話のタネ ー ドンロー主義
赤坂清隆 元国連事務次長
前略、
新年早々、トランプ大統領も人騒がせですね。1月2日の深夜から3日の未明にかけて、トランプ米政権は、ヴェネズエラの首都カラカスで軍事行動に踏み切り、マドゥロ大統領を拘束、同氏を妻とともにニューヨークの拘置所に移送しました。他国に軍事介入して、現職の大統領を拉致するという、なんと大胆不敵な作戦でしょう!米国は、1989年にもパナマ侵攻によってノリエガ将軍を米国に連行した先例があります。今回の「話のタネ」は、このベネズエラ軍事行動を取り上げてみましょう。
主な論点は、(1)何のためにこのような軍事行動を起こしたのか?そして、この先ベネズエラをどうするつもりなのか?(2)この武力行使は、国際法、特に国連憲章違反なのか?(3)他の国々、たとえばコロンビア、キューバ、メキシコといったラ米諸国、さらにはグリーンランド、イランなどにも、このような軍事攻撃を行うつもりなのか?といったことが考えられます。そのほか、中露などにどのような影響を与えるのかも論点ですが、それは今後の課題に残します。
何のために?
まず、アメリカによるベネズエラへの軍事行動の目的について、当初、米国政府は「不法麻薬の流入阻止」を大義名分として掲げていました。すなわち、米国ですでに麻薬の不正取引などで起訴されている犯罪人のマドゥロ大統領夫妻を逮捕するための法執行の支援というわけです。しかし、その後明らかになってきたのは、トランプ大統領の真の狙いは、世界最大の石油埋蔵量(世界の約18%)を誇るベネズエラの資源をコントロールすることではないか、という点です。
もともと米国の石油資本はベネズエラに深く関与していましたが、2007年、チャベス政権によって石油資源の国有化が強行され、米系企業は事実上追放されました。今回のトランプ政権の動きは、当時の接収による損失を取り戻そうとする意図が含まれていると見られています。ただし、現在のベネズエラの石油インフラは著しく老朽化しており、これらを改修して収益化するまでには、膨大な投資資金と長い年月が必要であるとの指摘もなされています。
わたしは、1974年に首都カラカスで開かれた最初の海洋法会議のために、10週間(!)もの間ベネズエラに出張したことがあります。人々の貧富の差は歴然でしたが、当時は石油収入で潤う豊かな国でした。会議を補佐するコンパニオンは素晴らしい美女ばかりで、会議の方よりもそちらの方に気が散ってなりませんでした。会議の議長がなかなか決まらず、暇を持て余して、毎晩夜の街に繰り出した甘酸っぱい思い出があります。
トランプ大統領は、当初ベネズエラを「run(運営)する」といったのですが、その意味合いは不明です。どうも、ベネズエラをチャベス以前の「民主的」な国に戻すという大義名分には、実のところさほど関心がないように見受けられます。腐敗したマドゥロ政権を打倒し、2025年にノーベル平和賞を受賞した野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏を立てて民主国家を築くという高邁な理想については、これまでのところトランプ大統領自身から明白な言及はありません。イラクやアフガニスタンでの「民主化支援(国家建設)」が手痛い失敗に終わった歴史を鑑みれば、ベネズエラの内政に安易に介入することが極めて危険であることは、トランプ大統領も十分に理解しているはずです。
ただ、トランプ大統領は、西半球はアメリカの裏庭と考えているようですね。昔、世界史で、「モンロー主義」というのを習いました。1823年にアメリカのモンロー大統領が提唱した「モンロー主義」というのは、「南北アメリカ大陸はアメリカのものだから、ヨーロッパは手を出すな。ただし、アメリカもヨーロッパには干渉しない」というものでした。トランプ大統領は、昨年11月に発表した「国家安全保障戦略」の中で、このモンロー主義のトランプ版を復活させて、西半球におけるアメリカの傑出した優位性を再興するため同主義を再び実行に移すとの方針を打ち出しました。そして、トランプ大統領自身が、彼の名ドナルドとモンロー主義を組み合わせて、「ドンロー主義と呼ばれている」と語って、悦に入っている模様です。
国際法違反?
