BIS論壇№518『イラン情勢に思う』中川十郎 2026年6月20日
2月末にイスラエルと米国が国際法を無視し、イランを攻撃したが、このほど停戦合意に達したことを歓迎したい。かって総合商社駐在員としてバグっド、ベイルートに3年駐在し、石油ビジネスにも関与していたものとして、今回の停戦合意が永続することを祈念する次第だ。 しかし今回のイラン戦争ではイランがホルムス海峡閉鎖、無人機による中東の米軍基地攻撃などで徹底した抵抗を示したことで、イスラエル、米国の戦略は破綻したとみられ、イラン優勢のまま停戦交渉に持ち込まれたとの見方が強い。
さて筆者はバグダッドでは1960年代後半、中東戦争を機にイラク向け日本車の大量初輸出に成功した。しかしそれまではイラク市場は欧米自動車メーカーの独壇場であった。
だが、1967年の第4次中東戦争を機に中東諸国は欧米諸国がイスラエルに加担したとして欧米車をはじめ欧米主要製品の輸入を禁止。日本車売り込みの絶好の機会が訪れた。
しかし欧米自動車メーカーは日本車はエンジンが弱く、砂漠の多い中東では不向きだと宣伝しており、容易には売り込みは成功しなかった。
イラク自動車輸入公団からは日本車の性能をチェックするため、砂漠での走行実験をするよう要求があった。サンプル車の日本車日産ブルーバードをクエート港から砂漠を超えてバグダッドの自動車輸入公団まで走行させ、問題なければ日本車の輸入を検討するとのことであった。現地店の運転手、日産のエンジニア―、セールス担当者、それに筆者が乗り込んだ。砂漠を長時間走行するのでまず飲料水を大量に準備。されに砂漠の灼熱を避けるため、窓ガラスをシートで覆い、灼熱を遮る努力をした。
試しに自動車の屋根で卵を渡ったころたちまち半熟になるほど屋根が焼けていた。砂漠の途中で灼熱によりラジエーターからは水蒸気が立ち上り心配したが何とかエンジンは持ちこたえた。
8時間の砂漠走行後、バグダッド市内に入ったところ、ちょうど昼時間で、道路のアサファルが解けており、タイヤがじりじり焼けており心配したが何とか自動車輸入公団前に無事到着した。そのかいあって初の日本車、乗用車、ピックアップトラック、マイクロバスなど1700台(当時の金額で5億円、現在価格50億円か)のイラク向け初輸出に成功した。その後も、余勢をかって、イラク原油の直接輸入をイラク石油公団と開始した。こちらの方は日本の新聞にスクープされたため欧米石油会社セブンシスターズがニチメン(現双日)本社にニチメンがイラクから原油の直接買い付けを行うならばニチメン向け石油ビジネスを中止すると脅され、イラク原油の直接買い付けがとん挫したのは残念であった。
写真は日本車買い付け御礼にイラク大統領府を訪問の右から4人目、ニチメン上田専務(その後社長)、3人目筆者、2人目・深井駐イラク日本大使、一人目善野・中近東総支配人








