2022年4月7日
話のタネ・欧州再訪、性懲りもなく
元国連事務次長・赤坂清隆
3月22日から昨日4月5日までの二週間、
デンマークとフランスを訪問してまいりました。
デンマークは、会議に出るための出張、フランスは私的なパリ旅行でした。
ロシアのウクライナ侵攻が続いており、また新型コロナがまだ猛威を振るっている最中に欧州を再度訪問するというのは、「また気が狂ったか」と思われるかも知れません。
そう思われても仕方がないのですが、今この時期に欧州を訪問したらどういうことだったかを事実に即して詳しくお伝えするのは、
そろそろ海外旅行を再開したいと思われる、私に似た酔狂な方にはご参考になると思い、今回の「話のタネ」にさせていただきます。
まず、ウクライナ危機の影響です。
予約済みのヘルシンキ経由デンマーク行きフィンランド航空は、
ロシアの上空を通過できなくなったので、キャンセルになりました。フィンランド航空の手配でJAL便に変更になって、ロンドンまでは出発日前に確保できたのですが、それから先のフライトは、私が羽田空港に着いてから、JALのカウンターの人たちが懸命に探してくれて、英国航空が確保できました。フィンランド航空の帰国便もヘルシンキ以降はキャンセルになり、予定より一日遅れのJAL便に変更になりました。
羽田出発の際のJALカウンターでは、パスポートとワクチン接種証明(3回)を見せただけで、追加的にPCR検査陰性証明は必要ありませんでした。これは、昨年夏のアイスランド行きより、
有難い簡素化でした。
JAL便は、羽田から北東方向に進み、アンカレッジ、北極圏、
グリーンランド、アイスランド上空を飛ぶこと15時間40分で、
ロンドンヒースロー空港に着きました。
機内では、マスク着用が義務付けられましたが、ヒースロー空港では、マスクをしている人は少数で、英国人とおぼしき人はマスクをしていませんでした。
コペンハーゲン行きの英国航空は、びっしり満員でしたが、マスク
着用は必要ありませんでした。
コペンハーゲン空港では、ウクライナの婦人と小さな子供が泣きながら抱き合っている映像が、繰り返し繰り返し大きなビデオに
写されて、寄付の呼びかけが行われていました。デンマークでも、
その後のフランスでも、テレビのニュースはウクライナの惨状を
伝えるものが大半でした。デンマークの公の建物には、ウクライナの国旗を掲げているところがたくさんありました。
両国とも、市民がロシアのウクライナ侵略に憤ると同時に、
ウクライナとの連帯を示そうとしている様子がうかがえました。
コペンハーゲンの海岸沿いのホテルに泊まったのですが、
ホテル内でも市内でも、マスクをしている人は、まったくいませんでした。春の日差しを浴びて、川沿いの小綺麗なレストランのテラスで、オープンサンドイッチなどの食事を楽しむ人々がいっぱいでした。マスクをしていて奇異な目で見られることはありませんでしたが、こちらはあまりに多数に無勢なものですから、日本とは逆に、
マスクを外す同調圧力を無意識に感じるほどでした。マスクを外すと、「私も皆さんと一緒」という友愛感のような感じがするのです。危ない、危ないとは知りつつも、ついマスクを外したくなり、
現に気がついたら外していたことがしばしばありました。
デンマークの人口は、583万人で、そのうちコロナ感染者数は、
なんと5割以上の300万人強。デンマーク人の友人によると、
「もう家族も、友人も、誰もが感染 したし、たいがい重症化しないから、インフルエンザ並みの感じになっている」とのことでした。
マスクをしていないタクシーの運転手に、「コロナに感染したか?」と聞いたら、「もう二度もかかったよ、アハハ」という屈託のない
返事でした。
しかし、そうはいっても、我ら日本からやってきた短期出張者にとっては、感染したら大変です。帰国できなくなります。
マスクをすべきか、外すべきか、ハムレットよろしく悩む毎日でした。特に、大勢の北欧からの会議参加者との連日の夕食会は、
悩みのタネでした。肩擦れ合うほど密に座って、右からも左からも
大声で話しかけられ、左側の女性の口から飛び出す唾しぶきが私のパンにかかるのも観察できました。
「もうアカン、毒を食らわば皿まで、こうなったら仕方ない」と、
ロシアンル-レットの実弾ならぬコロナウイルスが私には当たらないようにと、神様に祈りつつそのパンを口にしました。
日本から一緒の私の同僚は、その夕食会では同じような状況だったので、パンには手をつけなかったと後で語ってくれましたが、
私には後の祭りでした!
