道上の独り言
「幼年時代の旅行 第18話 バルセロナ」
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いよいよバルセロナに到着。
そこで疑問に感じたのがポート・サイドから何故直接マルセイユに入らないでバルセロナに寄ったのか?ということだった。バルセロナで降りる客はいないだろうし、ましてや乗ってくる客は皆無。距離的にはマルセイユの方がポートサイドに近い。
その後も調べていないので謎のままだ。
到着後プラド美術館へ直行する。
日曜日でもないのに美術館は閉まっていた。入口のドアも、古ぼけた個人宅の様なつくりだった。2時間ほど待った後、館長のような人が来て特別に開けてくれた。
なんとそこはピカソを一番多く展示している美術館だそうだ。
その頃はピカソも安かったんだろう。
だが他にどんなものがあったか全然憶えていない。
スペインで印象に残っているのは暑いということと、魚介類がめちゃくちゃ美味しかったことだ!ヨーロッパで魚介類が美味しいと思った事はこのバルセロナ以外では無かった。だから逆に料理らしい料理はスペインでは存在しないと言われていた。
つい最近までエル・ブジと言うレストランがあったが(何年か前に無くなった)、
一般には材料が良すぎて技術が発展しなかったのかもしれない。
その点フランス料理などはソースでこねくり回して素材の味がしないものが多い。
それはイタリア料理でも同じだ。パスタ以外はフランス料理のコピーだと言う人も多い。
世界一のゴールド・ジュエリーメーカー創業者であるイタリア人、リノ・キャンペザン(Lino Chiampesan)はとんでもない食通でもあった。
彼に連れて行ってもらったところはイタリアでも屈指のレストランばかり。
中には地元の人しか知らないレストランも多かった。
その彼が世界で一番美味しいマグロはアドリア海のマグロだと教えてくれた。
緯度で合わせると東京はアフリカに接するジブラルタル海峡に位置する。
パリなどは北方四島よりずっと上(北)だ。
バルセロナでさえ日本の函館の位置だ。
では何故日本は寒くてスペインは暖かい?
それはアフリカからの熱帯風だけではなく、
カナダからGulf Stream.(ギョル・ストリィーム)という海流が来ていて
南ヨーロッパを温めているからだ。
その黒潮の様な海流がアドリア海にも入って来ている。
ご存知の方も多いと思うがマグロは体温が50度近くあって船に上げるとたちまち腐ってしまう。だから水の中で首にやりを入れ血抜きをしなければいけない。
この技術は当然日本の漁師が教えたものだ。
釣れたマグロはすぐに氷詰めにして日本に空輸されるそうだ。
だから我々(イタリア人)の口には入ってこないと、リノ・キャンペザンは言っていた。
だとすると35年前だったから凄い話だ。
近年ではバルセロナの黒マグロが有名だ。
その昔パリで姉に寿司を握って貰ったがろくなネタがなく、シャリもまずかった。
米はパリで一番安い南仏ものが日本の米に近く、
一般にヨーロッパの米は細長くパサパサしていた。
パリで有名な和食屋がある。
ある日神奈川県寒川町の天ぷら屋で友人と食事をしながら、
「あれだけの値段をとっているのにパリの店は美味しくない」などと言っていたところ隣の客が「いや、美味しい魚があったとしても締め方が良くないと美味しくないのですよ」と教えてくれた。
名刺交換をしてわかったことだがその客とは
「たん熊」(京都の有名な老舗)の社長で、
パリの有名和食店「鬼怒川」の店主は元「たん熊」の出だったそうだ。
あまり大きな声で能書きを言ってはいけない。 壁に耳あり。
日本の輸入ワインは30年前まで白ワインならドイツワインが殆どで赤ワインならボルドーだった。ただ日本に樽で輸入していたのが殆どスペイン産だった。
今はチリ産が多いようだ。
樽で輸入したものは日本の生産ワインと混ぜられるケースが多い。
一般にボルドーワイナリーの年間生産量は20万本程のところが多く、
ブルゴーニュは1万本ほどだが、スペインは100万本を超える生産量のワイナリーが多い。
それはスペインがワインの新しい生産国だからだ。
しかし今ではスペインのワインもイタリア同様高くなってしまった。
カバ(スパークリングワイン)などはもう高くて買えない。
ECに加盟するまでのスペインは開発途上国だった。
50年前はパリーの大工さんはイタリア人が多く、
日雇い労働者はスペイン人が多かった。
ワインの収穫労働者もスペイン人だった。
さていよいよ最終港マルセイユだ!
続く
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。