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        2023年2月11日

        「無心」の美学

        未来創庵庵主 一色 宏

         

        明治37年、24歳で東京美術学校を卒業し、翌年から丸2年間調査の観測船に載って樺太調査の一行に加わっていた変わった青年がいた。更にその後東京での生活に食いつ

        めて、あげくのはて都会生活に見切をつけ木曽山中の奥深く入った山仕事に就き、丸太に載って川を流して行く仕事を二冬つづけた。その後、故郷の兄のところに寄宿し、足掛け6年間、30歳から35歳に至るまでのこの山籠りは神秘的な感じを世人に興へた伝説の人熊谷守一であった。

         

        42歳で18歳年下の大江秀子と結婚し、都会の片隅に寓を構えて

        俗塵にまみれて暮らしていながら、その心構えは無欲活淡、自ら足りる点にあり、清貧は文人の理想の境地だが、貧はすでに富に較べての貧である。熊谷さんは長年の貧乏生活を物ともせず仙人のように暮らし、狭い家の中に自由の気が充満して奥さんも精神の贅沢ということさえあれば他はどうでも言いと、長生きをして日々を愉しむ行住坐臥であればよいという生活であった。

         

        しかし、戦後しばらくして胸を病んで亡くなったお嬢さんの他にも2人のお子さんが苦しい生活の途中で亡くなられたが、このような時でも熊谷さんは生活のための売絵を描くことが出来なかった。「子どもが病気で苦しんでいるのに絵を描く気になれる筈がない」と著書の中に述べている。おそらく熊谷さんは愛児のためならどんなことでもしただろうが描けない絵を描くことだけは出来なかった。しかし、熊谷さんは一刻たりとも心中の悲しみを忘れたことはなかった。

         

        生死不二、万物有情といった円満具足を「ほとけごころ」いう言葉で表している。

        この人の内部にある光源からは、いつも柔らかい光が周囲にふりそそいでいるのは、そのあらわれであるのかもしれない。画家は要するに見る人、よりよく見る人、物の向こうまで見る人であり、彼は見た通りの物を表現する。

        熊谷さんが画家だというのは、ものを見る行為と見たものを表現するという行為の間に余分な概念が何一つ加はらず、ぴったりと一体を成している点であり、無心に見て無心に描くので、もっとも

        静かな、もっとも自然な、もっとも東洋的な方法であった。

         

        彼の画業は極めて長く、その画風にも驚くほどの変遷があり、特有の誠実さ、克明さ、未だ発見に至らない野暮天といったものがある。それは一刻者ということである。

        画家熊谷守一の書というものがある。子供のように無邪気に書く、しかしそれは大人の智慧をくぐり抜けた無心であり、決して子どもそのものではない。童心の最も大事な部分を失わず一層純化して

        年を取っていったものである。

         

        「生涯鏡中」の文字は、ただに文学的な名文句として選んだものではなく、熊谷さんが一生かかって得た解釈がその表現のうえに滲み出て来るのである。

        また「夢」という一字を書く時、そこには熊谷守一氏の全体験が

        打入されていよう。そしてその全体験を一度忘れてそこから子どもの心で再現して描く、それが熊谷流の天衣無縫の極意

        と言ったものであろう。

        文化勲章や勲三等叙勲も辞退し、昭和52年97歳で逝去。  

         

        未来創庵庵主 一色 宏

         

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