「フランスでの生活 第30話 ボルドーでの生活」
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夕方ボルドー到着。近所の中華料理屋で食事をして帰宅した。
父と同じ部屋に寝るのは生まれて2度目。
玄関を入ると直にダイニングと応接間が有り、その奥左に大きなベットが置いてある。 僕はソファーで寝る事になった。 棚にはワイシャツ屋さんのように綺麗に畳まれたシャツが並び、その下には丹念に磨かれた靴が靴屋さんの様に並んでいる。
どこを見ても完璧だ。見ていてゾッとする。緊張感が走る。
明日は知らない家に預けられる。 緊張のあまり眠れない。
夜がこんなに長く感じた事は無い。
早朝パン、パテ、リエットの買い出し。
朝食を家でとって少しボルドー市内を見学。
古ぼけた家が立ち並ぶ町。 何か終わった感じの町だった。
これが2度にわたってフランスの首都だった町かと疑う程だった。
シャバンデルマスと言う有名な市長。彼は2度にわたって首相、そして2度の衆議院議長を務め ポンピドゥーの後、 間違いなく大統領に成るはずが シラックの裏切りに合い ジスカ―デスタンが大統領に成った。 それ以来随分と町も疲弊してしていた。
南フランスが持つ町の独特な明るさがなく繁栄を轟かせた昔の栄光は無くなっていた。
Rue Sainte Catherine サント・カトリーヌ通りなどは 世界で一番長い商店通り(1250メートル) そこにある肉屋などは他の地域にお店を出す事は許されていなかった。
そこから有名な店が出現した。
カヌレ(お菓子)はボルドーにしかなかった。
未だにLe Grenier Medocain (https://fr.wikipedia.org/wiki/Grenier_m%C3%A9docain )はボルドーにしか売られていない。
このように多くの食がボルドー独特の物であった。
かの有名なパリのオペラ座 Charle Garnier (19世紀のフランスを代表する建築家)は Victor Louis (18世紀の偉大なる建築家) に憧れ 最も尊敬し パリのオペラ座は Victor Louis による ボルドーのオペラ座Grand Theatre のコピーとまで言われている。
工業の発展に伴いボルドーは次第に リオン市に差をつけられていった。
当時フランスは大農業国でフランスのGDPの半分以上が農業だった。
多くの農産物がヨーロッパに輸出されていた。
時代の流れが変わり繊維、自動車産業で勢力を持つリオン市が浮上してきた。
フランスを代表するレストランはリオンのポール・ボキュース、トロワグロ等に変わって行った。 食は文化と言うが文化は経済の積み重ねなんだろう。
だがボルドーのステーキは美味しい。
サンジャン駅裏にある牛肉解体場は相変わらずフランスの半分以上を供給していて1人前を2kgで出すステーキ屋さんも少なくなかった。 オードブルからデザートまでのフルコースだとやはり数名で行かなければ残してしまう量だった。
昔のフランス人はよく食べていた。特に地方では。
だからフランス人は今の様にスリムでは無かった。特に年配の人達は。
そんなステーキ屋さんで父と昼食をとって父の弟子ロベールさん宅に向かう。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。