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        「チガサキから世間を眺めて」最終回

        松浦晋也

         

        3月30日付・日経ビジネス電子版の、「チガサキから世間を眺めて」最終回 松浦晋也を送ります。

        世の中を実に鋭いかつ奥深い目で眺めて論評を展開してくれたのに、今回を以て終了とのことです。大変残念に思います。      (真形通信)

         

        この記事の3つのポイント

        1.若くして亡くなった親友が教えてくれた「定石崩し」

        2.かつてのドイツで行われた民主主義崩しが令和の今も

        3.怠惰な生活をしたい自分がするべきことは何だろう?

        (文中敬称略)

         

        春になると思い出す――中学2年の春、転校先で出会った中学高校の親友がいた。長身の彼は将棋が好きで、実際強かった。

        一緒に他校の文化祭に行くと、彼は将棋部の催し(フリー対局)に腰を据えてしまう。

        少なくとも、私が横で見ていた範囲内では、他校の将棋部で彼が負けたことはなかった。

        その後、囲碁を好んで打つようになる。白と黒の碁石が織りなす抽象的なゲーム空間のほうが、多種類の駒が盤面を駆け巡る将棋よりも性に合ったらしい。

        そんな彼は、就職した会社がかなり質の悪いブラック企業だったことから重篤な鬱病を患い、32歳で自殺してしまった。

        私の友人の中ではもっとも早い死であった。

        棺桶(かんおけ)を担いでから32年たった今でも時折夢を見る。彼がひょろ長い上半身を折りたたむようにして、将棋だか囲碁だかの盤面をのぞき込んで長考しているという夢だ。

        彼が将棋に熱中していた頃、何かの拍子に将棋の「穴熊」という

        定跡(将棋用語。一般用語では「定石」)が話題になった。

        王将を多数の駒で囲う、大変堅い防御の陣形だ。

        が、彼は「穴熊だって崩せるよ」と言った。

        「穴熊には穴熊の弱点があって、そこをうまく突けばいいんだ。

        穴熊の定跡があれば、穴熊崩しの定跡、というのもあるんだよ」――彼は、駒を並べて熱っぽく説明してくれたのだが、悲しいかな、将棋に興味のない私の耳を右から左へと抜けていった。

        ただ、「堅い守りの穴熊にも崩す定跡がある。ロジカルな手順がある」という一点だけが私の頭に残った。

        民主主義だって崩せるよ

        ルールに従って構築されたものはルールに従いつつ崩すための定石が存在する――囲碁や将棋に限ったことではないことは歴史が示している。

        1919年のワイマール憲法発布とともに成立したワイマール共和国において、極端な民族主義と人種的優越を強調するナチスが、初めて正式に国政選挙に参加したのは1928年のことだった。

        この時、ナチスは491議席中12議席を獲得した。

        翌1929年、世界大恐慌が始まる。

        民衆の生活は一気に困窮化し、その中でナチスは「ナチスを支持すればすべては解決する」かのような宣伝を展開して急速に勢力を拡大した。

        次の1930年の国政選挙ではナチスは577議席中107議席を獲得して第2党へと躍進する。

        1932年の大統領選挙にはアドルフ・ヒトラー党首が出馬するが次点で落選。

        同年7月の国政選挙では608議席中230議席を獲得して第1党となった。

        政局はナチスを巡って混乱し、11月にまたも国政選挙となる。

        ナチスは議席数を減らすが196議席で第1党に踏みとどまった。

        そして決定的な転換点が来る。

        1933年1月30日、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領は周囲に説得されて、アドルフ・ヒトラーを首相に任命。

        ヒトラーは政権基盤強化を狙って翌2月1日に議会を解散、選挙戦に突入する。投票日は3月5日に設定された。

        選挙期間中の2月27日、国会議事堂が放火される。

        同日、現場で犯人として共産主義者のマリヌス・ファン・デア・ルッベが逮捕された。

        この事件に関してはナチスの自作自演という主張もあるが、現在では背後関係のないルッベの単独犯行という説が主流となっている。ルッベは労災で半ば視力を失い、労働運動、そして共産主義運動に