わたしは、ラ米諸国には美女が多いことは知っていても、同地域の政治情勢には不慣れなものですから、むしろ、この軍事行動が国際法、特に国連憲章違反か、という問題のほうに関心があります。最近のトランプ大統領の行動を見ていると、「国際法違反がどうした?」というように、「法の支配」や「法の精神」を踏みにじることが多いのですが、このような古典的帝国主義が長続きできるとは思われません。国際社会も、善良なアメリカ国民も、許さないでしょう。せっかく長年をかけて築き上げてきた「法の支配」や民主主義、基本的人権、自由貿易などをぶっ壊して、赤裸々な力だけが支配する「ジャングルのルール」を誰も歓迎はしないでしょう。ですから、今回の軍事行動が国際法違反かどうかは意味があるのです。
一見したところ、今回のベネズエラ軍事介入は、明らかに国際法、特に国連憲章(第2条第4項の武力行使原則禁止)の違反行為と思われます。しかし、国際社会は、そうはっきりとした評価を一枚岩で行っているわけではありません。今回の攻撃を「麻薬王という重大犯罪者に対する法執行」と見るか、あるいは、「他国の主権を侵害した軍事的攻撃」と見るかによって、さらには、左翼政権か右翼政権か、また、トランプ大統領に忖度するかどうかなどによって、反応に大きな違いが出ています。
まず、トランプ大統領の決断を称賛ないしは容認していると見られる国があります。作戦の成功を称賛したイスラエルや、「善が悪に勝利したと」と歓迎したアルゼンチンなどです。イタリアのメローニ首相は、「麻薬密売に関与する国家などに対する防衛的な介入は正当だ」とし、マクロン仏大統領も、「ベネズエラ国民が独裁から解放され、それを喜ぶしかない」とし、コメントしています。
他方、アメリカの軍事行動を国家主権の侵害として激しく批判している国があります。権威主義的な国の大半はそのように批判的です。中国外務省は、「アメリカの覇権的行為は国際法に著しく違反し、ベネズエラの主権を侵害しており、地域の平和と安全を脅かす」とのコメントを発表しましたし、イラン、ロシア、キューバなども非難の合唱ですが、ロシアのプーチン大統領が沈黙を守っているのは注目されています。何か隠れた意図があるのでしょう。ラテンアメリカの左派政権、特にブラジルは「受け入れがたい一線を越えた」とし、コロンビア、チリ、メキシコなども批判しました。
この賛成、反対派の間にあって、はっきりと白黒をつけずに、口をもぐもぐさせている国が多数あります。面と向かってトランプを非難するとしっぺ返しが怖いから、それはしたくない、かといって、こんな軍事行動を手放しでほめるわけにはいかないと考える国々です。ドイツのメルツ首相は、「アメリカの介入について、法的評価は難しい。時間をかけて検討する」といい、EUのフォンデアライエン委員長は、「ベネズエラの情勢を注視している。いかなる解決策も国際法と国連憲章を尊重しなければならない」とコメントするにとどめました。英国のスターマー首相は、「我々は一切関与していない。わたしは常に信念として皆、国際法を順守すべきだといってきた」と、アメリカに気を使って、奥歯にものの挟まったような言い方です。
わが日本の高市首相は、1月4日のXに、「「ベネズエラ情勢については、日本政府として、これまでも、一刻も早くベネズエラにおける民主主義が回復されることの重要性を訴えてきた。我が国は、従来から、自由、民主主義、法の支配といった基本的価値や原則を尊重してきた。日本政府は、こうした立場に基づき、情勢の安定化に向けた外交努力を進めていく」とのコメントを投稿しました。直接的なアメリカ批判を避けて、ずいぶんと持って回った表現で、アメリカの行動をやんわりとたしなめているという感じですね。作文に苦慮した後がうかがえます。
グテレス国連事務総長の声明に注目してみましょう。1月3日付のスポークスマンが発表した国連事務総長の声明は、「事態に深い憂慮を抱いている」「同地域に懸念すべき影響を及ばす可能性がある」「今回の進展は危険な前例を作るものである」「事務総長は、国際法の規律が順守されていないことに深い懸念を表明する」との諸点を骨子としています。