コペンハーゲンでの会議というのは、スカンジナビア・ニッポン ササカワ財団の主催する北欧の現代日本研究者の集まりでした。
全部で70人以上の参加者があり、日本の外交、経済、援助政策、
移民問題、建築、言語など多種多様なテーマについて、主に若手研究者と博士課程の学生による活発な研究発表と、
北欧における現代日本研究の一層の活発化に向けてのラウンドテーブル・ディスカッションが二日間にわたって行われました。
会議中マスクをしているのは、われわれ日本からの出張者二人と、
あとはフィンランドからの女性参加者ひとりぐらいでした。
ランチは、ビュッフェスタイルで、多くのテーブルに腰掛けての賑やかなものでした。
この会議の後、私はひとりでパリに、ルフトハンザ航空に乗って、ミュンヘン経由で行きました。まったくプライベートな旅で、パリを久しぶりに見て回り、スケッチをしたり、旧友と食事をするだけの「優雅な」ひとり旅を想定しておりました。
搭乗の際にワクチン接種証明を見せただけでしたが、機内では、
マスク着用が義務づけられました。
すべてEU加盟国なので、パリ入国手続きは、まったく何もありませんでした。
バリに着いたのは3月26日でしたが、街に入ると、マスクをかけている人はごく少数に見えました。
3月14日に市内でのマスク着用義務や、レストランなどでの
ワクチンパスの提示が解除されたばかり(ただし、地下鉄など公共交通機関ではなおマスク着用が義務付け)の時期にあたりました。
気温が20度近くにも上がるうららかな春日和で、
パリの人々は開放感に浸っているような印象を受けました。
しかし、インターネットで調べると、フランスのコロナ禍は、
まだまだ収束するには程遠い状況でした。フランスの人口は、約6700万人で、そのうちコロナ感染者数は、2440万人といいますから、
4割近くに上っていました。パリ到着当初では、フランス全土で一日あたり平均12万人もが感染している状況でした。再び感染者が増えつつあり、私の最後の滞在日となった3月31日は、新たな感染者数が17万人にまで増えていました。
気温も下がり、にわか雨や、ひょう霰、さらにはみぞれや雪まで降ってきて、急に寒くなりました。それに伴って、街にマスクをして歩く人が目立って増えだしました。
それでも、レストランやカフェなどを見る限り、マスクをして入る客は私ぐらいしかなく、雰囲気としては昔のパリに戻った様子を見せていましたね。ノートルダム寺院の修復もかなり進んでいました。ただ、明らかに、パリを訪れる外国人観光客の数は、以前より減少したままの模様でした。セーヌ川を巡回する観光船バトームシュにも、空いた席が目立っていました。ポンピドーセンター、オランジェリー美術館、オルセー美術館、マルモッタン美術館のいずれも、チケットを買うのに行列はなく、すいすいと入れました。
ユトリロ、マネ、モネ、ルノワ-ル、セザンヌ、ピサロ、ゴッホ、
ゴーギャン、ピカソ、ルソー、マチスなどを、こんなに贅沢にゆっくりと見て回ることができたのは、とんだコロナ禍の「おかげ」と、
有難いやら、もったいないやら。
短い期間でしたが、パリの底知れない魅力を、今回改めて認識しました。毎日数時間、二万歩以上も歩いたのですが、セ-ヌ川沿いの
景色の見事さには、ほとほと感嘆するばかりでした。
重厚な、どっしりとした美麗さが眼前一面に広がって、人間はこれほどまでにすごい街並みを作れるものかと驚くばかりでした。
10数年前に、4年間も住んだ街だというのに、心底わき起こる
感動、感激は新たでした。どこを歩いても私の下手なスケッチの題材に困ることはありませんでした。
遠くの大寺院、セーヌ川沿いの街並み、プラタナスの並木道、朝の
マーケット、カフェでくつろぐ人びとなど、絵になる風景が街じゅうにいっぱいでした。
後ろ髪を引かれる思いでパリを後にし、再びルフトハンザ航空でデンマークに戻りました。
搭乗には、パスポートとワクチン接種証明の提示が求められただけでしたが、機内ではマスク着用が義務づけられました。
コペンハーゲン空港では、入国手続きは一切ありませんでした。
フィンランド航空のフライトがキャンセルされたこともあって、
コペンハーゲンの街に再び数日滞在したのですが、やはり、見事に
誰もマスクをしていませんでした。今回は、この大きな街で、たぶん私ひとりだけがマスク!それでも、PCR検査を控えておりましたから、意地でもマスクを外しませんでした。
