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        スパイ小説そぞろ歩き(下)(グリーン、フォーサイス)    

        公開日: 2022年6月8日 霞関会HP

        元駐バチカン大使 文明論考家 上野 景文 

         

        • 対ソ連(1):二重スパイ・・・・・・・・・G.グリーン

         ソ連との駆け引きという面では、先ずG.グリーンを挙げたい。私が大学生だった時代、50年前には、グリーンの作品は大きな「存在感」と「カリスマ性」(作品について、そういう形容が可能だとして)を感じさせるものであった。グリーンと言えば、キリスト教文学の巨匠であるが、時に、(教会の基準から見て)不道徳な行いをした神父や複雑な異性関係におぼれた人間などでも(否、そのような人間にこそ)真の信仰心があることを作品の中で巧みに描いて、「お堅い」バチカン幹部の不興をかったことがあった(1965年頃のことであったと思うが、教皇まで巻き込み、多くのメディアが関心を示した)ほか、遠藤周作に影響を与えたことも良く知られている。

         

         5‐6年前、ケンブリッジ大学OBの会で雑談した数人のOBが、「今日の英国では、G.グリーンはもはや『過去のひと(作家)』だ」と語っていた。いささか淋しさを覚えたが、同時に、時代は変わったのであり、それに気づかなかった自分も「過去の人」なのだ、と悟らされもした。

         

         周知のように、グリーンは、S.モームやル・カレと同様、SIS(MI6)に属し、スパイ活動に従事したことがあり、彼の「スパイ小説」には、そうした体験が反映されている。この度、27年ぶりに代表作”The Human Factor”を読んで、改めてグリーンの人間性を追求する目の確かさを感じた。

         

         ストーリー自体は単純だ。主人公モーリス・カースルが勤務するSIS(作中ではthe firm)のアフリカ局からソ連に情報が漏れていることが判明し、「犯人」探しが進む。結局、「二重スパイ」であるカースルは家族をロンドンに残し、モスクワに亡命すると言うものである。これを縦軸とすると、グリーンは横軸も用意していた。それは、カースルの微妙な家庭環境だ。彼は、南ア勤務時代に、彼の部下で、SISの現地エージェントである黒人女性サラと恋に落ち、現地政府が身柄確保を目したサラを南アから脱出させると共に、自身も帰国、ロンドンで、彼女の連れ子(やはり黒人)を含む3人で家庭を築く、と言うものだ。

         

         ところで、モーリス・カースルは海外勤務の時代(南アフリカ)には、情報収集だけでなく、オペレーションも手掛けていたが、本部に戻ってからは、専ら情報処理を手掛けていると言う設定である。従って、このグリーンの作品では、ヒギンズやI.フレミング(「007」シリーズ原作者)が得意とした派手な冒険まがいのオペレーションは、一切描かれてない。その意味で、ヒギンズやフレミングの作品に溢れている娯楽性には欠ける。グリーンには、初めからそのような狙い、関心はなかったのだろう。それに代わるものとして、グリーンがアテンションを払ったのは、「微妙な人間関係」だ。私には、この人間関係こそが作品の主題であるように思えてならない。しかも、この人間関係を、グリーンは、主として会話(言葉の交換)を通して表現する。会話と言っても、率直なやり取りだけではない。駆け引きを狙った発言、本心を明かさない模糊とした発言(夫婦間ですら、そうしたことがある)、だましあい、虚言、誇大発言、はぐらかし等、多様だ。こうした手法を通じ、グリーンは人間関係のあや、言葉で簡単には表せないようなシェードの部分を描こうとしたのだろう。

         

         そこで、グリーンが描いた人間関係を、縦軸(同僚関係)、横軸(家庭環境)の両面から、見てみよう。

         

         先ず、縦軸(SISにおける同僚間の関係)。主人公モーリスがじっくり付き合う同僚は、せいぜい5‐6人に過ぎない。かれらは、世間に対してはSISにいることを伏せているので、外部との人間関係は極めて限定的である。私生活を含め、SISを軸とする狭い「閉じられた空間」(グリーンは作品の中で、こう言いきっている――情事も、部内者通しの方がいい。そうである限り、セキュリティー上のリスクはない)で生きている。かれらは、良くも悪くも、世間から孤立し、「孤独」なところがある。この「孤独」も、グリーンにとっては、重要な観点であった。なお、「閉鎖空間」を舞台とするので、グリーンのこの作品は全体的に、どこか重く、鬱陶しい空気が立ち込めている。その意味では、ヒギンズの作品とは違う。