この声明は、「アメリカのベネズエラへの軍事介入は、国際法や国連憲章に違反している」とは言っていません。国際法に照らして、合法(白)ではないことに懸念を表明しています。これは、国連の条約局の解釈では、白ではないということだから、違法(黒)ないしは灰色だということを意味しています。
「何を言っているのか?」とお𠮟りを受けるかもしれませんが、ガット(現WTO)や国連で昔から議論がなされてきた、いわゆる「灰色措置」の問題です。ルール違反(黒)だといえば、白も灰色も出る幕はないのですが、ルールに合致していない(白ではない)といえば、それは黒ないしは灰色の解釈を残してくれます。
この世の中のあらゆる出来事は、単純に白か黒では決めつけられなく、その間に、広大な灰色の平野が広がっている、というのが、人生の甘い経験も辛い苦労も嘗め尽くしたヨーロッパ人の説く「灰色措置」です。ずる賢いずるしゃもというか、老練な厚化粧の年増の芸者さんを思わせる人生観の持ち主たちですね。ルール違反(黒)だと言わずに、ルールに合致していない(白ではない)というだけで、欧米に押し付けられた日本のカラーテレビや鉄鋼の輸出自主規制なども、ガット上違反ではなくて灰色の解釈が可能として許されたのです。
国連では、2003年のアメリカ等によるイラク戦争をめぐる法的解釈が問題になりました。当時のコフィー・アナン事務総長は、当初は、法律顧問のアドバイス通り、「国連憲章に合致してはいない」(白ではない)と言っていたのですが、BBC記者のしつこい質問に答えて、「国連憲章違反だ」(黒だ)と言ってしまったのです。これに対するアメリカ政府の怒りはすさまじく、国連と米国政府との信頼関係が一挙に崩壊してしまい、アナン事務総長およびその家族への一連の攻撃が開始されました。コフィー・アナンを継いだバン・キムン事務総長は、この白黒問題に関する記者の質問には逃げの一手でした。
グテレス事務総長は、2022年のロシアのウクライナ侵攻に際しては、当初から「国連憲章違反」(黒)との立場を明確にしました。国連憲章が許す集団的自衛権の行使だと釈明するロシア政府の怒りを買って、仲介者としての役割も不可能にしかねない立場の表明でしたが、欧米諸国からは歓迎されました。今回は、アメリカ、それも強面(こわもて)のトランプ大統領相手の声明ですから、相当気を使って、アメリカを怒らせないように、練りに練った声明になりましたね。
次の手は?
最後の論点は、ベネズエラに対して行ったことを、他の国々、たとえばコロンビア、キューバ、メキシコなどに対しても行うのか、さらにはグリーンランド、イランなどにも攻撃の手を伸ばすのか、ということです。トランプ大統領の長男ジュニア氏は、「父の最大の特徴の一つは、予測不可能であることだ。世界中のリーダーたちは、彼が次に何をするか予測できないという事実を過小評価すべきではない」と語っています。
それゆえに予測不可能なのですが、「力の支配」に慣れつつあるトランプ政権のことですから、次の軍事攻撃が明日どこで起きても不思議ではありません。特に、「ドンロー主義」を掲げるトランプ大統領ですから、コロンビアやキューバ、メキシコは要警戒ですね。イランの反政府デモも続いており、トランプ大統領はデモ隊をけしかける発言をしています。すぐにでも米軍のイラン攻撃が始まってもおかしくない状況で、目が離せません。
軍事力だけが支配する、恐ろしく異質な国際環境になりつつある、あるいは過去のそのような時代に戻りつあると見るべきなのでしょうか?それとも、トランプ大統領の気分次第の、一時的な国際秩序へのちょっかいであり、リベラル諸国が長い年月をかけて作り上げてきた国際秩序はまだそれほど致命的なダメージを受けてはいないと見るべきなのでしょうか?わたし自身は、後者の考えに組したいと思いますが、皆さんはどうでしょうか?いずれにせよ、今年もまた、トランプ旋風に振り回される日々が続きそうです。長い「話のタネ」になり、大変恐縮です。(了)








