「フランスでの生活 第37話 アルカッションでの生活 3」
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フランスの歓迎会とはビズタージュ(bizoutage)という新参者への手ほどきをする入会式のようなもので、 リンチほどひどくはないがちょっと度を過ぎたいたずらである。
これはヨーロッパ特にフランス、イギリスなどでは伝統的な行事である。
医大などの場合、新参者には男女裸でラグビーをやるなどは序の口で、男性には献体された女性の遺体とセックスするように強要されたりする。 そんな話を散々聞かされたので結構わくわくドキドキしていたが実の所何も行われなかった。
ただ生意気なパリジャン(パリから来た寮生)には、寝てる間に髪の毛に大量の歯磨き粉が塗られていた。 朝起きたら七色の歯磨き粉が髪の毛にまとわりつき乾いた状態はまるで石膏ギプスの様だった。 中には生意気なパリジャンをシャワー室で丸裸にして全身に靴墨を塗るなどまあ可愛いものだった。
僕はフランスでも日本でもリンチらしいものを受けたことがない。
それより大変だったのは自然発生的に枕投げが始まることだ。
舎監は誰か加害者という名の生贄を作らなければいけない。 誰が最初に騒ぎを始めたかという事だが、その生贄は職員会議にかけられ外出禁止にされる。
外出禁止とは土・日自宅又は保護者宅へ帰る事が出来なく、寮で過ごさなければいけない。職員会議に頻繁にかけられると退学である。
まず僕がその生贄になってしまった。無口だったからだ。
フランスでは黙っていると何でもかんでも自分のせいになってしまう。
先ずは自分のやったことでも人のせいにしてしまうのが通例である。 フランス人の口癖はウイ・メ(はい!でも!)セパ・マ・フオーツ(僕のせいじゃない) 黙っていたらその内に分かるさ、等と言うことは通用しない社会だ。黙っているとどんどん取り込まれて行く。 無口な僕も表現しなければとんでもない事になってしまうという観念が沸き起こってしまう。この頃から僕はしゃべるようになっていった。
そういった口での暴力、言葉による攻撃は続いたが、肉体的物理的攻撃は一切なかった。多分皆は僕の事を恐れていたんだろう。 自閉症であった僕は、異国の地で友達がいないと何もできない子供だったが、一方いやな奴には鉄拳を食らわせていた。 喧嘩は日常茶飯事でその度舎監に言いつけられていた。
僕の事はさておき 昔、連合軍のノルマンデイー上陸大作戦と言うのがあった。最初の案はアキテーヌ上陸大作戦だった。 以前にもお話したが、アキテーヌとはボルドー地方の事である。
ボルドーには大西洋最大級のドイツ軍潜水艦基地があった。幅1メートル以上の厚さの屋根に覆われていて、 爆弾が落とされても弾いてしまう屋根の構造になっていた。アメリカ空軍イギリス空軍などの爆撃にもびくともしなかった。 浜辺にはトーチカがずらりと並んでいた。そのために作戦をノルマンデイー上陸作戦と変えていった。
リセ・グラン・テールにはその名残として地下通路があった。海辺までつながっていたが、なんと女子寮までもつながっていた。 夜な夜なその地下道を通って女子寮との合流地点へ、合流後女子寮生徒達と海辺へ、というパターンがデートコースとなっていた。 これは学校側も知らなかった。と言うかまさか合鍵まで作って遊んでいたとは知らなかった。
夜11時に消灯、鍵を掛けられてしまう。それまでに毛布に枕を突っ込んであたかも誰かが寝ているかの如く まるで映画大脱走を彷彿させるかの如くである。抜き足差し足静かにドアの外に出て 4階の寮棟から地下へ、地下の防空壕の錆びた 剛鍵を開け通路に出る。何度か曲がりくねると女子寮との合流地点につく。そこから解放されたシャバ(下界)にでる。
最初は浜辺でのんびりする。持ってきたワイン、サラミを分け合って飲食する。
そうこうする内にカップルが誕生。 男女とも悪い事をしたがる年齢、男女のキスが始まるがこれが長い大会が始まったの如く続く。
ひと段落すると煙草を吸う。 当時はマリファナなどと言う代物は、田舎の我が高校では手に入らなかった。 その代わり在学中に妊娠してしまう女子生徒もいたが、不思議な事に退学にはならなかった。恋愛には寛容な国だ。
お腹を大きくして授業に出ていた。本人も悪びれることもなく。
この大脱走さながらも慣れて来ると 、浜辺では無く遊びに行こうぜとなる。どこへ?ウイスキー・ア・ゴーゴー(有名なアルカションのデイスコ) 世界中のいい女と格好良い男どもが踊っていた。
何度か通っているうちに行きずりの女性をナンパするものも出てきた。 その内大変な事が起こってしまった。何と非番の舎監が来た。早速腕の立つ二枚目寮生がナンパした女を舎監に紹介して難を逃れた。 それからはもう少し古びれたデイスコに行くことにした。
冬になるとアルカッションは寒々として何もないつまらない町と化してしまう。
そうなると特別な関係の仲になっていない者は、消灯後はトラックルームへ行って煙草を吸うのがおちとなっていた。
【 道上 雄峰 】
幼年時代フランス・ボルドーで育つ。
当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。