2022年12月2日
中国に負けた日本の鉄道 同国受注「インドネシア高速鉄道」
試運転成功に見る、痛々しいまでの昭和的反応
大島経営研究所所長、経営学修士
大島 英雄
「危ない」論拠は10年以上前の事故
およそ1週間の間、本番に備えた試運転は毎日繰り返された
(画像:高木聡)
読んでいて歯が浮くような気持ちになる――というのは、
何かとつけて報じられる「中国の高速鉄道は危ない」という安直なメディアの論調と、それに追従する「ネトウヨ(ネット右翼)」たちによって書き込まれる大量のコメントである。
その論調の根拠は、東南沿海に位置する浙江省温州市で
2011年7月に発生した高速鉄道の追突、脱線事故に至るわけだが、10年以上も前に発生した事故をさも昨日起きたように語っている。もちろん、事故の処理方法や当局の隠ぺい体質など、問題があったのは事実だ。しかし、肝心なのは 「事故の教訓がその後に生かされたかどうか」 である。
事故は起きる。ましてや、短期間に急速な拡大を続ける中国の高速鉄道だ。特に2011年の事故は、落雷という予期せぬトラブルが
引き金になっている。ただ、その後、これと同様の事故は発生していない。第一、中国の高速鉄道をさかのぼれば、
「日本の新幹線」 なのだ。
その後、中国の高速鉄道は“雨後のたけのこ”の如く伸び続け、
世界最長のネットワークを築き上げている。
中国が世界一の鉄道大国であることは、いやが応でも認めざるを得ない。もし、中国の高速鉄道がそんなに危険ならば、少なくとも
外国人は利用しないだろう。しかし、実際には在留邦人はもちろん、出張者に観光客、それに外交官など、政府関係者だって利用している。ここに「危ない理論」を持ち込むのは、無理筋というものだ。
さて、2022年11月16日、20か国・地域首脳会合(G20)が
インドネシア、バリで閉幕した。これにあわせ、インドネシアが
現在中国とともに建設中のジャカルタ~バンドン高速鉄道の試運転を公開した。
この公開試運転は、当初、習近平国家主席を招待し、実際に乗車してもらう予定だった。しかしながら、バリの会場からオンラインでつないで実施する、ライブ配信形式に変わった。
すると、ここにも「中国の高速鉄道は危ない」論者が案の定現れたのだ。「安全性への危惧」から、習近平国家主席が乗車しなかったと言うのだ。
習近平にとって、いわば自国の鉄道も同然である。
まして、距離にしてわずかバンドン側の車両基地から約20km、
最高時速80kmの試運転に対して、もし本当に危険性を感じているとしたら、自ら中国の鉄道技術が優れていないことを認めるようなものだ。これこそ笑止千万である。
バンドン側の始発駅であるテガルアール駅。周囲は田んぼだが、
すでに民間デベロッパーに売却されている。さすがに当日の駅の
周囲は警備が厳しく、カメラは出さない方が良いと案内してくれた住民に言われた(画像:高木聡)
試運転はなぜオンラインになったのか
では、どうして試運転はオンライン方式になってしまったのか。それは、まず物理的に習近平がバンドン入りするのが難しかったからだ。今回、中国は政府専用機(B747)でバリ入りしており、
滑走路距離約2200mのバンドン、フセイン・サストラネガラ空港で着陸はできても離陸が厳しかった。
ちなみに、この空港は高速鉄道開業後、民間空港としての供用をやめ、同じく西ジャワ州にあるクルタジャティ国際空港に統合するという計画もあるくらい手狭な空港である。
翌17日には、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に先行して、習近平はタイ、バンコク入りし、岸田首相と会談していることからも、いったんジャカルタを経由してから、陸路でバンドン入りというのも現実的ではない。
試運転を11月16日の16時半頃から開始するのは、実地か、オンライン方式かが決定するだいぶ前に政府筋から漏れ聞こえてきていた。対して、G20の閉幕時間は15時30分。
1時間でバリからバンドンに移動するには、そもそも無理がある。最悪、別の小型機材を用意し、試運転時間をやや繰り下げて対応という選択肢もないわけでもないが、日のある時間帯に走らせなければ意味がない。高速鉄道の成功は、国内向けにも格好のアピール
材料である。日没後の試運転では、政府関係者の自己満足に終わってしまう。
16時台での設定は、どうしても譲れなかったのではないか。
次に、警備上の問題である。実は本番のおよそ1か月前の10月13日、ジョコウィ大統領は、試運転出発式典会場となる
テガルアール駅を視察しており、試運転の模擬列車を走行させた。沿線住民を中心に多くのギャラリーが集まったが、その際、異様な光景が広がっていたという。
庶民派として知られるジョコウィ大統領は、「会いに行ける大統領」の如く、遊説やイベントの際、人々の手が届くほどに接近することができるし、記念撮影にも応じてくれる。筆者(高木聡、アジアン鉄道ライター)も以前、ジャカルタでMRT(都市高速鉄道)
開業式典に向かうジョコウィ大統領を真正面から堂々と撮影できたのには驚いた。
ただ、今回はどうやら様子が違った。駅周辺はもちろん、沿線、跨線橋の上に至るまで、狙撃銃を構えた陸軍兵士、国家警察の治安部隊が張り付いたのだ。もはや、カメラを取り出せる状況ではなかったと住民は言う。
