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        「フランスでの生活 第25話 パリでの毎日 5」

        ________________________________________

        父の弟子にシャリエさんという地域の名士がいた。

        彼の口利きで Vitry 市にある Avenu du Colonnel Fabien 通りの 新築アパートを借りられる事になった。 1414号室 14階の東、南、西に面した角部屋であった。

        14階と行ってもグランド・フロアーが2階分 有るので実質的には日本で言う16階だが各フロアーの天井が高く しかも丘の上だったからパリが一望出来た。

         

        僕の部屋が東に面していていつもバルコニーからパリを覗きこんでいた。

        目が慣れるとなんだか飛べるような錯覚に陥っていた。 パリが自分の手元に。

        しかも自分が少し偉くなったような気がした。

        相変わらずの馬鹿だった。

         

        東に面しているのは僕の部屋、台所、お風呂。南に面しているのは姉の部屋、母の部屋、父の部屋。西に面しているのは 応接間であった。

        二つのエレベーターを降りると右にオーシャンさんという感じの良い家族が住んでいて、真ん前がジュベさんというスペイン人、 世界指折りの靴のデザイナー。

        エレベーターを降りて左が我が家だった。

        我が家はおそらく200平米以上あったのではないかと思う。

        環境が良く 快適な住まいだった。

         

        ただ滅多にないが電気の点検などで年に1度エレベーターが止まる、その時にはくみ上げている水も止まる。 そうすると僕が1階まで水を汲みに行かなければいけない。 炊事場の水、トイレの水、風呂場の水、これを全て僕が運ばなければいけない。

        結構しんどかった。

         

         

        自分の部屋、トイレ掃除、風呂場掃除、父の部屋の掃除、応接間の掃除これらは全て僕の役割。 汚い事、重い事、これらは全て長男である僕の役割。

        そうだ我が家は男尊女卑であった。

        男性は逞しくなければいけない。強くなければいけない。

        僕は男尊女卑が嫌いだった。

         

        今は見る影もないが、昔若かりし頃の姉は美人だった。

        追っかけと言うか ストーカーの様に男が何人も後を付けて来た。

        地下鉄のVitry 駅から 夜急いで帰って来る途中に辞書を無くしただとか 鍵を落としただとか 言われるたびに 僕がそれらを探しに行った。

         

        パリ郊外は未だ街灯が無く真っ暗闇だった。

        僕は暗い所が好きでは無かったが 僕しかその役割を果たせるものは居ない。

        ゆっくりと道の両脇を覗きこみながら 歩いた。それでも見つからなかった。

        人通りが無く気持ちの良い物では無かったが、

        当時日本語の辞書などフランスでは手には入らない。

        だから必死で探した。

         

        姉はソルボンヌに通っていたが、外国人と言ってもイタリア人とかスペイン人と一緒に 学ぶのは大変だった。しかも1年後にはフランス人たちのクラスに入ってしまった。

        これじゃたまらない。授業について行くのが大変だ。

         

        偶に姉とお出かけをした。夕方のパリ。偶然日本人に出くわした。

        シャトレの地下鉄の駅構内にある長い動く歩道で日本人らしき人達とすれ違った。

        そうすると その中の女性の方から声を掛けられた。

        「済みません日本人ですか? ある場所を探しているのですが 教えて頂けませんでしょうか?」 4人ほどの中で先生、先生と呼ばれている人がいた。藤山一郎だった。

         

        僕には皆さん学校の先生に見えた。きっと皆さん音楽の先生だと。

        藤山一郎を僕は知らなかった。

         

        探している場所はOubliettes(ウブリエット) と言う昔の小さな城の残骸の中にあるシャンソニエだった。 そこには牢屋が有り、セーヌ川の水かさが増すと水責めで死に至るなどの説明を受けた。 その隣にはカタコンベなどもあり気色の悪い所だった。

        ちょっとした名所だった。

        随分探した末なので皆さん見つかって喜んでいた。

        音楽の先生のような人に1曲歌って下さいとお願いしたら、カバンから譜面を取り出した。 僕はオルガンを弾いているフランス人に頼み込んで譜面に合わせ曲を弾いてもらった。 その日本人女性はやはり音楽の先生のような歌い方だった。でも美人だった。 大満足の中でお別れをした。

        場所はサンジェルマン・デ・プレ。パリ中心、ソルボンヌに近い学生街だった。

         

        その近所で ある日 路上に血が飛び散っていた。

        男たちが喧嘩でナイフを使ったようだ。

        何と丸山明宏(美輪明宏)が登場、その筋の人たちは一目で彼が何たるかを解るらしい。 彼は俺のものだ いや俺のものだ と言って奪い合いの喧嘩だそうだ。

        丸山明宏がどう言った人かは知らなかったが、当時の彼は類い稀なる美しさの美青年だった。 どうやらパリでも大騒ぎだったようだ。

        パリには何でもある。世界が有る。

        パリの街角で少し座って眺めていると世界中のファッション 世界中の有名人 変わった人達、異人たちが当たり前の様に通り過ぎて行く。

        パリは大都会。

        苦しみ、悲しみ、喜び、全てをひっくるめたのがパリだった。

         

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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