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        「フランスでの生活 第23話 パリでの毎日 3」

        ________________________________________

        家の前には幅6メーターほどの道が有り、その先は袋小路になっている。

        その通りに面していくつかの家が有った。

        どの家も庭には多くの花を咲かせ綺麗にお手入れしていた。

         

        一般に、フランスの家は外から見たら古ぼけた家でも中に入るととてもきれいに飾ってあった。 外観は法律上、あまり手を掛けられない場合が多く、

        その分中は非常に綺麗に個人個人の趣味で住みやすくなっていた。

         

        フランスへ到着後すぐにシンナーとペンキの匂いがして隣の家を訪ねると、8月は1か月バカンスに行くので その前に家中の壁を白いペンキで塗りバカンスから帰って来たら新しい気持ちで生活出来ると言っていた。

        そうだフランスの新学期は9月だ。

        フランス人の殆どが自分でペンキを塗っていた。

        毎年上塗りするので壁はどんどん厚くなっていく。防音耐熱性が自然と出来て来る。 日本の様に住民が変わるたびに壁を剥がすような事はしない。

         

        普段の我々ガキはその辺の石ころ、カン、木のはしきれでも見つけてはサッカーまがいの遊びをやっていた。 子供達にはさほどの違和感はなかったが、その親達はどこかで我々日本人を見下した感じが嫌でたまらなかった。 日本人は低く見られていた。

        町で聞かれる時でも中国人ですか?ベトナム人ですかと聞かれる。

        その度にノー・ジャポネと答えていた。

         

        フランスに住んで半年ぐらい経ったころだったと思うが、ある日お隣のおばさんが「パ!パ!テレ!テレ!」と言うのでテレビをつけると父が出ていた。

        あまりテレビなどメデイアを好まない父だったが、それからは近所の人達も急に愛想が良くなった。

        そう父道上伯は当時長きに渡って、ヨーロッパで一番有名な日本人だった。

        当時フランスはORTFと言うチャンネル一つだった。

        そのテレビに頻繁に取り上げられていた。

        家電製品は日本に比べ普及率と言う意味では遅れていた。

         

        ある日父の友人が突然父を訪ねて自宅にやって来た。

        僕は隣の元外人部隊のおっさんに遊んでもらっていた。

        手を縄で縛られ、縄抜けの遊びをやっていたが、父の友人がそれを見て、父に直言した。 今住んでいるところはあまり柄が良くないので引っ越すべきだと。

         

        住んで居る所はVille Juif と言ってユダヤ人街だった。

        父の弟子ルボーさんと言う方の持ち物であったが 彼はシムカと言う自動車の販売で、大変成功したユダヤ人だった。 僕達は何方でも良かったのだが、Ville Juif からもっと南の Rangis (ランジス)市場のそばで Vitry ヴィトリーと言う場所に引っ越した。

         

        以前よりもパリ市内からは遠くなった。以前よりも町から離れていた。

        父に自転車を買ってもらい、学校に通うようになる。

        休みの日はよくオルリー飛行場まで自転車で行った。

        飛行機の離発着を横目に自転車走行を楽しんでいた。

        フランスは特に郊外はPiste Cyclable (自転車専用道路)が設けてあり、有難かった。

         

        ある日、猛スピードで向こうから自転車で走って来るおっさんがいた。

        とっさに右側に寄ったら良いのか左側に寄ったら良いのか分からず。 左側に寄った。その瞬間おっさんと目が合った。Conard(馬鹿野郎!)と怒鳴られた。

        そうだここはフランス、自転車・自動車は右側通行であった。

         

         

         

         

        家の隣はガソリンスタンド。

        脳の、又は学の無い者はponpiste (ガソリン給油係)が一番最低の給料だ、勉強しなければその仕事をするようになる、と父によく言われた。

        これは結構脅しになっていた。

         

        僕はこの新しい家から Fin d’Etude (小学校復習)のクラスに通う事になった。

         


        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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