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        村 田光平  自己紹介(2021年3月11日)

        血 筋

        父方の先祖は長曾我部元親の家臣家老職の村田次郎光重(ミツシゲ)で私の名前光平(ミツヘイ)の源です。母方の大伯父の弘田司は東大 で小児科を創設し、大正天皇の侍医でした。

        両親は本州四国の連絡船で知り合い駆け落ちして上京し医師を目指しましたが果たせず食品工場を始めました。

        安岡正篤は遠縁にあたります。祖母は安岡家の出身です。

        祖父は谷干城の友人でした。自由民権運動に携わり片腕を失ったと聞いております。初代専売局長の仁尾 惟茂は父のいとこにあたります。

         

        幼少期

        相撲、水泳、野球、柔道が好きでした。近所の相撲大会でよく好成績を収め表彰された思い出があります。

        映画館にも週末によくでかけました。中学時代には年間に米国の

        西部劇を百本ほど観る年もありました。

        野球部に中学3年から高校2年まで属しました。中学野球部の荷物置き場のすぐそばのカナダ人の家族(大使館付属武官)と知り合い、よく家に食 事に招かれ、その一人息子(10歳前後)と親しくなったことが思い出されます。

        高校時代には勉強の合間にトルストイの「アンナカレーニナ」、

        谷崎潤一郎の「細雪」などの古典を読んだことが楽しく思い出されます。また、 NHKのラジオ講座で英会話、フランス語、ドイツ語を

        毎朝聞いておりました。

        野球部の関係では選抜され神宮球場でプレイできたことが貴重な経験でした。

        学生時代

        テニス部に2年弱所属し、ESSの部長を3年勤めました。

        二人で組んで参加する大学間の全国英語討論大会では準優勝を収めました。英語劇への 出演、弁論大会への参加、5月祭でのスピーチ等々幅広く活動しました。

        外交官試験の準備に多くの時間を割きましたが、今なお付き合いが続くスイスから来日したKate and Ralph Winter夫妻(夫人はペルー提督の末裔)との出会い、絵画、音楽関係の芸大生との交流などが楽しく思い出されます。後日有名になった作家 の森瑤子さん もその一員でした。

        石井志都子さんのヴァイオリンのレッスンを続けました。

        国際学生会議では後にバルチュス画伯夫人となる節子de Rolaさんと出会いました。

        社会人

        外務省時代、出向で宮内庁に御用掛(仏語通訳)として、

        公正取引委員会に審議官として、衆議院事務局に渉外部長としてそれぞれ出向しました。

        渉外部長として衆議院議長と外国の来賓の会談にはすべて立ち会いました。中国の全人代の事務局と衆議院事務局の交流を実現したことは中国、中 国語に対する関心を深めるきっかけとなりました。

        御用掛としては陛下と国賓との会見に出席できたことは貴重な経験でした。

        駐セネガル大使時代にはディウフ大統領の熱意にこたえ、太陽エネルギーの日本からの導入を実現して感謝され、離任後も私の活動を激励いただく 関係が築かれました。

        駐スイス大使時代から、人道主義の立場から原発の危険性を

        訴え始めました。覚悟を要する「原子力タブー」破りです。

        IPPNW(核戦争防止国 際医師会議) のスイス支部共同創設者のMartin Vosseler 氏及びAndreas Nidecker 氏両名との親交が得られたことは、その後の活動の強力な支えとなりました。

        Martin Vosseler 氏は太平洋をソーラーボートで横断するという

        ギネス記録の保持者で、私の活動に対する最も熱心な支援者の一人でした。Jean Zwahlen 元スイス中央銀行理事夫妻からも長年に亘り激励をいただいております。

        忘れられないのは、問題を抱え通学をあきらめた子供たちに救いの手を差し伸べる師友塾との関係です。

        講演、野球部応援など大越塾長の熱心な依 頼を受けて子 供たちと楽しく交流できました。真夏の全国大会で度重ねて上位進出し、

        そのたびに熱中症を恐れながらの応援が忘れられません。

        師友塾は真の指 導者(グロー バル・ブレイン)などの教育論を

        発信する貴重な場でした。拙著「歴史の危機の入り口に立つ日本」はこの体験から生まれました。

         

        4人の子供がおり、長女は英語教師、長男光央は米国証券会社

        キャンターフィッツジェラルドの日本法人社長、

        次男は警視庁警部補、三男はオリッ クス課長代理です。

         

        定年後

        退職前後の心境は、1998年の新年の挨拶で、経済利潤の追求を優先するより「足るを知る」哲学を支えとして各個人が幸福になれる社会を実現 する精神文明 の創設を訴えたことに集約されます。また、脱原発や環境税の検討といったスイスの政策を評価する私的な文書を発信したところ、閣僚懇談会で 「原子力政策に 反する」と批判されたことが1999年4月10日付朝日新聞で大きく報じられました。「原子力タブー」の存在を印象付けられた体験でした。

        退職後、拙著「新しい文明の提唱~未来の世代へ捧げる」及び

        「原子力と日本病」を2000年及び2002年にそれぞれ出版し、「原子力タブー 破り」の発信 活動に乗り出したのはこのような

        背景からです。

        五井平和財団の西園寺昌美会長は「新しい文明の提唱」の「あとがき」でこれからは一人一人が責 任と義務を負 うべき個の時代へと変わるよう訴えられました。また、2冊とも帯で筑紫哲也氏に推薦されました。