日本帰国にあたっては、出発前72時間以内のPCR検査の陰性証明書、誓約書の提出、スマートフォンの携行と必要なアプリの登録、そして質問書への回答という煩わしい手続きが必要でした。
ただし、今年の3月3日から、3回のワクチン接種証明を持っている日本人には、日本入国の際の検査で陰性であれば、自主待機はもとめられなくなり、これは嬉しいニュースでした。なにせ、昨年9月の欧州からの帰国時には、2週間もの自主隔離が必要だったのですから。
しかし、まだ残っているPCR検査というのは、不安とストレスがたまる、なんとも嫌な手続きでした。
コペンハーゲン空港にあるメディカルセンターで、検査を受けたのですが、検査結果が知らされるまでの2時間は長かったですね。
いや、その2時間だけでなく、不安は帰国が近づくにつれてだんだんと深まっており、時折胃が変調しだしておりました。
酔狂人の私でさえ、ですよ! なにせ、感染者がやたらと多い国々で、しかもマスクをしていない人たちとの密な空間をくぐり抜けてきたわけですから、3回のワクチン接種済みとはいえ、感染してもまったく不思議ではありませんでした。朝目が覚めると、熱が出てないかどうか、額に確認するようになっておりました。
同メディカルセンターでは、厚労省の様式に従って検査結果を出してくれて、2時間待ちだと約3万3,000円もしました。時間はありましたので、もっと待ち時間が長くて安い検査結果の入手の手もあったのですが、一刻も早く結果を知りたいと焦る気持ちがありました(昨年夏フランクフルトで、24時間待ちの、安価な検査結果にした時の長く不安だった経験を思い出しました)。陽性の結果が出たら帰国便には乗せてもらえません。陰性になるまでに何日ぐらいかかるのか、どこかに「隔離」されるのかどうか、その場合はどこで隔離されるのかなど、まったく見当がつかないものですから、メディカルセンターの係の人に聞きましたら、「陽性の場合はドクターから指示があります」とだけのつれない返事。不安は、否が応でもつのりますよね。
いっそのこと、陽性との結果が出たら、この「話のタネ」で皆さんに大変有益な情報を与えられるかもしれないと覚悟を決めて、「自由な独り身だ、陽性でもいいや」と腹をくくったのですが、
そういう気持ちで結果を聞きにメディカルセンターに戻ったら、
アラブ系のドクターが親指を立ててニッコリ、「おめでとう」。
残念ながら、陽性になった場合はどうなるかの有益な情報を得ることは今回もかないませんでした。
デンマークも、フランスも、ワクチン接種証明さえあれば入国可能なのに、日本の水際対策はなお厳しいですね。
以上のような精神的圧力を日本人にもかけているのを、
厚労省の皆さんは良く理解されているのでしょうかね?
デンマークでもフランスでも外国人観光客が徐々に増えつつありましたが、日本ではまだ一切認められていません。
そろそろ、わが外務省も、せめてG7先進国並みにするよう、
水際対策の一層の緩和に向けて頑張ってもらいたいと願うばかりです。
今回の欧州旅行を振り返りますと、「まだ怖いな」というのが本音です。欧州各地では、コロナ感染が収束する気配を見せていないのに、重症化する人が少なくて、「インフルエンザみたいなものになった」として、行動制限の緩和が急速に進んでいます。
これは、現地に住む人にとっては十分理にかなった措置と思われますが、短期間訪問する外国人にとっては、コロナ感染の危険性がなお残っている状況と言えます。
私のように、定年退職者で、日本に帰国しても直ぐやらなければならない急務がない、「気ままな」酔狂人は別ですが、日本に仕事があったり、家族や家のことなど心配事を抱えて予定通り帰国しなくてはならないような人は、今少しの間、リスクの残る欧州観光旅行は慎重に考えられた方が良いのではないかと、老婆心ながら申しあげます。
特に、日本政府が、前述のPCR検査陰性証明を帰国の際の条件にしている間は、気をつけられた方が良いですね。
インフルエンザとは違って、陰性証明が無いと帰国便に乗せてもらえないのですから。
大学の入試試験の結果を待つ時と同じような、不安と将来への心配が混ざった、心臓に負担をかける恐れのある検査ですので、やらないで済むに越したことは無いですね。ただ、陰性という結果が出たら、「良かったあ〜」とぬか喜びに浸ることはできますがね。
長い「話のタネ」になり、恐縮です。少しでもご参考になるところがあれば幸いです。
ちなみに、私は今年中に、またまた海外に出かける計画をしています。
前述の、「気ままな」酔狂人に属する身ですので、どうかご勘弁のほどをお願いいたします。(了)