         

         部内に「二重スパイ」がいるようだという疑いが浮上してからの同僚間のやり取りは、思惑と駆け引きに満ちるものであるが、究明はスムースには進まない。こう言えば、こう解釈される恐れがあるので、こうは言わない方がいい・・・と言った心理戦が延々と続く。だまし合いに次ぐだまし合い、孤独な人間通しの勝負が続く。モーリスが二重スパイだということを(読者が)知ってからは、それがいつSISの中でばれることになるか、また、ばれる前にモスクワに逃亡出来るかどうかを巡り、事態は、かたずをのむような形で、展開する。モーリスに親近感を覚えた読者であれば、かれがいつ捕まることになるか、ドキドキさせられながら、読み進むことになる。言うまでもなく、この作品では、英露間ではなく英英間での駆け引き・だまし合いが主題だ。ある意味、英露間より、厳しく、陰微かも知れない。この点も、この作品を暗くしている要素だ。

         

         次に、横軸(家庭における人間関係)。白人と黒人の結婚という人種的要素(後述)は横へ置くとして、作品を通じて繰り返される夫婦間の会話は、すれ違いが多く、深い愛情を感じさせることはない。少なくとも、外形的には。海外逃亡の少し前、主人公はサラを彼の実家に移す。その際、かれの母親には、「これ以上モーリスと一緒にいるのは耐えられないから、逃げ出して来た、しばらく置いてほしい」と言いなさいとサラに知恵をつける。言うまでもなく、当局の捜査がサラと息子に及ばないようにとの配慮によるもので、サラも彼の愛情を感じる。サラはモーリスのいない英国にいるのは嫌だ、一緒に逃亡したいと強く望むが、ソ連側から今は無理だと拒否される。モスクワへの逃亡が成功してから、モーリスは、強い「孤独」を感じつつ、彼女を呼び寄せるべく画策するが、うまくゆかない。久方ぶりに会話した国際電話が切れた瞬間、サラは二人の再会は永遠に無理だと悟る。他方、息子が「二重スパイ」だと知ったモーリスの母親は、強い衝撃を受けつつ、気丈にも、「息子は売国奴だ」と皆の前で言い放つ。が、本音かどうか、疑わしい。モーリス、サラ、母親の3人を襲う「孤独感」と重苦しい空気が、(本作品のテーマとして)重く漂う。

         

         繰り返すが、“The Human Factor”には派手さとか娯楽性はない。ストーリー自体は単純だ。むしろ、「孤独な人間」が織りなす微妙で不可思議な人間関係に、作者の強い問題意識があると思われる。グリーンは、キリスト教(カトリック)文学と言われるジャンルで、神と人間の関係、否、神に接する人間を通じ、人間性(=人間の本質)に迫ろうとしたが、この人間性を追求せんとの姿勢は、ジャンルこそ違うが、スパイ小説の中でもしっかり貫かれている。作品のタイトルがthe human factorとなっていることが、作者の視座を明確に物語っている。

         

         ここで、1点付記したいことがある。それは、グリーンは、小説の中でなぜモーリスを黒人女性のサラと結びつけたのか、と言う点だ。モーリスをして、自分は黒人社会に「帰化」した人間だと言わせていることから想像できるが、グリーンはアパルトヘイトに強い嫌悪感を有していたものと想われる。それ故に、そういう筋立てにしたのであろう。なお、モーリスの部下として、南アの情報提供者(反アパルトヘイト、反政府の人が中心だったと思われる)との仲立ちをしていたサラは、当局から追われる身となり、危険(捕まれば、拷問を受けること必至)を感じたモーリスは、ソ連と通じている友人カーソンに、サラの国外脱出を支援して貰う。モーリスをモスクワに近づけたのは、こうした南アの特殊な環境であった。つまり、モーリスは、フィルビーやバージェスと異なり、共産主義というイデオロギーゆえに「寝返った」のではない(と、グリーンは強調している)。なお、86年頃だったかと思うが、プレトリアに出張した際、旧知の英国外交官Aと懇談した。その際、Aはこう言い切った;「アパルトヘイトは7‐8年先には廃止されるだろう」と。事態がその通りに進んだことはご承知の通りだ。

