2022年11月20日
元国連事務次長
公益財団法人ニッポンドットコムの理事長
赤阪清隆
話のタネ・SDGsの先は?
前略、
もう今年も残すところあとわずかとなりました。月日のたつのが早いとみるか、遅いと思うかは、基準とする指標しだいの相対的なもののような気がします。
子供には、生きてきた年月が少ないし、将来は無限に続く思いが
するでしょうから、「早く大人になりたい」と思えば、
一年は長いでしょうね。他方、歳を取ってくると、残る人生がだんだんと短くなりつつあると感じますから、「時間よ、止まれ!」と
いう思いにかられて、「なんでこんなに早く月日がすぎるのか」と
ぼやくことになりますね。
いずれにしても、SDGs(持続可能な開発目標、sustainable development goals)の目標年(2030年)が、あと7年余りと
迫ってきました。「まだそんなにも長い期間が残っている」と思う方もおられるでしょうが、私などは、「もうそれだけの期間しかないのか」という気がします。
それで、今回の話のタネは、ちょっとお硬い話で恐縮ですが、
2030年以降の「ポストSDGs」をどうするのかというテーマを取りあげたいと思います。先日、私は、城西国際大学で開かれたSDGに関するセミナーにお招きいただき、その基調講演でこの話を行いましたので、使いましたパワーポイントを添付いたします。
ご参考になれば幸いです。
日本では、SDGsの認知度は、旭硝子財団の2022年の環境危機意識調査によると、80%を超えており、世界的に見ても非常に
高いレベルにあります。小学生や、中学生もSDGsについて学んでいるほか、大企業の社員ではほぼ100%の認知度があるといわれます。よくこんなアルファベットの標語を覚えてもらえたと感心します。以前、日本ではカタカナに出来るユニセフやユネスコに比べて、カタカナに出来ないもの、例えば、OECDとか、UNHCR,MDGsなどはなかなか覚えてもらえないと言われていたのですが、ことSDGsについては異変と言ってもいいくらい人口に膾炙しました。国連関係者などの努力によるところが大きと思いますが、
それにしても、どうしてなんでしょうかね?
英語では、アルファベットは3文字にしたほうが覚えやすいと言われます。世界共通です。NHK、TBS、BBC、CNN、IBM、NEC、IMF、WHOなど、皆3文字ですね。CNNやIBMなどは、フルの名前がクイズの対象になるほど、オリジナルな正式名が分からないまま知られています。だから、フランスのリヨン銀行も、ある時期から
2文字(CL)を3文字(LCL)に変えたと聞きました。
冠詞のLeのLをつけて3文字にしたのです。
しかし、3文字のMDGsよりもSDGsのほうがよく知られるようになったのは、たぶん、開発途上国の問題だけでなく、
先進国の抱える問題も多く扱っているからなのでしょう。
SDGは、2012年のリオデジャネイロでの国連会議での合意を受けて、2015年から2030年までの期間に達成すべき
17の目標(貧困削減、健康、教育、ジェンダー平等、クリーンエネルギー、働き甲斐、不平等の是正、消費と生産、気候変動、海洋、
生物多様性、平和と公正など)と169のターゲットを決めたものです。「持続可能な開発」というアイデアは、
1987年の国連の委員会(いわゆるブルントランド委員会)からの報告から出たものですから、国際的な目標となるまでに、
実に25年もかかっています。このような大きな流れを生むようなアイデアというのは、それが国際的に認知され、共通の目標となるまでには、相当の年月が必要です。
SDGsの前には、2000年から2015年までの国連の
開発目標たる「ミレニアム開発目標」(MDGs)がありました。
貧困撲滅、男女平等の教育、幼児や妊産婦の死亡率削減、エイズなどの病気の防止、水・トイレの確保など、8つの目標を決めて相当大きな成果を挙げました。この目標を決めるにあたっては、
1990年代を通じて様々な議論があり、そして、1996年の
OECD(経済協力開発機構)の開発委員会(DAC)の
「新開発戦略」(スライド6)が、MDGsの重要な地ならしとしての役割を果たしました。具体的な数値目標を決め、達成までの
デッドラインを明確にするとのアイデアを基本にした戦略で、
これがMDGsの骨格となりました。
このDACの新開発戦略の策定にあたっては、日本がたいへん
重要な役割を果たしました。
特に、小和田恒国連大使が、ニューヨーク駐在の各国の国連大使を巻き込んで、協議のための日本への招待外交など、縦横無尽の活躍をされたことは、関係者の良く知るところです。
ですので、私は、これまでもよく、「MDGsの生みの親は日本なのですよ」と言ってきました。そして、MDGsを引き継いだのが
SDGsですから、「日本は、SDGsを生んだおじいさん、
あるいは、おばあさんですよ」と言っても、言い過ぎではないと
思います。日本人の感性として、謙遜、謙譲の美があり、厚かましい私などしかそういうことを言いませんが、歴史的な客観的事実として、日本内外でもっと知られてほしいエピソードです。
このような過去の例に照らすと、もうそろそろ、2030年を
デッドラインとするSDGsの先の話をしだしても早すぎはしません。来年(2023年)は、SDGsの期間の中間点にあたり、4年に一度のグローバルSD報告が出ますし、国連でSDGsサミットも
開かれますから、ポストSDGs、すなわち2030年の後の
国際目標をどうするかの議論も始まるのではないかと思われます。議論が煮詰まって、具体的な提案が出てくるのは、2027年の
グローバルSD報告が出されるときでしょうか。
私は、2030年の後の世界を見越して考慮すべき要因としては、(1)不安定で不確実な世界、特に世界の分断、
(2)経済格差の拡大、
(3)資源の枯渇、
(4)AIなどの技術革新や生命工学、
(5)長寿社会、
(6)監視社会などの新しい課題があると思います
(スライド33)。
SDGsは2030年までにかなりの成果を挙げることができても、未達成の目標は相当程度残るでしょう。
ですから、SDGsを単純に期間延長するという選択もあり得ますが、新たな課題を考えると、それは安易に過ぎる気がします。
そもそも、MDGsにしても、SDGsにしても、
数値目標を含んだ具体的な行動目標です。
いわば、手段に関する目標であり、それから先の大目標、例えば、人々の幸福とか、ウェルビーイングなどは、主観に属するとして、これまで個々人に任されてきたわけです。
貧困や病気をなくしても人々は必ずしも幸福になるわけではないけれども、まずは、衣食住を整えられる環境を作ろうとしてきたわけですね。
しかし、最近、国連が関係する「世界幸福報告」とか、
ウェルビーイングに関する様々な議論が進んでいます。
客観的な指標づくりも試みられています。
こうした、人生の大目標も、ポストSDGsの議論の中で取り上げてほしい気がします。
その点、日本は1998年以来積み上げてきた「人間の安全保障」という素晴らしいアイデアがありますから、
これなども前面に押し出して議論してほしいですね。
「人はパンのみに生きるにあらず」(イエス・キリスト)、
「健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」(WHO憲章)
などの賢人、先人の教えもあり、そろそろみんなで人生の大目標を、「話のタネ」にしていただくのも良いかもしれません。2030年、すぐにやってきますよ!(了)