「フランスでの生活 第36話 アルカッションでの生活 2」
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アルカッションの寮ではまず自分の名が付いた布の名札を服、シャツ、タオル、靴下、パンツに縫い付けなければいけない。これは洗濯に出す為である。
洗濯物を週二回ベージュ色の布袋に入れてベットの上に置いておく。
すると3日後には洗濯してたたんだものをまたベットの上に戻しておいてくれる。
洗面セット、靴磨きセット、などの用意をする。
初めての事だが名札を手で縫い付け終わった後、靴にべったりと歯ブラシで靴墨をつけ新聞紙を中に入れ一晩陰干し、翌日大きめのブラシで磨き、その後布で艶出し。艶出しは毎朝する。
ベッドは全部シングルで高さ130cmの壁で仕切られていて4台ずつ両脇に並ぶ。
舎監(寄宿舎監督人)の部屋が中央にあり、そこだけがカーテンで仕切られている。
舎監は大体学生のアルバイトだが昼は大学、夜は舎監、中には夏はクルピエ(カジノでのルーレット回し札配り)をやって夏休みが終わると舎監に戻る人もいた。
アルカッションには夏の間だけ(バカンス期間中)カジノが立つ。
カジノのアルバイトは凄い。稼いだ客はチップをはずむので月に一人100万はくだらない額になる。 今のお金で月500万円ぐらいかな?この仕事は一種の利権で、自分が辞める時に引き継ぎの人から当時の金で1,000万円以上の権利譲渡金をもらう事になっていた。 今の金で5,000万円位だろうか?
金額が桁違いだがまるでパリのキャフエ・ギャルソンみたいだ。
当時パリでキャフエのギャルソンは月チップだけで50万ほどの収入があった。
その中から20万ほどお店に支払わなければいけない。
勿論お店から給料は出ない。昔はサービス料は値段に含まれていなかった。
キャフエのギャルソンも一種の利権であり辞める時には引き継ぎで当時で150万ほどもらえるギャルソンもいた。
話はアルカションに戻る。
このようにバカンス期間中の夏の町は賑わい楽しいが、冬はまったく退屈な所だった。 寮の朝は7時起床、シャワー浴びて歯磨き。当たり前の事だが寮生徒の方が普通のフランス人よりも清潔である。
朝食をとって寮生のクラスで授業が始まるのを待つ。
午前の授業は9時から12時迄で1教科は50分。10分で他の教室へ移動しなければいけない。
クラシック・クラスかモダン・クラスを選ばなければならず、クラシックはラテン語ギリシャ語が付け足される。 僕はモダンクラスを選んだ。
第一外国語を英語、第二外国語をスペイン語にした。授業に出て驚く事ばかり。
たかが2、3年の授業で喋れる生徒が結構いた。 こちとらは”まこと君はい”ではないが、”ディス・イズ・ア・ペン“である。
ちなみにフランスで最初に習うのは”マイ・テイラー・イズ・リッチ”(私のテイラーはお金持ち)。―そう言えば昔は日本もフランスもテイラーが沢山いた。
教室は広く、天井は高く窓も高い位置にあって、生徒は各クラス20人ほどだった。 日本のように1クラス 50人でひそひそ話、カンニングと言うわけにはいかなかった。
寮生徒の人数はおそらく全生徒数の4分の1、現地アルカッション界隈の憧れのリセ(中高等学校)だった。
昼食が12時から、午後の授業は14時から始まり17時まで、その後19時の夕食までは遊ぶ者、勉強する者、さまざまに過ごす。
夕食が終わると21時から寮生徒専用のクラスで自習、22時からシャワーを浴び23時消灯。 23時から翌朝7時まではドアに鍵がかけられ表には出られない。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。