        最初の大掛かりな活動は下河辺淳(元国土庁事務次官)、

        相馬雪香(尾崎行雄記念財団副会長)他4名の連名で「浜岡原発の運転停止を求める声 明」(平成14年5月20日付)を発出したことでした。

        そして浜岡原発の運転停止を求める100万人全国署名の発起人となり、影響力のある著名人に働きかけて発起人になっていただきました。例えば 退職後、稲盛 京セラ顧問及び稲盛財団評議員を2年間勤めましたが、稲盛和夫会長は私の活動に対する心強い理解者で、梅原猛さん、坂本龍一さん、相馬雪香さ ん、下河辺敦 さん、

        田中康夫さんらとともに発起人を引き受けて頂きました。

        全国署名は2011年に達成され、菅直人総理の要請により実現した浜岡原発の運 転停止の重要 な不可欠な背景となりました。

        2005年6月、スタンフォード大学で開催されたOBサミット・

        専門家会合とOBサミット総会に出席する機会を得ましたが、

        「未来の世代の代 表」を志す者 として最終声明の中に

        「人権は未来の世代を含むすべての人の所有物である」との一文が私の主張で入れられたことが特記されます。

        2011年3月の福島原発事故発生当時、地球システム・倫理学会の常務理事でしたが、事故直後緊急アピールの発出を担当し、

        国連倫理サミット の開催と地球 倫理国際日の創設を訴えました。地球システム・倫理学会は2012年4月5日、緊急アピールを

        発出し、国際社会が3月11日を「地球倫理の 日」と定め、世界のすべての人びとが地球と文明の未来を考える反省の日とすることを提唱しました。世界ユネスコクラブ連盟は“3.11を「地球倫理の日」に すること”を 公式に提案するに至りました。(2013.3.11)

        参議院予算委員会公聴会(2012年3月22日)における公述人としての発言は注目されました。福島事故の教訓が「経済重視から生命重視への 移行」である こと、および世界の危機の真因が倫理の

        欠如であることを指摘したこと、国連倫理サミットの開催につき

        潘基文国連事務総長より前向きの返書を受 領したこと、

        また、オバマ大統領の「核のない世界」の支持を含む私の発信活動に対してルース駐日米大使より謝意を伝える書簡が寄せられたことを披露したこ となどがその 内容でした。

        特に強調したのは天地の摂理(天の摂理に地を加え哲学であることを示した私の造語)は不道徳から人類と地球を守る、これが悠久の 歴史から導き 出される歴史の法則であるという点でした。

        国際的な支援の動きにも言及しました。

        再処理工場の危険性を改めて訴えましたが、

        欧州の代表的な環境学者、エルンスト・フォン・ワイゼッカー教授から得られた支持に言及しました。

        この公聴会で世界が注目していた福島第一4号機の危険性を指摘する機会を得ました。4号機の危険性については細川護熙元総理も

        重視され野間文 学賞受賞のご挨拶で強く訴えてくださいました。

        定年後の発信活動に加え、中国との関係は言及に値します。

        スイス在勤時代より中国語の勉強を始めました。定年後工学院大学の孔子学院で学習を続けました。自宅で中国テレビの連続劇をよく見ておりま す。

        2008年に天津科技大学に招かれて「現代文明を問う」と題する講義をした私に名誉教授の称号が与えられました。

        中国通として著名な南村志郎 氏の協力をいただきました。

        在日中国大使館次席大使からは、そのころ私の活動が原発の安全確保の管理の重要性を想起させるものであるとして謝意が寄せられました。

        中国の首脳には長年に亘りメッセージを送り続けて参りました。

        その中で特に原子力にとって代わるべき自然エネルギーの重要性を強調しました。

        中国との文化交流の関心があり、現在、鳩山友紀夫元総理が名誉顧問を務められる「日中酒道協会」の顧問を務めております。

        鳩山元総理は東京五 輪の開催に当初から反対の立場を公にされました。

        政治家との関係に関しては駐スイス大使時代、橋本龍太郎総理とは麻布学園のクラスメート、池田行彦外務大臣とは東大でのクラスメートでした。 橋本総理を応援する「麻立会」は麻布出身の議員が

        多く、福田康夫元総理は元官房長官として上述のOBサミットに出席され、ご指導をいただきました。

        セネガル在勤中にディウフ大統領の要望に応じ太陽エネルギーを導入し、同大統領は離任後も長年に亘り私の活動に声援を送って下さいました。

        カーター米大統領、アル・ゴア米副大統領からも返書をいただいており、励まされました。マレーシアのマハティール元首相からは

        原発の導入に反 対する立場を伝える書簡をいただきました。

        脱原発の活動を続けられる小泉純一郎元総理を応援する原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)の幹事として自然エネルギーの推進に関わっ ております。

        まとめ

        純然たる人道主義に立脚する立場から反原発、反東京五輪の発信を続けております。民事、軍事を問わない核廃絶は日本の歴史的使命と信じます。 そのために国 連倫理サミットの開催により地球倫理の確立を図り、現在の「力と支配に立脚する父性文明」から「倫理と連帯に立脚する母性文明」への移行を実 現することと が不可欠と信じます。

        当面の緊急課題は不道徳・無責任な東京五輪の中止の決定です。

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