「フランスでの生活 第22話 パリでの毎日 2」
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父の勧めでエッフェル塔まで歩いて行った。約一時間ほどかかった。
遠くからだと近くに思えていたエッフェル塔が、なかなかたどり着けなかった。
パリの地下鉄各駅の間隔は近く十以上の駅も歩くと さほどでは無いが、
一体いくつの駅分歩いたのだろうか?
地図を持たないで行ったが分かりやすく道には迷わなかった。
ここでパリの地下鉄を説明したい。
世界で最も古い地下鉄の1つだが、当時では最もお洒落で、最も近代的だった。
シャトレ駅の動く歩道などはとてつもなく長かった。
座席が空いていても座る若者は居なかった。
格好マン?ひょっとして座るとズボン又はジャケットがシワになるからだろうか?
何れにしろ、教育がある面行き届き、ファッションの国であった。
今では世界中の若者が一目散に座りメールする。治安も悪い。
昔は痴漢なんかあろうものなら皆が立ち上がって阻止してくれたものだが。
話をエッフェル塔に戻そう。
7月なのに寒いからジャンバーを着て行けと言われいやいや着て行ったので暑かった。 しかし塔に登ると寒かった。2番目の展望台は東京タワーの様にガラス窓にはなっていなかった。風がヒューヒュー吹いて薄いグレーのジャンバーを着ていても寒かった。
東京タワーは高さはエッフェル塔より高いが、展望台はエッフェル塔のほうが高く、塔のてっぺんにも展望台がある。それにしてもパリの街並みは綺麗だった。
上から見ると幾何学模様の様だ。パリは世界一美しい街だ。
神はバランスをとるためにいけすかないパリジャンを住まわせたと言われている。
冗談はともかく18世紀あたりから色々建築家が町を守るため攻め込まれにくいよう放射線状に広場から通りを作ったらしい。 その中でもオスマンと言う建築家は有名だ。
ちゃんとした都市計画の元で作られたパリはビルの高さが均一で、 広場はちょっとした庭や公園が有ったり、またそこで土日はアマチュアが三重奏四重奏の演奏をしてくれたり。 日本に比べるととんでもなく優雅だった。
それでも当時のフランス人は昔のフランスは良かったと言っていたが、
今のフランスを見たら気絶するだろう。
植民地がどんどん独立したせいだろうか?今は難民が押し寄せている。
パリは犬の糞が多く上を向いて歩こう~ではなく、下を向いて歩こう~である。
犬の種類には流行があって流行遅れになると棄てるらしい。
パリは野良犬だらけだった。
近年は保健所が集めて殺処分してると聞くが、雨の日には犬の糞が雨まみれ。
それに浸かった靴で家に入る。部屋もスリッパ無しでは歩けない。
ああ~日本とは違いすぎる。
シャワーが有って湯船がない。町に銭湯は無い。
パリのタクシーは、旧ロマノフ王朝の逃げてきた貴族達が運転手に多かった。
品があって姿勢が良く颯爽としていた。
それから50年。今ではカンボシア人、ラオス人達が多く、感じは良いが道を知らないふりをして大回りをする。商売熱心は解るが、急いでる時は困る。
フランス人に至っては、客は禁煙だが自分は吸ったり、女性運転手は助手席にでっかいシェパードを乗せ吠えまくられることもある。 飛行場行きの予約をすっぽかされることもしばしばだが、中には途中もう時間が来たから降りてくれなどと言われたことがある。飛行機に乗り遅れるぞと怒っても知らんぷり。何でもあり、ここは外国だ。
近年のバリはド・ゴール空港からバリ中心までタクシーで4時間かかる事がある。
貸し出し自転車が横行する事により渋滞が増えた。
しかしパリのタクシーは安い ニューヨークの次に安いのではないかと思う。
パリの地下鉄は便利だった治安も良かった。
表示が分かりやすく、しかも区間が短く2つ3つの区間なら簡単に歩け、バスと併合すると何処へでも行けた。
やはり東京の様に突然大きく成った町はインフラに大きな問題が有るように思えた。 今ではいい加減なカーナビでも、無いとなかなか辿り着かない。それが東京だ。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。