        希望をつないでドイツに流れてきたオランダ人だった。

        が、ナチスがこの事件を最大限に利用したことは間違いない。

        ヒトラーは共産党の組織的犯行だと主張してドイツ共産党への大弾圧を行った。

        選挙はナチスの圧勝だった。

        ナチスと連立を組む国家人民党と併せて議席の過半数を獲得した。

        3月7日の閣議で、ヒトラーはワイマール憲法の範囲を超える大きな権限を独占する全権委任法の制定を宣言。

        全権委任法は憲法修正を含むので、本来は可決にあたって

        全議員3分の2以上の出席と、出席議員3分の2以上の賛成が必要だった。

        この時点ではナチスなど賛成する党の議席では足りなかった。

        が、ナチスは同時に過半数で可決できる「議院運営規則の修正案」も提出した。

        修正の内容は「欠席議員を分母に算入しない」というものだ。

        これまでにナチスは共産党議員を全員拘束しており、彼らが分母からはじかれることで、3分の2以上の賛成という憲法修正可決の条件を満たすことが可能になった。

        3月23日、全権委任法は可決された。

        ワイマール体制は終焉(しゅうえん)し、ナチスの独裁体制が成立した。

        全権委任法可決にあたっては伏線があった。

        まず、ワイマール憲法の48条に緊急事態条項があったことだ。

        国家の危機時に大統領は議会の議決を経ずに緊急命令を発令し、

        基本的人権の制限を含む様々な命令を出すことができる。

        これがナチス台頭の混乱時期、国内向けに乱発・乱用された。

        このため国民が「緊急事態慣れ」してしまった。

        国会議事堂放火事件直後からの大規模な共産党への弾圧も、法律や議決を経ない緊急事態条項に基づく大統領令が利用された。

        これにより共産党の国会議員は、共産党員であるというだけで「犯罪を行う可能性あり」として予防拘禁され、国会への出席が不可能になった。

         

        大統領令に基づく超法規的な共産党弾圧と共産党国会議員の予防拘禁がなければ、ナチスの独裁もなかったかもしれない。

        民主主義体制は政権交代による権力の移行を前提とする。

        だからその仕組みは大なり小なり権力の長期独占を許さないように設計されている。

        ナチスがその仕組みを破壊し、独裁体制を構築する過程からは、

        「民主主義体制を破壊して、独裁体制を構築するための定石」が見えてくる。

        それは堅固に組まれた穴熊をこじ開けて王将を裸にする定跡のようにも見える。

        民主主義をこじ開ける定石最初が過激な宣伝だ。

        仮想敵をつくり徹底的に糾弾し、貶(おとし)めることで、

        人々の不満のはけ口をつくる。

        一方で、その解決策を提示すれば人々の支持を得ることができる。

        解決策は現実的なものである必要はない。

        が、人々の優越感をくすぐるものでなくてはならない。

        優越感に実体はいらない。人々がそう信じてくれればいいのだ。

        ナチスの場合の仮想敵は共産主義であり共産党であり、

        さらにはユダヤ人資本家、ひいてはユダヤ人全般であった。

        ユダヤ人に対置する優越感の源泉として、ドイツ、そしてアーリア人というものがことさらに持ち上げられる。

        アーリア人とは本来、紀元前1500年ごろから500年ぐらいにかけて、中央アジアからインドを席巻し、

        今のイランでアケメネス朝ペルシャを立ち上げた遊牧民のことだ。が、19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツで「アーリア人こそ優等人種で、ゲルマンのドイツ人の祖だ」とする説が唱えられ、

        ナチスはそれを採用した。

        対比して「ユダヤ人や黒人やロマは劣った民族だ」というのである。ナチスの言う優等人種アーリア人と、歴史上のアーリア人には何の関係もない。

        ついでに書いておくと、ヒトラーにとっては日本人も「劣等民族の一つ」であった。

        次は、権力を掌握したらすぐに議員の選挙を行うことだ。

        権力者の支持率は就任直後が一番高く、権力の椅子に座っている期間が長くなるほど低下する。

        だから、就任直後の選挙が一番有利になる。

        まだ何もしておらず、選挙民が漠とした期待感だけで支持してくれている状態で次の選挙を行えば、議会で多数を占めることができ、その後の政局運営が容易になる。

        1933年1月30日に首相に就任したヒトラーは、2日後の2月1日に議会を解散して選挙を行った。

        3つ目に、国の暴走を防ぎ国民の権利を権力の横暴から守る最高法規たる憲法に緊急事態条項がある場合は、たまさか騒乱が起きたならば利用し、あるいは具体的に騒乱を演出し、あるいは「何か怖いことが起きるかもしれない」と国民の不安を煽(あお)り、緊急事態を宣言して法律を超える無法なことを行う。