実際、ネットやSNS上にも、政府の公式広報の写真以外、このときの試運転の様子は全くと言っていいほど見当たらない。これは明らかに習近平国家主席警備のための訓練である。
しかし、沿線全域を完全に警備するのは無理がある上、予想外の
ギャラリーの多さに、警備には限界があると判断された可能性が
高い。あるいは試運転列車をギャラリーに撮影させ、拡散させた方が良いと考えたか、である。
試運転に合わせ集まったギャラリーたち。中にはジョコウィや
習近平が乗っていると勘違いしている人も(画像:高木聡)
平穏無事に終了したイベント
ともあれ、公開試運転はオンラインでの実施になった。
もちろん、オンラインとは言え、実際に試運転列車は走った。
沿線各所、高速鉄道が見渡せるポイントは、黒山の人だかりである。習近平の乗車が無くなったことで、当日、沿線の警備はゼロとなり、撮影し放題になった。
関係者からもらった式次第には、試運転列車は16時50分発車とあった。17時を過ぎれば、山がちの地形と言うこともあり、雲も湧いてだいぶ暗くなる。なんとか撮影に支障がないギリギリの時間設定である。ジョコウィ大統領と習近平国家主席らのオンライン
参加は16時40分からで、それよりも先にテガルアール駅側では、リドワン・カミル西ジャワ州知事や、ディディック・ハルタンヨトKAI(インドネシア鉄道)社長ほか、関係者臨席のもと式典が執り行われ、彼らは事前に乗車して16時50分の発車を待っていた。
16時40分過ぎ、バリの会場とテガルアール駅をつないだ中継は、YouTubeでもライブ配信が始まった。中国側からは国家開発委員会、ホー・リーフォン主任、インドネシア側からはルフット・パンジャイタン海事投資調整相がバリの会場から訓示を与え、
それを受けて運転士ふたり(中国人とインドネシア人)が車内に
乗り込み、16時50分過ぎ、試運転列車は滑るようにホームを出発した。
ただし、出発後の映像は、事前に録画したものを編集して流しており、生中継ではなかった。時間帯も時間帯で、明るい映像にするには日中撮っておくしかなく、さまざまな角度から映し出したものを組み合わせるためにも、こればかりは仕方のないことだろう。
それによりも、実際に走らせる必要のないものを、しっかりと走らせたことを評価すべきであろう。
沿線のギャラリーたちは、本当に列車が走ったことを示す証人である。試運転列車は、テガルアール駅から約10km地点まで走って、すぐに折り返して戻って来た。1本目の試運転に乗りきらなかった関係者は、2往復目に乗車し、オンラインで習近平国家主席を招待し、試運転を走らせるという中国、インドネシア両国の威信をかけたイベントは平穏無事のうちに終了した。
このライブ配信は11月下旬現在で再生数は30万回ほど。
「バズり動画」とは言えないのかもしれないが、さらに、沿線住民が撮影した個人の動画もYouTubeやInstagramで大きく拡散されている。
主要メディアが今回、バリ側、バンドン側ともに、式典会場に入っていないという点も留意しておきたい。
また、ライブ配信動画は加工、編集されて中国メディアの報道でも大きく使われている。こうしてみると、「危ないから乗らない」どころの話ではない。習近平がわざわざ乗るまでもなく、オンラインで実施した方がよほどうまみがあったと言わざるを得ないのではないか。
橋の上からテガルアール駅を望む。シーサスポイントを使わない不思議な配線をしている(画像:高木聡)
今こそ「コペルニクス的転回」を
何でも実地にこだわり、閉鎖的空間で身内の自己満足の如く執り行われる日本式セレモニーとは正反対であるし、そういう
「昭和脳」
があるからこそ、オンライン試運転を針小棒大に攻撃し、同調するやからが出てくるのだろう。残念ながら、SNS活用という面で、
日本はインドネシアや中国に圧倒的に引き離されている。
仮にそれが、プロパガンダ的に使われているとしても、だ。
過去の栄光にしがみつき、「日本の技術は最高だ」と声高に
叫び、あわや東南アジアの盟主ですらあると勘違いしてる昭和的な自称「愛国者」たちが、皮肉にも国力をそいでいる。
今回の事例で言えば、
・安全な新幹線
・危険な高速鉄道
という、二項対立的な思考停止である。
安かろう悪かろうのメイド・イン・チャイナの時代など、とうに終わっているし、そもそも中国産品抜きに日本の生活など成り立たないにも関わらずである。
そして、それに勝つべく新たな戦略が全く生まれてこない。
壊れたテープレコーダーの如く、安心・安全・高品質と繰り返すだけ。結果、中国に負けたのである。中国側は政府による債務保証を求めず、それから何より高速鉄道の技術移転をインドネシア側に認めたのだ。日本には絶対にできない提案をしてきた。
同額か、より高くとも中国案の方が魅力的に映るのも無理はない。
そもそも、国家プロジェクトにも組み込まれず、時期尚早としてインドネシア側が全く乗り気でないなかで、日本はかたくなに
新幹線を押し売りしていた。
客は“穴子ちらし”を食べたいのに“うな重”を売りつけていたも同然だ。
そこに突如、“ジャワうなぎ”を扱う業者Xが現れて、そちらが売れてしまった。
そして、困ったことに思考停止したうなぎ屋の頑固オヤジは、
うな重がどうして売れなかったのか、いまだに気づいていない。
その間に、業者Xはどんどん売り上げを拡大していく。
もはやコペルニクス的転回なしに、このうなぎ屋の生き残る術はない。安直な中国、インドネシア批判はそういった危険性をはらんでいるのである。