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        「フランスでの生活 第24話 パリでの毎日 4」

        ________________________________________

         

        フランスでは、当時小卒で働きに行くものが大半だったが、僕は復習のクラスへ行った。 そこには、リセ(中高等学校)からダブって入って来たやつがいた。 彼はそのリセで数学が学年で一番だったそうだ。数学の時間が彼との競争の時間となった。

        いつも僕が勝ったので彼のプライドを傷つけ、そのせいかよく陰湿ないじめにあった。

        ある日学校の帰りに彼をぶっ飛ばしてしまった。そして先生に言い付けられた。

        その頃を境に先生方から僕は問題生徒の扱いを受け始めた。

         

        ある日父がどうして、ケンカをするのかと僕に問いただした。

        相手は一人か年上か? もし相手が一人とか年下などと言ったら、大変な事になっていた。おそらく半殺しの目に遭っただろう。 勿論 僕対個人のケンカだが相手には加勢が入って僕対数人になってしまう。 いつの間にか日本対フランスのケンカだった。

        ただケンカをしたことに対して父に叱られた事は無い。

        女性の中で軟弱に育った僕は父が家に居るときは毎日叱られどつかれた。

        今日こそはと思った日も有ったがやはりどつかれた。

        手刀(3本指)を手首だけでおでこを叩く、これが効く 頭がガンガンする。

        そうだ道上は山口剛玄(「唐手術」が「空手道」として大日本武徳会より認可された時、初代師範の任を受ける)と立命館、武専時代一緒に空手をやっていた。 父の持つ気迫によって、叱られると緊張のあまり、下痢をしいた。

        その発散がケンカだった。

         

        父はヨーロッバ、アフリカ、アメリカの方まで講習会に行き技のデモンストレーション、10人抜き等の試合の日々だった。 真夏のマダガスカル島(南半球)からオールリー飛行場で乗り換え真冬のオランダ(北半球)へ行くような事を頻繁に行っていた。

        温度差は50度を越える事もあった。

         

        家に帰るのは2、3か月に1度しかも3日から5日の間であった。

        几帳面で清潔好きの父の帰国を毎日ドキドキしながら待った。

        帰国日を知らせない父に対して姉と母は山勘で日にちを想定し、大掃除。

        父が出張すると皆でだらしなくひっくり返っていた。

        父はだらしないのが一番嫌いだった。

         

        父にはフランス滞在中何も買って貰えなかった。唯一が、自転車と一足の雪靴だった。

        経済的に苦しかったのだろうか、それとも照れ臭かったのだろうか?姉は買って貰っていた。 殿中でござるの様な長さのズボンが膝下になるまではいたもんだと父には聞かされたが、ここはパリ、愛媛の山猿とは違う。

        僕は父の大きな古いスーツをばらし自分のサイズに縫い直し着ていた。

        学校での落書きはノートに書く靴の絵だった。

        学校からの帰り、町でほっぺたがショーウインドーにくっつきそうなほど靴を見ていた。

        焦茶色のスエードの靴が130フラン 憧れの靴だった。

        僕は穴の開いた靴を履いていた。

        父が誇らしげに「雄峰お父さんのこの靴はいくらすると思う?」

        「バリでは245フランですが、アンドール(スペインとの国境にある免税国)では97フランです。」いつも1フランの狂いもなく言い当てていた。 可愛げのない子だった。

        きっと父はどうだこんな素晴らしい靴をこんな安い値段で買ったんだぞと言って

        皆からお父さん凄いと言ってほしかったのかもしれない。

        父はファッションの町パリでフランス人が憧れるほどお洒落だった。

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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