         

         SISの同僚の人間模様、更には、二重スパイを描いた作家としては、レン・デイトンにも触れるべきであろう〔“Berlin Game”(83)、“Mexico Set”(84)、“London Match”(85)の三部作〕。30余年前読んだときには、SISの人たちの「閉鎖社会」をしっかり描いているという意味で、グリーン的だと感じたが、グリーンと比べると、人間の孤独なり、人間性を追求する筆致はまだまだだとの印象を持った。換言すれば、“The Human Factor”に感じたほどの共感は覚えなかった。

         

        • 対ソ連(2):ウクライナ独立運動・・・・・・・・・F.フォーサイス

         対ソ連と言うことになると、グリーン、デイトン以外では、ル・カレかフォーサイスと言うことになる。ただ、ル・カレの作品は、英語も表現(言い回し)も素直でなく、分かりにくいので、私は読んでいない。これに対し、フォーサイスは、(ル・カレに比べて)英語も言い回しも素直である(恐らく、米国の読者を意識しているからか、「いやらしい」表現は避けていると聞いたことがある)ことから読みやすい。また、しっかりした調査をベースとしているので、「軽さ」がなく、英国文化特有の「コク」、「粘っこさ」が感じられる。バックグラウンドとして取り上げる国際情勢も、外交官から見ると興味深いものが多かったので、20‐40年前には新刊が出ると飛びついたものだった。

         

         以下、“The Devil‘s Alternative(悪魔の選択)”(1979)に絞ってお話しする。言うまでもなく、同作品は、ウクライナを舞台(のひとつ)としつつ、ウクライナ独立運動を取り上げており、極めて高い「今日性」を有するからだ。

         

         ストーリーは、三つの軸が絡み合って、進行する。

         

         第1の軸(主軸)は、ウクライナ独立運動の動きだ。ウクライナ系英国人ドレークは、ウクライナの民族主義派(ユダヤ系でもある)と連携し、ウクライナの存在感を世界に示すための計略を練る。先ず、KGB議長を暗殺し、その後、イスラエルに亡命し、同地で、世界のメディアを前に、ソ連での暗殺につき犯行を認めると共に、ウクライナに対するソ連の過酷な圧政の数々を暴く、というものだ。議長暗殺に成功した暗殺犯は、航空機をハイジャッしたが、イスラエルに行くことに失敗、機体は西ドイツにとどまり、暗殺犯はドイツ当局に拘束される。

         

         第2の軸は、米ソ関係。ソ連で小麦生産が凶作になることを見抜いた米国は、軍縮と絡め、小麦援助を申し出る。クレムリンでは、ルージン書記長をはじめ援助受け入れ派(=小麦の不足は国内の不安定化につながることを怖れる)と武闘派(=実力行使で外国から小麦を奪い取ればよく、軍縮などもってのほかとする)とが厳しく対立するが、辛うじて前者の意見が通り、米ソ間合意は結ばれる運びになる。

         

         ところが、折しも、議長暗殺事件が明らかになる。すると、クレムリンでは武闘派が勢いを増し、米国との合意は風前の灯となる。次いで、議長暗殺犯がドイツで拘束されたことが判明、書記長はドイツに暗殺者の引き渡しを求めると共に、聞き入れられないとき(かれらがイスラエルに引き渡されるとき)には、米国との合意は反故にすると迫る。他方、武闘派は書記長追い落としを画す。

         

         第3の軸は、超大型タンカーのハイジャック。ドレークは、北海で超大型タンカーをハイジャックする。そして、同志(暗殺犯)のイスラエルへの移送をドイツ当局が聞き入れないときは、超大型タンカーを爆破すると脅迫する。

         

