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        「古武士(もののふ) 1 道上 伯」

        ________________________________________

        一昨年5000年以上前の縄文人の骨がカリフォルニアで発見された。

        日本の文化は中国から来たという嘘の説がいよいよ暴かれ始めた。

        その件に関しては後日述べるとして―。

         

        文化が西から東へ伝わった例は少なく、殆どが東から西に流れて行った説が正しい様だ。縄文人の造船技術は大変優れていて、めったに船は沈まなかった。

        そのため数千年前から頻繁に太平洋を往来していたそうだ。

         

        時代は違うが愛媛の八幡浜は、元村上水軍の末裔という説がある。

        「おんど」という今のトロール船の数倍の大きさの帆船がある。この造船技術の高さと水軍術はひょっとしたら縄文時代から受け継いでいたのかもしれない。

         

        明治時代のある日、この漁村青年たちが、この「おんど」を操って密航を企てた。

        アメリカの海岸に到着後、船が見つかると密航がばれるとの事で海岸で船を燃やした。

        逆にその大きな火の手を見つけ土地のアメリカ人が大騒ぎ。結局全員捕まってしまったが、その中の一人、西井久八は唯一知っていた米語”イエス”を連発したため入国が許された。

         

        貧しかった当時の愛媛県人は西井の親戚、そのまた友人の親戚と、どんどんアメリカに渡った。西海岸は西井の所有するところが多くなり、シアトルなどは数千人の人口に膨れ上がって西井が作った町とまで言われた。

         

        歴史学に造詣が深かった道上伯は日本の政治家がしっかりしていたらアメリカ西海岸は日本のものだったと言っていた。

        言われた時は「このおっさん何を言っているのか」と思ったが今にしてみると間違っていない。

         

        2000万人のインディアンを虐殺し、アフリカ人の奴隷、終身刑のヨーロッパ人達によって開拓されたアメリカ。そんな歴史を持つアメリカ開拓者は西へ西へと「幌馬車」でやって来て、西井達が持っていた土地は見事に強奪されてゆく。最後のとどめは第2次世界大戦中、日系人(道上伯の兄亀義も)は皆捕虜となり、土地を含めすべての所有物が没収された。

         

        道上家歴代の墓を背に海を臨むと、三方山に囲まれた入江、八幡浜湾が一望のもとに見渡せる。海からはすぐ山になり、そこに道上家の墓がある。ここからの絶景を眺めていると、いつかここから抜け出し大陸に渡りたいと思うのも当然である。大陸には夢があった。

         

         

         

         

        その八幡浜で道上伯は大正元年(1912年)誕生する。

         

        道上伯の曽祖父は付近の山の殆どを所有し その地方最大の網元だったそうだ。祖父が上女中と(上女中は座敷に上がるが、下女中は座敷に上がれない)恋仲になり結婚。その為祖父の弟が跡を継ぐこととなった。

        伯の祖父は一生食べていけるだけのお金は貰ったが、その息子安太郎(伯の父)はそれに甘んじることが出来ず、日露戦争に従軍後、郷里の先輩を頼って単身アメリカへ渡った。

         

        アメリカに15年間、シアトルやカリフォルニアで大規模農場労働者として身を粉にして働いたそうだ。5年おきにお札よりも交換レートの高い金貨を腹に巻いて持って帰り、宮造りの家を建て、山々を買い戻して行ったそうだ。

        5年おきに帰って来た為、長男・亀義、次男・伯、三男・伊勢春、四男武幸とそれぞれ5歳違いの子供が生まれた。

         

         

        アメリカでの暮らしは大変だったようだ。

        だが網元のDNAにより安太郎は 骨格が大きく、体力も相当なものだった。

        西海岸でも当時アマチュア相撲大会が行われ、連戦連勝の横綱だったそうだ。

        当然 賭けの対象でもあったため、八百長をしないと殺すとの脅しも有ったそうだが屈しなかった。

        大好きなビール、ワインなどを我慢してお金を貯めたそうだ。

         

        僕が知っている限り 真面目で辛抱強く温かい爺さんだった。

        そんなある日、伯は長兄亀義と海に突き出ている魚の干場で遊んでいて海中に転落した。

        必死でもがく伯を見つけた兄は泳げないにも拘らず海中に飛び込み、「伯が死ぬる!伯が死ぬる!」と叫びながら片方の手で伯の手を取り、もう一方で船を係留する舫い綱にしがみついて絶対に離さなかった。

        長い間しがみついていて、近所の漁師が助け出そうと泳ぎ付いた時にも兄は中々その手を放そうとはしなかった。

        伯2歳、兄亀義7歳の時の出来事だった。

         

         

         

        アメリカに居た父安太郎はタコマの日系新聞でこの事を知り、滅多に泣かない大男が涙にむせんだ。

         

        伯は、その前にはふとしたはずみで、庭先から3メートル下の道路に転落し、助骨を折る重傷を負った。

        さらに肺炎を併発して手術をする羽目になり、海に落ちたのは退院して間もなくの事だった。

         

        そんなことが続いたためか道上伯の幼児期はしょっちゅう風邪をひく病弱な子供になってしまった。

        【 道上 雄峰 】

        幼年時代フランス・ボルドーで育つ。

        当時日本のワインが余りにもコストパフォーマンスが悪く憤りを感じ、自身での輸入販売を開始。

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