東京五輪開催のとん挫へ
入口紀男熊本大学名誉教授の見解
令和3年6月19日
村田光平
(元駐スイス大使)
皆様
入口紀男熊本大学名誉教授からはこれまでも厳しい
東京五輪批判が寄せられ、その都度お届けしてまいりましたが、本日、集大成ともいえるご見解が寄せられましたので共有させていただきます。
東京五輪は福島対策、コロナ対策への全力投球を妨げ、PCR検査を抑制するなど、誠に罪深い影響を及ぼしたことは
否定できません。IOCはこのことに対して、いささかなりとも反省した形跡は皆無です。
日本国民は最終段階を迎え、遂に目覚め出しつつあると
確信致します。
皆様の格段のご理解とご支援をお願い申し上げます。
村田光平 様
入口紀男です。
お疲れさまです。
人類の生命(生存権)に「尊厳」が存することの
現れとして、スポーツを通して「分断」を「一体」に
変えることを理念とするオリンピックには、元来それだけの意義があると思われます。
しかし、日本人がその理念を肯定するか、それとも、否定するかは、現在の国際社会の中で東京五輪をどう位置付けて見せるかによって変わって来るものと思われます。
WHOがパンデミックを宣言している中でオリンピックを開催することは普通ではあり得ません。
また、国民の大部分が東京五輪の中止を求めているのに、それを菅義偉首相が全く無視して(裏切って)、
主要7カ国首脳会議(G7サミット)という国際的な場で開催を支持するように求めた行為も普通ではあり得ません。各国首脳も日本を代表して来た首相に対してことさら敵対的行動をとることはできなかったでしょう。
尾身分科会会長も国会で「パンデミックで(五輪を)やるのは普通はない」と発言していましたが、
6月18日に政府に提出した提言文書では開催の当否について言及せず、同日「当初の(提言)文書では、五輪開催の有無も含めて検討してほしいとの文章があったが、首相が主要7カ国首脳会議(G7サミット)という国際的な場で開催を表明し、(専門家で)開催の是非を検討することは
実際的にほとんど意味がなくなった」と表明しました。
分科会も、政府の追認機関としての地位に甘んじなければ任命を拒否されかねないからでしょう。
分科会は「無観客が望ましい」と表明しながらも、有観客の場合の観客の「ワクチン2回・子どもは不可・前日のPCR陰性・マスク・2メートル」といった最低限の具体的対策を提言しなかったようです。
こうして、日本には国民の生命(生存権)をファーストとする専門家は存在しなかったことが歴史に残るでしょう。
日本人は「アンダーコントロール」などとウソをついて東京五輪を招致しました。
しかし、放射能は、今も「緊急事態宣言」が解除されていません。
このような五輪開催地は過去にありません。
私は、これまで国際オリンピック委員会(IOC)から
日本の国民は守られなければならないと感じたことはありませんでしたが、IOCは、米国のJ. ボイコフ教授が指摘するように、「カネ・カネ・カネ」だけのようであり、
家族とともに日本にやって来て高級ホテルに泊まり、
終わったらただ帰って行くだけのようです。
古代ギリシャのオリンピアで紀元前八世紀から紀元四世紀まで千年以上続いたスポーツ大会としての崇高な理想を
実現し、人命を尊重する、第二の国際オリンピック委員会
(セカンドIOC)が必要なようです。
コロナにも放射能にも打ち勝っていない日本人は、政府の行為によって国民の生命を軽視し、ひたすら大東亜戦争に突き進む様相を呈しています。
すべてが終わったとき、それを歴史が評価するでしょう。