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        2022年11月4日

         

        元国連事務次長

        公益財団法人ニッポンドットコムの理事長

        赤阪清隆

        話のタネ・ 幻惑のラテンアメリカ

        前略、

         ブラジルの大統領選挙で、左派労働党のルーラ元大統領が現職のボルサナロを破って、来年1月1日から大統領に返り咲くことになりました。ルーラは、貧困層に手厚い対策をとるでしょうし、アマゾンンの森林保護も訴えてきましたから、彼の勝利を歓迎する人も多いのではないでしょうか。今回の「話のタネ」は、日ごろあまり

        話題とならないラテンアメリカを取り上げてみたいと思います。

        「なぜラテンアメリカ?」といぶかる人も多いかもしれません。

        実は私も、ラ米には最近とんと関心がなかったのですが、

        旧知の工藤章ラテンアメリカ協会専務理事から講演を頼まれて、

        気軽に引き受けてしまったのが運の尽きでした。

        よほど口実を見つけて逃げだそうかとも考えたのですが、それでは工藤さんにご迷惑をかけるし、知らないことを今更にわか勉強して知ろうとするのではなくて、知っていることだけを話せばいいと

        腹をくくって、先般オンラインでラテンアメリカと国連の関係について講演を決行いたしました。使いましたパワーポイントを添付いたします。

         私のラテンアメリカ事始めは、1974年のベネズエラの首都

        カラカスで開かれた国連海洋法会議への出席でした。10週間に及ぶ大きな国際会議で、日本代表団の小間使いとして、外国研修を

        終えたばかりの私などが、「カラカスへ飛べ」と動員されました。

        しかし、当初の2週間は、議長選びがもめにもめて、ほとんど会議は開かれませんでした。

        会議場にはベネズエラの選り抜かれた絶世の美女がコンパニオンとして雇われており、私たち若手メンバーは、彼女たちに豪勢な自宅アパートやプライベート・ビーチに誘われました。

        何せプライベート飛行機を所有するような大金持ちの家の、

        飛び切り美人の娘さんたちですから、夢心地でした。

        カラカスの街の半分は、スラムが密集する貧民街なのに、富裕層の世界はまるで別世界でした。そして、毎夜のごとく、われわれは

        街のバーに繰り出しました。そこは、まさに酒池肉林の世界。

         これ以上は申し上げずに皆さんのご想像にお任せしますが、私は、一つ大事な教訓を学びました。「この先、ラテンアメリカ勤務は、

        金輪際避けること。さもなくば、文字通り身を持ち崩すこと間違いなし」と。幸い、後々まで、ラテンアメリカ諸国での勤務はありませんでしたが、とうとう2001年、ブラジルのサンパウロ総領事を命じられました。ただこのときは、常にボディーガード二人が付き添っており、街では日系人が目を光らせていましたから、まるで

        聖人のごとく、身を清く、品行方正にして、仕事に励む毎日でした。

         そして迎えたのが、2002年の大統領選挙。ルーラが初めて

        大統領に当選した時、それはそれは大変な騒ぎでした。サンパウロには欧米のビジネスが多数進出していましたが、

        彼らは皆、当時急進的な左派とみなされたルーラが何をしでかすかと、戦々恐々でした。サンパウロにあるカナダと英国の商工会議所主催のセミナーに出かけた時のこと。スピーカーの一人が、

        「みなさん、何か一つでもよいから、ブラジル社会のために良いことをしているといえる社会貢献事業を作りない。さもないと、この国から追放されるかもしれないですよ」と真顔で話していたのを覚えています。

         ルーラ政権が初めて登場するころ、ラ米諸国は、「ピンクタイド」といわれる左派政権の波(共産主義ほど赤くないという意味で

        ピンク)に襲われました。この地域には、ルーラのように、

        素晴らしく個性豊かなリーダーが多いですね。

        私が国連にいたころ、キューバのカストロ、ベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレス、チリのバチェレなど、みんな国連総会にやってきたので、目の前でこのような歴史的な人物に接することができました。カストロは、「人生は短い」と切り出して、感動的な

        スピーチを残しました。チャベスは、「昨日ここにやってきた悪魔(ブッシュ米大統領のこと)の匂いがまだ残っている、クンクン」と

        ジェスチャーたっぷりに国連総会議場に入ってきました。

         