        ヒトラーは偶発的に発生した国会議事堂放火事件を利用して大統領令を使い、共産党の議員を予防拘束し、国会への出席を不可能にした。

        仕上げが、全権委任法の可決・成立だ。

        全権委任法には改憲要素があるので、これは独裁に向けた改憲ということもできるかもしれない。

        法的根拠ができるので、この後、独裁体制から民主主義体制に戻るのは非常に困難になる。

        実際問題として民主主義を取り戻すには、戦争による破壊か、クーデターか、革命か……なんらかの暴力の行使が必須となる。

         

        整理すると、「仮想敵をつくり、現実の中で苦しむ人々の優越感をくすぐる宣伝」「権力掌握直後の選挙」「法律を越える行動の正当化、法治の形骸化」「改憲を含む独裁を支える法的基盤の確立」となる。

        これらが、民主主義を破壊して独裁権力を確立するための“定石”というわけだ。

         

        定石はあくまで定石であって、現実での適用は様々に変化するはずだが、このことを念頭に現在の日本の状況を見るとなかなか興味深い。

         

        「日本を取り戻す」という曖昧かつ効果的スローガン

        「仮想敵をつくり、現実の中で苦しむ人々の優越感をくすぐる宣伝」は、21世紀に入ったあたりからのネットでの「嫌韓」「嫌中」がまさにそれだ。

        最近の「移民が日本の治安を悪くしている」といった主張とか、埼玉県川口市のクルド人に対する差別、

        さらには札幌を中心とした「アイヌ民族は不当に優遇されている」という主張など――ナチスのように一つの政治勢力が仕掛けているという様相ではないが、明らかに「スケープゴートをつくって叩(たた)く」という風潮が四半世紀にわたって続いている。

         

        それに対応する形で盛り上がっているのが「日本は素晴らしい」の

        言説だ。

        2000年代は主に「日本の経済は、科学技術は素晴らしい」だったが、日本経済の衰退が進行するほどに「日本の伝統は素晴らしい」という言説へと変化していった。

        「日本は植民地時代の台湾を発展させた。だから今も台湾は親日国だ」というような変化球もある。

        政治面では参政党の「特攻隊員の犠牲があったから日本は救われた」が目立つ(「ゆるふわ国家意識の終着点・決戦兵器「伏龍」」)。

        が、最大最強のプロパガンダは第2次安倍晋三政権の「日本を取り戻す」だろう。

        取り戻すからには、過去の日本が対象だ。

        それは高度成長期なのか、戦前までも含むのか。

        このフレーズは、バブル期や高度成長期などの“輝いていた日本”の記憶、さらには共同体への郷愁などをごった煮にして、中身に一切触れることなく、「戦前日本を取り戻す」ということをも含めて主張するのに成功した。

        「明治憲法の下で天皇が統治し、女性には選挙権がなく、国民は徴兵され、10年に1回大きな戦争をする日本を取り戻す」と言うと賛否両論になるだろうが、「日本を取り戻す」と言うと、なんとなく雰囲気として「そうしなくてはいけない」という方向に人々を引っ張ることができる。

        「権力を掌握したらすぐ選挙」は、まさに高市早苗首相が2月に行った衆院選そのものである。次年度予算の審議を吹っ飛ばして強行した選挙は、立憲民主党が公明党との合流という超特大のオウンゴールをやらかしてしまったこともあって、自由民主党の圧勝だった。

         

        「法律を超える行動の正当化、法治の形骸化」は、第2次安倍政権から現在にいたるまで進行中である。それを象徴するのは、安倍元首相が東京五輪の開催に向けて、当時電通の役員だった高橋治之被告(受託収賄罪で公判中)に語ったとされる言葉だ。

        安倍元首相は高橋被告に2020東京五輪大会組織委員会理事の就任を要請した。

        高橋被告は「過去に五輪の招致に関わってきた人は、みんな逮捕されている。私は捕まりたくない」と一度は断った。

        それに対し、安倍元首相は「大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。

        高橋さんを必ず守ります」と言ったというのである。

        これは、何かあったら首相の地位を使って法律を恣意的に運用します、法治を破壊しますという宣言にほかならない。

        森友事件も、公文書の破棄も、なぜか税法違反で裁かれることのない裏金議員も、岸信介以来連綿と続き今も続いていると思しき統一教会と自民党との関係も、「独裁体制確立に向けた法治の形骸化」という文脈から読み解く必要があるだろう。

         

