代の娘のようにさえ見えた。 もちろん、賄婦として炊事場に入るときは、縞のもめんのモンペとかっぽう着で、頭を手拭いできっちりまとめて、内郷綴町から通ってくる、老婆(パッパ)を助手に、実にてぎわよく、立ち働いた。 仕事の性質上、また暮らし向きの都合で、のべつせっせと体を動かしていることが、きよのをいきいきと若々しくさせていたのだ。 その母親の血を色濃く引きついでいるからか、とにかく勝もまた 行動的なことは確かだった。 祖母のまつはよく「きよのをそのまま男の子にしたのが勝だっぺ」と冗談を言ったが、きよのは「わたしの小さいころは、勝のような 悪さはしなかったわ」と本気で口をとがらせたものだ。 続く