         軍縮合意を実現したい米国は、暗殺犯のイスラエルへの引き渡しを阻止しようとドイツに迫るが、タンカー爆破を怖れるドイツは、イスラエルに引き渡す方向を打ち出す。結局、かれらはイスラエルに引き渡されることになる。それにより、タンカー爆破はなくなる。此処で、英国のMI6マンローが、米国とも協議の上、介入することになり、ドイツ出発前の暗殺犯に近づいて密かに特殊な毒を盛る。かれらがイスラエルに入国して暫くたつと、毒がきき始め、息を引き取る。このため、全世界に向けてのソ連を糾弾する記者会見は実現を見なかった。

         

         ソ連(書記長)はこれに安堵し、米ソ協定締結に応じる。併せて、クレムリンでは、書記長追い落とし派は失脚する。また、事後的に分かったことであるが、ソ連(書記長)はマンローの動きを把握していたが、これを泳がせ、利用していたということが判明した。マンローが頑張らなかったら、書記長は失脚していた訳だ。

         

         以上が、「悪魔の選択」の大筋である。この作品は、ソ連崩壊、ウクライナ独立の12年前に発刊されたものであるが、作者の慧眼、見識にはうならされる。

         

         先ず、ウクライナの民族主義と反クレムリン感情に注目したこと。それ(ナショナリズム)抜きでは、現下における同国のロシアに対する頑強な抵抗は考え難く、フォーサイスはウクライナの本質を掴んでいたと言える。フォーサイスが、ウクライナの独立まで見通していたかは分からないが。

         

         第2は、小麦の凶作と政治とを結びつけている点。この作品とは異なる文脈であるが、今後数年、ウクライナの事態を反映して、世界の小麦市場は異常な状態が続き、巡り巡って、中東、アフリカで政情が不安定化する恐れがあると言われている。プーチン氏はどう責任を取るつもりか?

         

         第3は、西側とソ連の情報機関は、常時対立している訳ではなく、しばしば、水面下で協調しあっている、としている点。別の作品のフィナーレの部分でも、フォーサイスは、SISとKGBのトップにこう密談させている。「政治家に任せておくと、どこまで突っ走るか分からない。我々が秘密裏に連絡を取り合い、機微な情報を交換することで、不必要に疑心暗鬼に陥ることを防ぎ、両国関係の脱線を防止することは、大切な使命だ」と。最近判明したことであるが、フォーサイスもSIS関係者であった。このことに照らせば、フォーサイスが示した情報機関の役割観は、実情をそこそこ反映したものなのかも知れない。このような水面下での協調が、今日、英露間で見られれば(ありそうにないとは思うが)有益なのだが・・・。

         

        • 最後に

         長々とスパイ小説の懐古をしたが、私がこのジャンルを好んだのは、かれら(スパイ)の行動や思考には、外交官と一脈通じるところがあるからなのかも知れない。ある程度感情移入しながら、楽しむことが出来る。それに、高尚な文学作品と違って、肩がこることは少ない。

         

         それに加え、これまで勤務や観光で関係したことがある都市が舞台になっている作品であれば、TV化されたものを含め、親近感が高まる。“The Eagle Has Landed”なども、そういう意味で、身近に感じた。

         

         ただ、この10‐20年の傾向を見ると、映画化されたR.ラドラムの作品(“Bourne Identity”、“Bourne Supremacy”、“Bourne Ultimatum”など、一連のBourneシリーズ)などその典型なのだが、やたらハイテク化(=衛星、ドローン、情報機器などが「独り歩き」している)しており、メカニカル、脱人間的な性格が強い。グリーンやヒギンズの時代の作品から感じられた人間味(哀愁、寂寞感、孤独感のようなもの)が欠けており、いまひとつ好感が持てない。

         

         それはそれとして、日本人作家によるスケールの大きな、迫力に満ちたスパイ小説が読めたら嬉しい(舞台は、中国でも、韓国でも、欧州でも、中東でもいい)が、日本に本格的諜報機関がないこともあり、厚みのある作品が登場するのは、まだまだ先のことだろう。

        (2022年5月11日記)

         

        制作協力企業

        • ACデザイン
        • 日本クラシックソムリエ協会
        • 草隆社
        •                 AOILO株式会社

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