        そして今、自民・日本維新の会連立の高市政権は、「議員定数の削減」と「早期の改憲」を掲げている。

        議員定数の削減は、比例区の定数を減らすというものだ。

        これは現在の小選挙区比例代表制において、第1党を決定的に有利にするものだ。

        「少数野党の虐殺」であり「少数者の支持のみで独裁を可能にする改正」そのものである。

        そして改憲の内容は、独裁の種子と形容すべき緊急事態条項を含む。

         

        ナチスの権力掌握・独裁体制確立と比較すると、今、日本の民主主義がほかならぬ自民・維新の連立政権により危殆(きたい)にひんしていることがはっきり分かる。

        自民党がその方向を進む理由は以前書いた。

        自民党は何があっても政権から降りたくない。

        それだけなのだ(「高市内閣の『鉄砲玉人気』のゆくえ」)。

         

        ナチスにはまだ、いや、まだと言っては語弊があるが、「生存圏(レーベンラウム)の確保」という(間違った)目的があり、独裁はそのための手段だった。

        が、自民党は違う。単純に「いつまでも権力の座にいたい」だ。

        手段が目的化しているのである。

        生存本能の暴走みたいなものだから、理屈が通じないのだろう。

        議員定数削減と改憲が通れば、日本における民主主義体制は終わり、独裁国家が極東に現出することになろう。

        では、民主主義から独裁体制に移行したとして、独裁日本の未来は、民主主義のまま進んだ場合に比べて一層効率的で明るいものになるか。

        ファシズムが典型だが、独裁を希求する動機には多分に「意思決定が迅速になり、様々な課題に素早く対応できる」という利点が存在する。 が、そうはならない。

        私の見るところ、独裁日本は簡単に失速し最長でも30年、最短5年で崩壊する。そして最短の崩壊のほうがはるかに確率が高い。

        理由は簡単だ。独裁体制はもろいのである。

         

        権力者を更新できない制度はもろい独裁体制は政権交代が制度化されない。

        が、人は老いて死ぬ。独裁が成功すると独裁者の老衰と死が独裁の

        終わりとなる。

        スペインのフランコ独裁政権(1939~1975)がこのパターンだ。

        独裁者フランシスコ・フランコ(1892~1975)は、46歳で独裁者となり、その地位を維持して82歳で死去した。

        現在64歳の高市首相を当てはめると最長30年程度だろう。

        もちろんルーマニアのニコラエ・チャウシェスク(1918~1989)のように、国民に愛想を尽かされて悲惨な最後となる可能性もある。

        しかも独裁者は制度的に退陣させることができない。独裁者が健康を害する、あるいは精神を病めば、国はあっさりと道を間違える。

        いさめる者は排除されてしまっているから、正す人がいない。

        こうなると独裁者の人生より、国の命脈のほうが先に尽きる。

        ちょうど現状の米国が期限付きでそのような状態になっている。

        米国は大統領の権限が非常に強く、4年の任期付きの独裁者に近い。

         

        ヒトラーの独裁体制は1933年3月23日の全権委任法の可決・成立で独裁体制を確立したが、1945年4月30日にヒトラーが愛人のエヴァ・ブラウンと共に自殺することで終わった。

        この間12年1カ月7日、4422日である。その間、ヒトラーは何度もの判断ミスをした。

        民主主義体制なら首班交代でリカバリー可能なところでも、独裁体制ゆえに破滅への行進を止めることはできず、崩壊するまでに多大な損害を世界にまき散らした。

        独裁体制が永続するパターンは2つ。

        国が大きく、経済が健全で、後継者が複数の権力者たちの

        非公式の暗闘で決まる場合。

        中国共産党がこのパターンだ。

        もう1つは血統により独裁者が後継者を指名できる、つまりは王制・帝政に近い場合だ。

        北朝鮮がこれである。

        さらに北朝鮮の場合は、積極的に大国の「パシり」になることで、独裁体制を継続させている。

        中国のバックアップなくして、北朝鮮の独裁体制は続かない。

         

        どうも高市首相は、独裁日本のケツ持ちを米国にやってもらいたいようだ――「トランプ大統領の横でピョンコピョンコ」から、訪米時の「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」発言までの行動を見るとそのように読み取ることができる。

        が、今米国はまさに「利己的、非合理的な行動をする期限付き独裁者」による混乱の真っ最中だ。

        米国においてなんらかの形で無期限の独裁が実現すれば国が崩壊に向かうし、期限通り独裁者が去れば、次は独裁者色排除のリカバリーの時期が来る。

        いずれにせよ、今の段階で米国に「独裁日本のケツ持ち」を期待して媚(こ)びたとしても、思惑通りに進むとは思えない。

        「最短5年で崩壊」「最短期間で崩壊する確率が高い」と

        判断する根拠はここにある。

        自民党は岸元首相以来、政権維持への協力を米国に期待し、米国もその期待に応えてきた。

        が、それが今後とも永久に続く保証はない。むしろ21世紀になってから、米国は世界の中心から滑り落ち続けている。

        まして、ドナルド・トランプという人物は人種差別主義者でもある。あのピョンコピョンコは彼の目には「黄色いサルの雌がはしゃいでいる」と見えたはずである。

        さあ、どうする?