         ほかにもラ米出身の偉大なリーダーに出会いました。1997年の地球温暖化防止のための京都会議は、全体会議議長として交渉をとりまとめたアルゼンチンのエストラーダ大使なくしては決着しなかったでしょう。腹の座った、洞察力にも優れた名議長でした。

        ゴリラのようにいかめつらしい、アンティグア・バーブーダ出身の元国連総会議長ジョン・アシュも、気候変動や環境交渉などで、

        タフな名ネゴシエーターぶりを示しました。国連会議での交渉がもつれて、にっちもさっちもいかなくなった場面で、彼が臨時の議長代行として呼び出されて議長席に座ると、あれよあれよという間にまとめ上げてしまう、魔術師のような人物でした。ニューヨークで、収賄容疑で逮捕され、不慮の事故で亡くなりました(スライド7)。

         

         閑話休題。ラ米地域にはその後、右派政権の揺り戻しの時代が来るのですが、最近再び左派政権が、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビアなどに登場し、そして迎えたのがブラジルの大統領選挙。これでラ米の主要国がみな左派政権となり、「ピンクタイドの再来か」といわれるのですが、ことはそれほど簡単ではないようですね。

        カスタニエーダ元メキシコ外務大臣の書いた記事によると、

        (1)キューバ、ニカラグアなどの独裁政権、

        (2)ブラジル、アルゼンチンなどの社会民主主義政権、

        (3)メキシコ、コロンビアなどのポピュリスト政権の

        3グループに分けられ、それぞれの間の政策上の差異は大きく、

        「ピンクタイドではない」ようです(スライド22)。

         

        国連に5つある地域グループのうち、ラテンアメリカおよびカリブ海グループ(GURLAC)には33カ国が属しているのですが、このグループは、安保理や経済社会理事会などへの統一候補国えらびなどを行いますが、決議案などへの対応は均一ではありません。例えば、ロシアのウクライナ侵略に関する国連総会の決議案に対する

        投票態度を見ますと、、キューバ、ニカラグア、ボリビアは、ロシア非難決議には棄権し、人権理事会の資格停止決議には反対しましたが、アルゼンチン、チリ、ペルーは両決議に賛成しています (スライド23以下)。

         

        このグループが大事な役割を果たすとみられるのが、

        次の国連事務総長選挙です。

        今のポルトガル出身のアントニオ・グテレス国連事務総長は、

        西欧グループの選出ですから、次は、順番としては、東欧グループが横やりを入れない限りは、ラ米グループからということになります。東欧グループは、これまで一人も国連事務総長を輩出していませんので、よい候補がいれば、同グループが宿願の同ポストを射止めるかもしれません。

        ですから、早ければ2027年、遅ければ2037年に、

        ラ米の順番が回ってきます。

         

         ラ米グループからは、1981年から91年まで、ペルー出身のデクエヤルが国連事務総長を務めています。

        彼の任期中には、フォークランド紛争やイラク戦争が発生して、

        仲裁役を務めましたが、もう一つパッとしない、地味な国連事務総長だったような印象があります。

        彼は、事務総長の中立性の確保に腐心し、「事務総長の職は、それを求める人ではなく、それにふさわしい人にこそ与えられるべきである」と自伝に書いています。

        彼自身、選挙運動をせずに選ばれたようですが、最近の事務総長選びを見ると、自薦、他薦が目白押しですので、彼のいうようにはいかないでしょう。

         

         国連事務総長には、ヴィジョンを持ち、リーダーシップに優れ、コミュニケーション能力の高い人物が求められますが、ふさわしいラ米の候補者はたくさんいると思われます。

        私が知っている有力候補と思しき人たち、特に優秀な女性候補たち(スライド37)は、残念ながら、みんな高齢になりつつあります。それでも、今回当選したルーラは、1945年生まれの77歳。

        バイデン大統領ややトランプ元大統領などの年齢に照らしても、

        バチェレさん(71歳)などはまだ大丈夫かもしれませんね。

         

         世の移り変わりは激しいですね。50年余り前にはめくるめく誘惑一杯だったベネズエラ、未来の大国と長年目されながら、なかなかその未来がやってこないブラジルなど、ラ米諸国の現状を見るにつけ、なんとか政治的安定と持続的な経済成長の実現を期待したいものです。

        広大な土地、豊富な天然資源と有為な人物がいっぱいなのですから、国の舵取りさえ間違えなければ、もっともっと豊かな国づくりができるはずです。

        戻ってきたルーラのブラジルに期待するところ大なるものがあります。(了)

         

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