         

        さあ、この状況で、一個人としての自分は何をするべきか――社会に向けて意志を表明し続けるしかない。

        ネットやSNSは世論誘導・工作の場として使われもするが、本来は個人が自由な意志を表明する場でもある。

        が、一番効果的なのはデモに参加することだ。

        デモは民主主義国家の国民に認められた正当な意思表明手段である。それは全然過激な行為ではない。当たり前の意思表明手段なのだ。

        国会前に1000人位が集まったところで権力にとってはどうということはない。

        が、それが1万人を超えれば無視ができなくなる。

        10万人ともなれば確固たる国民の意志の表明となる。

        60年安保の時は、全国で500万人以上がデモや抗議活動を行った。300万人が死んだ敗戦から15年。

        戦争の記憶はまだ新しく、みんな身内に死者がいた。

        「もうあんな思いはしたくない」という心が多くの人々を動かした。

        案の定と言うべきか、SNSではデモを揶揄(やゆ)する書き込みが増えている。

        それは権力がデモを恐れていることの表れだ。

        2022年4月には陸上自衛隊が「反戦デモ」や「報道」を「テロ」と併置する資料を作成していたことが明るみに出て問題となった。

        陸自のような組織は命令がないと動かない。

        何か政治の側から検討の指示が出ていたと考えるのが妥当だろう。これもまた、権力がデモを恐れる傍証であろう。

         

        デモ鎮圧に自衛隊が出動するとなると、それはまんま1989年中国の天安門事件であり1980年韓国の光州事件である。

        一国の軍隊が政府の命令で国民を殺せば、それは国民全体の傷となり長く記憶に残り、国政運営に影響することになる。

        1905年帝政ロシアの血の日曜日事件は、ロシア革命の引き金となった。

        60年安保では岸首相がデモ鎮圧に自衛隊の出動を要請したが、赤城宗徳防衛庁(現防衛省)長官が「自衛隊員に日本人を殺させるわけにはいかない」と出動を拒否したのだった。

        もし現状に危機感を抱くなら、デモに参加しよう。

        ペンライトやLEDライトがあるといい。

        LEDでメッセージを出せるプラカードもあるそうだ。

        (イラスト=モリナガ・ヨウ)

         

        32歳でこの世を去ったあいつに言いたい

        「何を過激なことを」と思われるかもだが、私の基本は怠惰な人間、怠け者だ。

        宇宙関係の記事を書いて生活費を稼ぎ、バイクで走り回りたい(「半世紀前のバイク『KATANA(刀)』がジジイに与えてくれる至福」)。キャブレターをいじって生きていたい(「キャブレターの調整が基本的人権であることについて」)。プラモデルをいじって楽しみたい(「ドラゴンボールと『ハイヨー!シルバー!』モデラー鳥山明氏をしのぶ」)。武満徹の音楽をかけて、日なたでうたた寝したい(「これは映画で見たい! 『生きる悦び』という20分間の奇跡」)。

        基本的に「息抜きのあいまに人生」で一生を過ごしたい(「ボーイングの没落とゆうきまさみの間に……」)人間なのである。

        他方で、私は日本国憲法を持つ日本で生まれ、大学院まで十分な教育を受け、64歳まで徴兵されることもなく戦争も飢えも経験することなく生きてきた。

        父母の世代は戦争と飢えの中で育ったというのに、これはなんという幸運であろうか。

        願わくばこのまま戦争も飢えも経験することなく人生を全うしたい。  妻子のない私にもおいっ子めいっ子はいる。

        彼らにこのまま「戦争も飢えもない平和で自由で豊かな日本」を渡してきれいに消えたい。

        そして、もしもあの世があるのならば、32歳で死んでしまった親友に「よお、おまえ、ものすごく損したな。

        現世はめちゃめちゃ楽しかったぜ」というセリフと共に再会したい。

        怠惰な人間には、ただ一つだけ美点がある。怠惰であり続け、怠け者でい続けるための努力は惜しまないということである。

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